とよだ 時・山岳ゆ-もぁ画
山旅漫歩゚【ひとり画通信】

▼111号 「南ア・赤石岳の地図の幻の祠マーク」

【概略】
山の赤い「ラジオラリヤ」板石が崩壊して沢が赤くなった。そこで
赤石沢と呼びその源頭にあるので赤石岳。ここは修験道も盛んで山
頂には石ボコラのマークが地図にある。物好きにもその確認に登る
たびにあっちこっちウロウロ。きっとどこかにあるのでしょうね。

・【所在地】静岡市と長野県大鹿村との境

▼111号 「南ア・赤石岳の地図の幻の祠マーク」

南アルプスは赤石山脈です。だから赤石岳(3120m)は南アルプス
の元じめであり、また大親分であるわけです。たしかにドッシリと
大きく、小赤石岳という子分まで従えています。

昔、この山の南面にあった赤い「ラジオラリヤ」板石とかいう岩石
が大崩壊して沢に落ちて押し流されたといいます。そのおかげで沢
は赤い石でゴロゴロとなります。

そこでその沢を赤石沢と呼ぶようになり、沢の源頭にある山を赤石
岳と名づけたということです。

赤石岳は山岳宗教の修験道も盛んでありました。甲州(山梨県)の
名取直江や、信州(長野県)の堀本丈吉という人は、ともに1886年
(明治19)修験者として赤石岳を開山。

なかでも敬神講の先達の1人であった堀本丈吉は赤石岳への道を開
拓します。丈吉は信者をひきつれて登頂すること、1901〜2年まで
続いていたといいます。

そのせいか山頂には石ボコラありと地図に出ています。しかし、そ
れを確認すべく物好きにも2度3度。登るたびにスケッチブックか
かえ、あっちウロウロ、こっちウロウロ。

地図の会社に問い合わせもしましたが、いまだにみつからないのは
どうしたわけでありましょう。とうとういまはあきらめています。
ちなみにいまだに地図には載っているのですからきっとどこかにあ
るのでしょうね。

▼【データ】
【山名】大崩壊によって赤褐色の岩石の山と分かり山の名になった。
(「日本山岳ルーツ大辞典」)。ラジオラリアチャートによる山名。
山名は明治以降のもの。赤石岳は静岡県側の命名。別名(長野県側
からの呼称):駿河岳、本岳、大河内岳、釜沢岳。大河原ノ岳。大
倉喜八郎88歳の大名登山。宗良親王ゆかりの大聖寺平がある。

【所在地】
・静岡県静岡市と長野県下伊那郡大鹿村との境。飯田線飯田駅の東
南東31キロ。JR飯田線伊那大島駅からバス・塩川終点から歩いて
三伏峠経由延べ19時間40分で赤石岳(標高3120.1m)。一等三角点と
敬神講など山岳信仰の祠がある。地形図に山名と三角点標高、赤石
避難小屋の文字と独立建物(極小)記号の記載あり。

【位置】
・三角点:(標高3120.06m、一等三角点)(北緯35度27分40.35秒、
東経138度09分26.5秒)(電子国土ポータルWebシステムから検索)

【三角点の位置】
・基準点:(基準点コード:TR15338114201)(点名:赤石岳)(冠字
選点番号:−)(種別等級:一等三角点)(成果状態:正常)(測地
系:世界測地系)(緯度経度:緯度 35°27′40.3442、経度 138°0
9′26.4903)(標高3120.06m)(現況状態:正常 19991012)(所在
地:長野県下伊那郡大鹿村)(点の記図:閲覧可)。(国土地理院「基
準点成果等閲覧サービス」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「赤石岳(甲府)」(国土地理院「地図閲覧
サービス」から検索)。5万分の1地形図「甲府−赤石岳」

【山行】南ア南部縦走
・第2日:1988年(昭和63)8月4日(木・晴れ)探訪:1988年(昭
和63)8月3日(水)〜9日(火)「井川駅−畑薙ダム−椹島−赤石岳
−兎岳−茶臼岳−聖岳−光岳−寸又峡−奥泉駅−井川駅−井川ダム
−大日峠−勧業牧場−静岡駅」:単独行

【参考】
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・「日本山岳風土記2・中央・南アルプス」(宝文館)1960年(昭和
35)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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