山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

……………………………………

1049号丹沢・大倉尾根今昔

【略文】
塔ノ岳への登山道大倉尾根は、南アルプス仙丈ヶ岳の仙塩尾根となら
んで「バカ尾根」として有名です。単調で展望もなくダラダラと長くつまら
ない尾根をいうのだそうです。それでも登山道は、いつも老若男女のに
ぎやかな声が聞こえます。かつては季節になると、登山道わきにヤマユリ
の花がたくさん咲いて楽しませてくれたものです。
・神奈川県秦野市堀山下集落大倉尾根登山口大倉バス停。

1049号丹沢・大倉尾根今昔

【本文】
 塔ノ岳への登山道、大倉尾根は、南アルプス仙丈ヶ岳の仙塩尾根(せ
んしおおね)とならんで「バカ尾根」として有名です。単調で展望もなく、
ダラダラと長くつまらない尾根をいうのだそうです。それでもいつも老若
男女のにぎやかな声が聞こえます。

 かつては季節になると、登山道わきにヤマユリの花がたくさん咲いて、
登山者を楽しませてくれたものです。大倉のバス停から歩き出し、大倉
山ノ家を右に見てゆっくり登っていきます。小ノ窪の少し手前の山の神ノ
平。かって5月15日の塔ノ岳のお祭りには、ここでも青空賭博(とばく)が
開帳されたという。

 やがて大倉高原山ノ家へ登る道を分け、登っていくとちょっとした平地
に出たところが、ゾージバノ平(雑事場・ぞうじば)と呼ばれているところ。
やはり昔のお祭りの日には、酒屋や菓子屋が出店していたといいます。

 少し先の見晴茶屋を過ぎるとほどなく一本松跡です。ここにはかつて
枝ぶりのよい大きな松の木がありましたが、1934年(昭和9)の台風で吹き
倒されてしまったという。山ろくの人々は、カヤや薪木を運ぶために連れ
てきた馬を、この一本松につなぎ止めていたのだそうです。

 程なく吉沢平(よしざわだいら)。江戸幕府官撰による相模国に関する
地誌、『新編相模国風土記稿』(巻之五十三村里部)に、「……。麓(大
倉)より三十町許(ばかり)登り、字(あざ)よし澤(吉沢平)と云(う)所迄は
幅六尺許(ばかり)の通路あり、夫(それ)より上は道狭く、甚(だ)険阻な
り」とあり、吉沢平あたりまでは結構広い山道があったらしい。

 老人の話では、吉沢平の「オヒ止まり」を馬止めといったという。昔は草
刈りや、薪をとるために、ここまで馬を引いてきたらしいのです。江戸時代
の天保(てんぽう)年間(1830〜1844)には、このあたりに不動さまの石仏
があって、塔ノ岳の孫仏行者が祈願していたという。

 それには、南北朝時代の貞治(じょうじ)4年(1365年)巳(み)3月と彫ら
れてあり、高さ2尺(75.8センチ)くらい。台座などは天明6年(1786)に再
建されたといいますが、いまはありません。

 大倉尾根は古い地図には、「法里みち」(掘みち)と記されていたそうで
す。さらに歩くと堀山の右をからみ、モミソ沢への下降点を右に見て、左
へ登っていくと堀山の家の前を通り、小草平の分岐点になります。

 小草とは単なる小さい草のことか、または、ミカン科のコグサギ(小臭木
・臭いがあり煎じて殺虫剤に、材は小細工用になる)の木のことらしい。左
側勘七沢(かんしちざわ)へ下る道を分け、右へ石のゴロゴロある道を登
っていきます。

 ここから前尊仏(まえそんぶつ)の大岩までの途中に昔は水場があった
という。ダラダラ登る大倉尾根に水場があったら助かりますよね。丹沢に
詳しい坂本光雄氏は「あしなか41輯」(1953年・昭和28発行)のなかで、
「前孫仏の途中に水神の水場があって、多くの信者ののどをいやした。

 いまでも昔の古い道形があって、清い水がわき出ている。傍らに石祠
がまつられてあって、幾らかの銭切があげられてあるところを見ると、たま
には村人が詣でるのであろう。祠の横に、「慶応二寅年八月吉日建之 
堀村留五郎、小竹村金治郎、井ノ口村鉄五郎、平沢村功吉と彫られてい
る。真夏にまつったところを見ると、雨乞いに関係あるかも知れない」と書
いています。

 その場所は、もう少しでカヤバ平に着くというあたりの、勘七沢方面のと
ころにあったそうですが、いまは大きく育ったヒノキ林で位置が分からなく
なってしまってしまいました。

 さて、しばらく行くと前孫仏といわれる露岩があります。この岩の上には
1952年(昭和27)ごろまでは、壊れかけた石仏があったという。昔はここが
女人結界のしるべで、女性はここから上には登れませんでした。

 道はますます険しくなって山小屋のわきをまわって、花立場という所に
着きます。石像が一基わびしく安置されています。ここは旅人が小枝を折
って、そこの山神さまへ供える霊地で、ヲリバナサマ、シバヲリサンなどと
いっているそうです。丹沢でもう1ヶ所長者舎(ごや)の近くに花立場があ
り、折花さまという小祠がまつってあります。

 そこから馬の背、または金冷やしと俗称されるヤセ尾根を越え、鍋割山
への尾根を左に分けます。いよいよ塔ノ岳への登りにかかります。標高13
70mあたりで、道がちょっと広い所があります。

 かつてはここに分岐があり、左へ山腹を巻いて不動の清水の水場(塔
ノ岳の水場)へ直接行けたという。昔は水場から、いまはなき拘留尊仏の
岩への参詣道があったといいます。さっきの分岐を真っ直ぐ行けば明る
く、にぎやかな塔ノ岳の山頂です。


▼大倉バス停【データ】
【所在地】
・神奈川県秦野市堀山下集落大倉尾根登山口大倉バス停。小田急渋沢
駅からバス15分で大倉終点
【位置】
・バス停:北緯35度24分17.57秒、東経139度10分7.41秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」


▼【参考文献】
・『あしなか復刻版・第三冊』:「あしなか41輯」(山村民俗の会)1954年(昭
和29)
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)198
4年(昭和59)
・『新編相模国風土記』国立国会図書館電子デジタル:『新編相模国風
土記稿』間宮士信ほか編(鳥跡蟹行社)明治17(1884)年
・『尊仏二号』栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成元)
・『丹沢』(ブルー・ガイドブックス25)奥野幸道(実業之日本社)1962年
(昭和37)
・『丹沢』(アルペンガイド18)羽賀正太郎(山と渓谷社)1983年(昭和58)
・『丹澤記』吉田喜久治(岳(ヌプリ)書房)1983年(昭和58)
・『日本歴史地名大系14・神奈川県の地名』鈴木棠三ほか(平凡社)1990
年(平成2)
・『牧野新日本植物図鑑』牧野富太郎(北隆館)1974年(昭和49)

 

……………………………………

 

【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
……………………………………
 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

山旅通信【ひとり画展】題名一覧へ戻る
………………………………………………………………………………………………
「峠と花と地蔵さんと…」トップページ
【戻る】