山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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1043号丹沢にもいたデイラボッチ」

【略文】
昔々、デイラボッチという巨人が富士山を背負って旅をしていました。いく
ら天を突く巨人といっても、富士山を背負っているのですから重いわけで
す。相模国に着くころには疲れてきました。見ると腰掛けるのにちょうどい
い高さの大山があります。デイラボッチは、それに腰をかけて休み、相模
川の水をすくって飲んだということです。
・神奈川県伊勢原市と厚木市・秦野市との境。

▼1043号「丹沢にもいたデイラボッチ」


【本文】

 大昔、天を突くような大男がやってきて全国を飛びまわったり、大量の

土を運んできて富士山をつくったりしたという。その時、「もっこ」からこぼ

れ落ちた土で、あちこちに山ができたという。また大男が歩いた足跡の凹

みに、水が溜まって池や沼になったなど話が、各地に数多く伝わってい

ます。



 大男の名はデエラボッチ(大太法師)とか、ダイダラボッチ。そのほかダ

イタイボウ(茨城県)、ダイタボッチ(東京・埼玉)ダイダラホウシ(栃木県)、

ダイテンボウ(会津地方)、デイラボッチ(長野県)、レイラボッチ(山梨

県)、ダンダンボウシ(富山県)、ダタンボウ(三重県)、ダイダラボウ(香川

県)、ダイタボウ(愛知県)、デーデッポー(千葉県)など、いろいろとなまっ

て呼ばれています。



 ここ丹沢の大山にもデイラボッチ(大太法師)の伝説があります。昔々、

デイラボッチ(大太郎法師)という巨人が、富士山を背負って西の方から、

東の方の国へ向かって旅をしていました。いくら天を突く巨人といっても、

富士山を背負っているのですから重いわけです。ここ神奈川県は相模国

に着くころは疲れてきました。一休みしたいと思って見ると、腰掛けるのに

ちょうどいい高さの山があります。大山です。



 デイラボッチは、それに腰をかけて、背負っていた富士山を後ろにお

ろして休み、長い両手をのばして、足元の相模川の水をすくって幾杯も

飲みました。しばらく休んだあと、「どっこいしょ」と立ち上がろうとしました

が、富士山は動きません。「根っこでも生えたか」とさらに力を入れて、グ

グッと立ちあがると、両足はズブッと土に踏み込んで窪地になります。背

負い縄がプツッと切れてしまいました。「しまった」。背負い縄の替わりに

「藤づる」を使おうと、相模原の台地で探しましたが見つかりません。



 仕方なくデイラボッチは、富士山を置きっぱなしにして旅をつづけて行

きました。こうして両足が踏み込んでできた窪地は池や沼になったという。

これがJR横浜線の淵野辺駅の近くにあった鹿沼と、しょうぶ沼であるとい

う(いまは埋められてしまいました)。それからというもの、相模原台地に藤

づるは生えないということです(『相模原の伝説』)。また口惜しがって、地

団駄を踏んだというので、一名「じんだら沼」ともいう。



 別の話ではデイラボッチが、富士山を引き寄せようとして、富士山の頭

に藤づるをしばり力を入れて引っ張りました。引っ張るたびに藤づるが切

れて、とうとう相模原中の藤づるを使い切ってしまいました。そのため、相

模原には藤づるが生えなくなってしまいました。



 その時、富士山の頭がちぎれて飛んできました。そして大地に落ちて

できたのが城山の宝ヶ峰だということです。また、鹿沼を越えて上の原に

出ると、一名ふんどし窪といわれる幅109mほどの南北に連なった窪地

があります。これはデイダラボッチが「六尺ふんどし」を引きずった跡だと

いう。



 この巨人をなぜ大太法師やダイダラボッチというのかについて、江戸

時代から「大太坊蹤(だいたぼうあしあと)」(山崎美成)や「大太法師弁」

(明和舟江)、「怪談几弁・かいだんきべん」という本などで論じられていま

した。ですが結局は、「愚量の及ぶところにあらず」ということになっている

のだそうです。



 現代でもタラは貴人の呼称だとする説(柳田国男)、タタラと関連して鍛

冶屋の伝播説、アイヌ語のダイ(小山)とタラ(背負う)で「小山を背負う」意

味から生まれた巨人名。その他台湾の伝説からきているとか、はたまたギ

リシャ神話まで引っ張り出して説明しようとする説まであります。



 そもそもデデイダラボッチのような巨人は、『古事記』や『日本書紀』な

ど神話にも登場します。伊耶那岐(いざなぎ)神、伊耶那美(いざなみ)神

の二神の、「大八洲(おおやしま)誕生譚」や、大己貴の神(大国主神)の

「出雲の国引き神話」がそれです。このように古くは神は、非常に大きな

姿と考えられていたらしい。



 大きな存在であったからこそ、「天地創造」または「近郊の地勢」も成立

しえたわけです。しかし、その神々への敬いの心が信仰心が希薄になる

につれ、次第に笑い話化して、鬼や天狗、またはダイダラボッチへと変質

したのだとされています。




▼大山【データ】
【所在地】
・神奈川県伊勢原市と厚木市・秦野市との境。小田急小田原線伊
勢原駅の北6キロ。小田急伊勢原駅からバス、大山ケーブル駅か
らケーブル利用下社駅下車、さらに歩いて1時間30分で丹沢大山。
三等三角点(1251.7m、現地確認)と写真測量による標高点(1252
m・標石はない)と阿夫利神社奥社と電波塔がある。地形図に山名
と三角点の標高、標高点の標高、阿夫利神社の建物の記号と電波塔
の記号の記載あり。
※「地図閲覧サービス」と「電子国土ポータルWebシステム」地形
図には三角点と標高点があるが、「基準点成果等閲覧サービス」地
形図には両方とも記入がない。
【ご利益】
・阿夫利神社:御利益:豊作祈願・無病息災・家内安全・防災招福・商売
繁盛などの祈願。とくに水に関係のある火消し・酒屋、またご神体の刀に
関係のある大工・石工・板前などの商売繁盛の祈願)。
【位置】
・大山標高点:北緯35度26分27.09秒、東経139度13分52.22秒
・大山三角点:北緯35度26分26秒.9251、東経139度13分53秒.1146
【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」

▼【参考文献】
・『世界大百科事典7』(平凡社)1972年(昭和47)
・『日本大百科全書・7』(小学館)1986年(昭和61)
・『日本伝説大系5・南関東』(千葉・埼玉・東京・神奈川・山梨)宮田登ほ
か(みずうみ書房)1986年(昭和61)
・『日本の民俗14・神奈川』(第一法規出版)1974年(昭和49)
・『日本の民話6』房総編・神奈川編(未来社)1974年(昭和49)
・『日本未確認生物事典』笹間良彦著(柏美術出版)1994年(平成6)
・『民間信仰辞典』桜井徳太郎編(東京堂出版)1984年(昭和59)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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