山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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1038号丹沢・とにかく走れ大山の雨乞い

【略文】
大山はよく雨が降るため、雨降山とも呼ばれました。日照りがつづいたり
すると、雨乞いの水を大山に貰いに行きました。たいてい、ふたりの農民
が村の農家を代表して大山めざして、昼夜走りつづけて行きます。神官
から水を受け取った農民は、大急ぎで村に向かって駆け出します。立ち
止まったりするとそこへ雨が降ってしまうという。
・神奈川県伊勢原市。

1038号丹沢・とにかく走れ大山の雨乞い

【本文】
 丹沢の大山は、関東平野の各所から望め、また海上相模湾からも
よく見ることができ、古くから信仰の山として崇拝されてきました。
よく雨が降るため、別名、雨降(あふり)山、阿夫利(あふり)山
とも呼ばれました。

 山頂には、大山祇(おおやまずみ)神をまつる阿夫利神社本社が
あり、中腹には同下社(しもしゃ)がまつられています。その下に
は関東三大不動尊(※成田山新勝寺、高幡山金剛寺、3つめにはい
くつかの説がある)のひとつ、大山寺があります。

 この山の信仰は、縄文時代後期からはじまったとされています。
山ろくの村人は、この山を異世界と考えていたようです。つまり人
が死ぬとその霊魂は、大山に向かって飛んでいき、お盆になるとま
た大山から村へ降りてくると信じていました。大山は、現世と神々
の世界をつなぐ、通路でありました。

 奈良時代、良弁僧正が山頂を開いてからは、修験道場として栄え
ました。江戸時代には、江戸の庶民によって大山詣りが広く行われ、
落語にも登場するありさま。さらには、「関八州、西に大山、東に
筑波」ともいわれ、大山は関東だけではなく、福島・長野・静岡あ
たりにまで、霊験あらたかな山として名を知られました。ちなみに
関八州とは、相模・ 武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野
の8ヶ国とくるから恐れ入ります。

 雨降山ともいうくらい雨に縁があり、雨乞いの霊場であったほか、
豊作、豊漁と海上守護、厄除けなどにも祈願され、武士・農民を問
わず、幅広く信仰されてきたのでした。そのため、江戸から伊勢原
への道は、「大山街道」としてにぎわい、大山講の御師(おし)の
家々が立ちならんでいたといいます。

 ふもとの村に日照りがつづいたりすると、雨乞いの水を大山に貰
いに行ったりしました。こんな時はたいてい、ふたりの農民が村の
農家を代表して大山めざして、昼夜走りつづけてお参りに出かけま
す。参拝するのは、大山中腹の二重滝のそばの二重社(ふたえしゃ)。

 二重社には雨の神竜神の祖といわれる高?神(たかおかみがみ)
をまつってあります。社に着くと村人は、滝の水で身を浄めます。
そして神官が雨乞いの祝詞をあげ、さらに青竹でつくった筒に滝の
水を入れ、ご神木である杉の葉で栓をして農民に渡します。

 筒に入って雨乞いの水を受け取った農民は大急ぎで、もときた村
に向かって駆け出します。その時後ろを振り向いたり、立ち止まっ
たりするのは禁止です。そこへ雨が降ってしまうという。やっと村
に着くと早速鎮守さまに水を供えて祈祷をし、田畑の用水に注ぎま
す。

 また「大山石尊大権現、不動明王」と唱えながら、ササの葉で田
畑へふりかけたりします。雨が降るとお礼参りにまたお詣りに行っ
たそうです。この雨乞いは、第二次世界大戦前は関東一円で行われ
ていたという(『山岳宗教史研究叢書8』)。

 相模原市では、大山からの霊水をまきながら、「降ってきた、降
ってきた」と、わざと大げさに叫んでから願をかけたという。する
と不思議に近いうちに必ず雨が降ってきたという。お礼参りは、や
はりふたりでお初穂(お金)を包んでもっていったそうです。

 また雨乞いの霊石の話もあります。江戸中期・享保年間の本草家
阿部友之進(向部将翁・あべしょうおう)の伝記に、「相州雨降山
の神庫(ほくら)に玉の如き一小石あり、伝へて秘宝とすれども、
その何たるかを知らず。将翁之をみて曰く、是は鮓答(ヘイダラバ
サラ)と名付く。能く雨を致すを以って祈らば験あらんと、時適々
大旱即ち取りてこれを試む。果たして験あらんと、果たして験あり」
との一節があるという。

 また『譚海』にこの秘宝としての霊石について、「……又同山(大
山のこと)石尊権現の宝物に小石あり。青色なり。先年阿部友之進
採薬御用にて廻国の時、この石を拝見せしに、綴耕録(てっこうろ
く)に云へる鮓答(さとう)といふ石なる由、折節旱損にて雨乞し
けるに、此石を友之進迄出して綴耕録(てっこうろく)にある如く
水にひたし雨乞せしに、雨降って土民大いによろこべりと云へり」
との文もあります。この霊石は大山社務所の神庫(ほくら)の中に
箱に入って大事に保管されているそうです(『あしなか復刻版』山
村民俗の会発行)。

 余談ながら昔は、大山に登らなければ一人前の男になれないとさ
れていました。大山まいりのため、男たちは水垢離をとって身を浄
め、白衣をまとった行者で大山街道は賑わいました。この行者を目
当てに、神奈川県戸塚区岡津のこどもたちは、小遣いを稼いだそう
です。

 こどもたちは口々に、「大山街道とぶ鳥は、羽が16、目がひとつ、
一の木二の木三の木さくら、五葉松やなぎ、柳の下でかいた文拾っ
てお女郎と殿と髪結うてまいる。御道者(おんどうじゃ)おんどう
じゃ、大山詣りは金持ちよ、銭もち、金もち、田地持ちだよ。銭ま
け、銭まけ」と歌いながら行者から銭をせびったそうです。いい小
遣い稼ぎになったようですよ。



▼大山二重滝【データ】
【所在地】
・神奈川県伊勢原市。小田急小田原線伊勢原駅の北6キロ。小田
急伊勢原駅からバス、大山ケーブル駅からケーブル利用下社駅下
車で阿夫利神社下社。さらに歩いて15分で二重滝。
【位置】
・二重滝:北緯35度26分3.77秒、東経139度14分9.14秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」



▼【参考】
・『あしなか・復刻版』第3冊(第41輯・丹沢の話)(名著出版)1981
年(昭和56)
・『神奈川の伝説』永井路子ほか(角川書店)1977年(昭和52)
・『山岳宗教史研究叢書・8』(日光山と関東の修験道)宮田登・
宮本袈裟雄編(名著出版)1979年(昭和54)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)



▼大山二重滝【データ】
【所在地】
・神奈川県伊勢原市。小田急小田原線伊勢原駅の北6キロ。小田
急伊勢原駅からバス、大山ケーブル駅からケーブル利用下社駅下
車で阿夫利神社下社。さらに歩いて15分で二重滝。
【位置】
・二重滝:北緯35度26分3.77秒、東経139度14分9.14秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」

▼【参考】
・『あしなか・復刻版』第3冊(第41輯・丹沢の話)(名著出版)1981
年(昭和56)
・『神奈川の伝説』永井路子ほか(角川書店)1977年(昭和52)
・『山岳宗教史研究叢書・8』(日光山と関東の修験道)宮田登・
宮本袈裟雄編(名著出版)1979年(昭和54)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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