山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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1037号丹沢塔ノ岳・山小屋での個展

【略文】
東京都心から近く人気のある丹沢塔ノ岳。その山頂の尊仏山荘で、山の
イラスト展を開いたことがあります。山小屋の会場がめずらしかったのか、
新聞各紙が大きく取り上げてくれ、連日の取材で仕事になりません。開
催中は、毎週のように会場に出かけ、無我夢中の2ヶ月。あれはいった
いなんだったんだろう。
・神奈川県秦野市と山北町、清川村との境。

1037号丹沢塔ノ岳・山小屋での個展


【本文】

 東京都心から近く、日帰りもできるというので人気のある丹沢(神奈川

県)。その表丹沢にある塔ノ岳は、とくに登山者が多く、休日には年間を

通じてにぎやかです。塔ノ岳は、山頂の西側、崖っぷちにあった仏像の

形をした岩峰を「お塔」といい、そこから山名ができたという。



 この岩(お塔・尊仏岩)は、「黒尊(孫)仏」とも「孫仏さん」いい、農業の

神として、作物の豊作、養蚕、雨乞い、病気治癒の祈願などの対象にな

っていたという。黒尊(孫)仏とは拘留尊(倶留孫)仏(くるそんぶつ)の

意。



 拘留尊仏は過去七仏のひとつ。悟りを得て仏陀になったのはお釈さま

を含め、過去に7人いたとする説。拘留孫はその第4の仏陀なのだとい

う。仏教では過去、現在、未来の三つの住劫(じゅうこう)それぞれに、一

千仏の出世ありとされ、拘留孫仏はいまの住劫に出現する一千仏の第

一仏で、ちなみにお釈迦さまは第四仏だとものの本に書いてあります。



 かつて5月15日のお祭りには、塔ノ岳の頂上では天下御免の賭博が

行われていたという。塔ノ岳の奧にそびえる主峰蛭ヶ岳には薬師仏、さら

にその東につづく峰(不動の峰)に不動尊をまつり、それらと黒尊仏のあ

る塔ノ岳の3峰をまわって参拝する講中もあったという。



 これは北ろく鳥屋村の人々が早戸川に沿って早戸大滝経由で登った

もの。その先達は、武州南多摩郡柚木村(ゆぎむら・いまの東京都八王

子市)の竹内富造(塔ノ岳の不動の清水にある不動の石仏を建立した

人)という人でした。



 ところで、いまある尊仏山荘は、1987(昭和62)年建てかえられたも

の。山荘はその年4月の山開きに合わせて開業しました。その山開きと、

尊仏山荘オープンに便乗させていたき、新築の山荘で山のイラスト展を

開いたことがあります。



 飾ったのは私が発行している山旅通信【ひとり画展】。山の伝説伝承

を調べ歩く際に出会った山の花、またひっそりと建つ祠や石仏、また熊

に出くわした時など、その時の出来事を「ひとり合点」してつくるイラストカ

ードの原画です。山荘や、地元の山岳会「さがみの会」の方々のご協力

で搬入。なにしろバスの終点から3時間あまりも登った山頂の山小屋で

す。大きなパネルを背負子にしばっての登山。



 なんとかオープンまでに間に合わせました。準備の期間がなかったこ

とや、パソコンもなかった当時、案内状もコピーしただけの、ちゃちなハガ

キでしたが、ちゃちなハガキがよかったのか、山小屋の個展がめずらしか

ったのか、新聞各紙が大きく取り上げてくれ、連日の取材と問い合わせ

に仕事になりません。はては、オープンの日にニュース映画のスタッフ

が、わざわざ山小屋まで泊まりがけで登ってきて撮影するしまつ。



 開催中は、土、日、休日は毎週のように会場に出かけ、5月の連休は

泊まり込み。結局会期を大幅に延長、名前を記入してくれた人だけでも

芳名帳3冊、見てくれた人は2千2、3百人以上という盛況さ。無我夢中

の2ヶ月。あれはいったいなんだったんだろう。あの時80号だった『ひと

り画っ展』は、2020年(令和02)現在1030号を超えました。



 さて、またまた塔ノ岳のはなしに戻らせて頂きます。そもそも塔ノ岳の

北裏にあったお塔(尊仏岩)への信仰は、自然石として大昔から信仰さ

れていたらしい。信仰がはじまった年代ははっきりせず、塔ノ岳への道中

などにあった石像たち(すでにない)の建立年から推測するしかありませ

ん。



 それを記録した『三保村誌』に再録された、『三記同巻』(みつみひとま

き)(天保7年稿)という文書があるという。一番古い石像は、大倉尾根の

吉沢平付近にあったという南北朝時代の貞治(じょうじ)4年(1365年)の

不動さまの石像。高さ2尺(75.8センチ)だったという。



 もうひとつの石仏は塔ノ岳山頂にあったもので、江戸時代後期の享和

2年(1802・きょうわ)に、すでに再建されたという十一面観音の石像だと

いいます。さらにもうひとつは、表尾根の行者ヶ岳の岩の上にあったとい

う役ノ行者の石像で、戦国時代終わりの永禄13年(1569)建立されたも

ので、高さ2尺(75.8センチ)の2体の行者像。その前に石でつくった巻

物(経文)が供えられてあったという。王朝が分裂、抗争がつづいていた

南北朝時代には、もう塔ノ岳尊仏信仰はされていたのですね。



▼塔ノ岳【データ】
山名:塔ノ岳(とうのだけ)
【所在地】
・神奈川県秦野市と同県足柄上郡山北町、同県愛甲郡清川村との
境。小田急線渋沢駅からバス、大倉から歩いて3時間30分で塔ノ
岳(とうのだけ)。三等三角点(1490.9m)と尊仏小屋と尊仏山荘
がある。地形図に山名と三角点と標高、尊仏山荘の文字の記載あ
り。
【位置】
・塔ノ岳三等三角点:北緯35度27分14.67秒、東経139度09分47.86

【地図】
・旧2万5千分の1地形図:「大山(東京)」

▼【参考文献】
・『あしなか復刻版』:「あしなか41輯」(山村民俗の会)1954年(昭和
29)
・『あしなか復刻版・第4冊』:「あしなか第80輯』(山村民俗の会)1981
年(昭和56)
・『あしなか復刻版・第7冊』:「あしなか138輯」(山村民俗の会)昭和48
(1973)年
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『かながわの山』植木知司(神奈川合同出版)1981年(昭和56)国立
国会図書館電子デジタル。
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『新編相模国風土記稿』:「大日本地誌大系19」(雄山閣)1980年(昭
和55)
・『尊仏二号』栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成元)
・『丹澤記』吉田喜久治(岳(ヌプリ)書房)1983年(昭和58)
・『日本山岳風土記3・富士とその周辺』(宝文館)1960年(昭和35)
・『日本歴史地名大系14・神奈川県の地名』鈴木棠三ほか(平凡社)
1990年(平成2)
・『名山の民俗史』高橋千劔破(河出書房新社)2009年(平成21)
・『柳田国男全集5』「山島民譚集」柳田国男(ちくま文庫・筑摩
書房)1989年(平成1)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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