山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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1036号岐阜県位山・笏と怪人両面宿儺(すくな)

【略文】
昔貴族などが手に持っていた笏(しゃく)の材料はイチイの木が上級品。
それをを朝廷に献上したので、「正一位」など「一位」(イチイ)の位階を賜
り、位山と名づけたたという。この山には両面宿儺(すくな)という怪人を
「山の主」とする伝説があります。これは岐阜県飛騨地方に伝承される偉
人・怪人です。
・岐阜県高山市一之宮町と下呂市の境。

1036号岐阜県位山・笏と怪人両面宿儺(すくな)


【本文】

 突然ですが、ドラマなどで貴族たちが笏(しゃく)という細長

い板を持っているのを見かけます。もとは象牙だったそうですが、

なかなか手に入らないため、平安時代になると木製のものを使う

ようになったという。その最上の材料は、イチイ科イチイ属の常

緑高木のイチイという植物。



 名前は、このイチイの材から笏をつくったので、「正一位」、「従一位」

など、位階にちなんで「一位」(イチイ)とつけられたといわれています。こ

のイチイが群生している山に、岐阜県の位山(くらいやま・1529

m)があります。



 この山は、乗鞍岳から西に派生する位山分水嶺の主峰で、山の北側

の谷は日本海へ、南側は太平洋へと注いでいます。平安時代から名山と

して多く詩歌に詠まれ、歌枕にもなっている山。『岐阜県の地名』によ

れば、『言経卿記』(ときつねきょうき・安土桃山時代の公家の山科言経

による日記)の元和3年(1617)二月一日条に、「位山橡(クヌギ・トチと

も)ノ木笏可造」とあります。



 また、江戸時代中期の代官・長谷川忠崇編纂)にも、「往古宮木ヲ帝都

ニマヰラセシ時司ヲ賜リテ位山ト称」とあります。こんなことから、この山に

生えている「イチイ(アララギ)」を「上古御笏ノ料トシテ帝都ニ進奏セシニ

其時賜爵アリテ一位ノ木ト称セラレ其地ヲ位山ト号」したのが山名の元の

ようです。



 また『宮村史』によれば、かつて地元の人は、この南東にある「位山峠」

のあたりを「位山」と呼び、いまの位山を「だな山」と呼び習わしていまし

た。それが明治時代になり、地図をつくるというので、陸地測量部が位山

と書き込んでしまったらしい。お上が「正式」とする地図に載ってしまって

は仕方ありません。村人には訳が分からぬうちにこのやまは「位山」だと

いうことになりました。



 また、位山は、「旧名愛宕山と云う。貞観十五年紫雲見の奏後位山と

改めしと也」(『後風土記』)だとか、乗鞍岳の旧名との説(岡村御蔭:位山

考)もあり、掘り起こせば、どうも一筋縄ではいかないようです。それはとも

かく位山は、自然林が多く残されており、樹種も多いことで知られていま

す。北面にはイチイの原生林が残っています。なおイチイは岐阜県の県

木になっています。



 位山は古くから霊山として崇められ、山腹には古代巨石文化遺跡と推

定される祭壇石、その他の巨石群があり、飛騨一ノ宮水無(みなし)神社

ご神体山とも伝えられます。水無神社からのイチイの社木の献上は、今

日までつづき、近世初頭まで飛騨と京を結ぶ唯一の官道「位山道」がふ

もとを通っていたという。



 さらにこの山には、両面宿儺(すくな)を「山の主」とする伝説がありま

す。両面宿儺とは、岐阜県飛騨地方で今に伝承される偉人・怪人です。

『日本書紀』巻第十一にこんな話が載っています。



 「仁徳天皇65年、飛騨国にひとりの人がいた。宿儺という。一つの胴

体に二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。頭頂は合してうな

じがなく、胴体のそれぞれに手足があり、膝はあるがひかがみと踵がなか

った。力強く軽捷で、左右に剣を帯び、四つの手で二張りの弓矢を用い

た。そこで皇命に従わず、人民から略奪することを楽しんでいた。それゆ

え和珥臣(※わにのおみ・大和朝廷の雄族)の祖、難波根子武振熊(※

なにわのねこたけふるくま)を遣わしてこれを誅した」とあります。



 ところが地元の民の伝承はちょっと違っています。土地によっていろい

ろですが以下はその一例です。その1:増田郡金山町(いまは下呂市)で

は、金山鎮守山(観音堂・金山町桜町)の由来は、仁徳天皇ころ、大野郡

八賀廊日向出波の平から両面宿儺(すくな)の奇人があらわれ、雲中を

飛行し、金山の小山が最も清浄な山であるといった。37日の間大陀羅

尼(だらに)をとなえ、国家安全、五穀豊穣を祈願して、津保(※関市)の

高沢山へ飛行したという。両面宿儺(すくな)が37日間、杖を留めていた

から、山を鎮守山と呼ぶ。村人は堂を新築して観音を迎えて祭った(『金

山町誌』)。



 その2:大野郡宮村(いまは高山市)では、位山に七難(しちな)という

鬼が住んでいて、人々を苦しめた。天皇は両面宿儺(すくな)に命じて退

治させた(宮村史)。その3:武儀郡武儀町の伝承。仁徳天皇のころ、下

保郷殿村高沢山に毒蛇がすんでいて人々を苦しめた。そのころ、飛騨国

に顔が頭の両面にあり、手4本、足4本という宿儺(すくな)は、この村にき

て毒蛇を殺して村人を救った(「郷土史談」第一卷第七号)などなど。結

局は勝利者側の記録と敗者側の記録の差で、仕方のないものでしょう

ね。



 『新古今集』に、土御門内大臣(つちみかどないだいじん)源通親(み

なもとのみちちか)の、「くらゐ山跡を尋ねてのぼれどもこを思ふみちに猶

まよゐぬる」というのがあります。なお、位山(1529m)、川上岳(かおれだ

け・1626m)、船山(1480m)を合わせて位山三山というそうです。



▼位山【データ】
【位山三山】
・位山(1529m)、川上岳(かおれだけ・1626m)、船山(1480m)
【所在地】
・岐阜県高山市一之宮町と下呂市にまたがる。高山本線飛騨一ノ宮
駅の南西7キロ。高山本線飛騨一ノ宮駅からタクシー、ダナ林道終点。位
山太陽神殿わきから1時間10分で位山山頂。三等三角点(1528.87m)
がある。
【位置】
・三角点:北緯 36度02分27.28秒、東経137度11分28.22秒
【地図】
・2万5千分1地形図名:位山

▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典21・岐阜県』野村忠夫ほか編(角川書店)1980
年(昭和55)
・「植物の世界11-129」(朝日新聞社)1996年(平成8)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本書紀』720年(養老4):岩波文庫『日本書紀』(二)(校注・坂本太
郎ほか)(岩波書店)1995年(平成7)
・『日本伝説大系7・中部』(長野・静岡・愛知・岐阜)岡部由文ほか(みず
うみ書房)1982年(昭和57)
・『日本歴史地名大系21・岐阜県の地名』所三男ほか(平凡社)1989年
(昭和64・平成1)
・『牧野新日本植物図鑑』牧野富太郎(北隆館)1974年(昭和49)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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