山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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1035号四国の天狗たち

【略文】
四国には香川県白峰山の相模坊天狗と、愛媛県石鎚山の法起坊天狗、
香川県象頭山の金剛坊、同じく象頭山趣海坊、香川県五剣山の中将坊
天狗の5狗がいます。このうち注目されるのは、白峰相模坊と石鎚山法起
坊天狗。相模坊は「日本八天狗」にも入っている大天狗。石鎚山法起坊
の法起は役ノ行者の法号で、役ノ行者の化身ではないかともいわれてい
ます。

1035号四国の天狗たち

【本文】

 四国には、(1)香川県坂出市白峰山にすむ相模坊天狗と、(2)愛媛

県石鎚山の法起坊(ほうきぼう)天狗、(3)香川県象頭山にすむ金剛坊、

(4)同じく象頭山趣海坊、(5)香川県五剣山の中将坊天狗と、あわせて5

狗もいます。



 (1)白峰相模坊は、日本の天狗の有名度の物差しにもなっている「日

本八天狗」にも入っている大天狗です。もとは名前のように、相模の国

(神奈川県)丹沢大山(1252m)にすんでいましたが、いつのころかここ、

白峰山に移ったという。



 白峰山の中腹には四国霊場第八十一番札所白峰寺があり、境内に崇

徳上皇陵があります。平安時代の保元元年(1156)、保元の乱で敗れこ

こ讃岐(香川県)に流されました。崇徳院はここ白峰の岩牢の中で8年間

の悲憤の生活、46歳の生涯を終えます(長寛2・1164)。崩御した院の

そばで、その霊を慰めていたのが相模坊天狗とその配下たちだったとい

う。



 その後、仁安(にんあん)3年(1168)、西行が崇徳院の墓に詣でた

時、崇徳院の怨霊と問答したという話があります。「御衣は柿色のいたう

すすびたるに、手足の爪は獣のごとく生(おひ)のびて、さながら魔王の

形、あさましくもおそろし。空にむかひて「相模(さがみ)、相模」と叫(よ

ば)せ給ふ。「あ」と答へて、鳶(とび)のごとくの化鳥(けてう)翔(かけ)来

り、前に伏(ふし)て詔(みことのり)をまつ」という件(くだり)が『雨月物語』

(巻之一白峰)にあります。この鳶のような鳥が相模坊天狗です。



 このころはまだ狩野元信が鼻の高い天狗を創作していなく、天狗とい

えばカラス天狗だったわけです。崇徳院は相模坊に向かっていいます。

なぜ早く平重盛の命をとって後白河上皇や平清盛を苦しめないのか。す

ると化鳥は、後白河上皇の福運はいまだつきておりません。重盛の忠義

にも近づき近寄りかねます。



 しかしいまから干支(えと)を一回りし12年たてば、平重盛の寿命がつ

きて平家一族の幸いも亡びましょう、と相模坊天狗は断言します。そして

干支が一周した13年後、その言葉どおり平重盛は重い病で世を去って

から平家一門は滅亡しています。もちろんこれは『雨月物語』の作者・上

田秋成が平家滅亡の年数を計算しての上の構成だといわれてはおりま

すが……。



 もう一狗は、(2)愛媛県石鎚山の石鎚山法起坊です。石鎚山も役ノ行

者が開山したという。大昔、役ノ行者がこの山に蔵王権現をまつってから

修験の山と仰がれました。その後、行者の亜流とされる石仙道人が登山

道を開き、登山者のため中腹に成就社を建立。中世以後は、神仏習合

修験の山になり、本尊は石鎚蔵王権現。ここの天狗について、「石鎚山

勤行法則」という文書には、「南無眷属宝(法)起坊、大天狗、小天狗、十

二八天狗、有摩那天狗、数万騎天狗にに至るまでうんぬん」とあるそうで

す。



 天狗岳には大天狗法起坊と眷属の小天狗たちがウジャウジャいるので

す。それをとりまとめるのが法起坊大天狗。ところでここを開山した役ノ行

者は、江戸時代後期の寛政11年(1799年)に、天皇から神変大菩薩

(しんぺんだいぼさつ)というおくり名を貰うまでは、法起菩薩とか法起大

菩薩と呼ばれていました。法起とは役ノ行者の法号だったのです。そん

なことから石鎚山法起坊は、役ノ行者の化身ではないかともいわれてい

ます。



 つぎは、(3)香川県象頭山にすむ金剛坊。有名になる前の金毘羅さま

は、象頭山の松尾寺金光院の境内に金比羅堂がまつられているだけの

脇役だったという。それが江戸時代のはじめ、水難救済の霊験あらたかと

の評判がたつにつれて、金比羅堂と金光院の関係は逆になっていきまし

た。



 この天狗は、金光院の院主の実盛上人という人が、ある時象頭山の山

上で霊感に触れ、生きながら金剛坊天狗に変身したもの。以来、象頭山

を守っているという。その形は、山の開山堂に安置してある剛坊像の姿の

とおり、高さ3尺5寸(106cm)位の山伏姿だという。



 金剛坊天狗の霊力を、即金比羅神の神力とまでされる金比羅さまの人

気に、天狗研究者の知切光歳氏は、「金剛坊にとっては光栄この上ない

話であるが、さて、琴平宮側がそれではおさまるまい」とみています。



 さらに(4)同じく香川県象頭山にすむ趣海坊。象頭山趣海坊は、神城

騰雲を天狗界に引き入れた天狗です。この天狗は、各地の山々を飛翔

しあるくなど、神通を発揮してはいますが、江戸を中心に出没することが

多く、関東方面担当の渉外天狗あたりだろうとされています。



 最後は、(5)香川県五剣山の中将坊天狗です。五剣山は八栗山の異

名もあります。低山ですが山頂付近はかなりな岩のくさり場があります。昔

は修験者が各所の行場で修法を凝らしたものだという。それらの行者た

ちがこの山の天狗、五剣山中将坊の名を称えはじめた天狗。地元の地

誌にはよく登場する天狗らしい。




▼【参考文献】
・『雨月物語』上田秋成:日本古典文学全集48『雨月物語』高田衛校注・
訳(小学館)1989年(平成1)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『太平記』第三十三巻:岩波文庫『太平記五』兵藤裕己校注(岩波書店)
2016年(平成28)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本伝奇伝説大事典』乾克己ほか編(角川書店)1990年(平成2)
・『保元物語』:新日本古典文学大系43『保元物語』栃木孝惟校注(岩波
書店)1992年(平成4)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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