山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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1033号山里の石仏・甲子きのえね

【略文】
山ろくの神社境内や畑の農道わきなどに「甲子」と書かれた塔を見かけま
す。これは「きのえね」と読む石塔だという。60日に1回おとずれる干支
の甲子の日に、村人が集まって大黒天の掛け軸をかけて礼拝するのが
甲子講。甲子待(まち)ともいい、掛け軸に二股ダイコン、ダイズ、クロマメ
を供えます。

1033号山里の石仏・甲子


【本文】

 山から何日かぶりに下ります。里の民家が近づくころ、こんもりした森の

中にある神社に、立ち寄りお参りします。すると境内に、「甲子塔」彫られ

た石塔があるのを見かけます。また畑の農道わきなどに「甲子」と書かれ

た塔を見かけます。これは「きのえね」と読み、甲子講にまつられる神の

石塔だという。



 甲子とは、甲、乙、丙、丁、……と続く十干(じっかん)の甲(きのえ)と、

子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)……と続く、十二支(じゅうにし)の子

(ね)にあたる年月日をいっています。よくカレンダーや暦に書いてある

「きのえね」「きのとうし」「ひのえとら」などのあれです。



 甲子の日は1年に6回まわってくるので、これを「六甲子」というそうで

す。そのなかでも11月の甲子を重んじます。それは1年のはじめを子月

とすると古代中国にあり、わが国でも11月を子(ね)の建月(たてつき)な

どと呼ぶことに基づくものらしい。



 この夜、村人が集まって大黒天の掛け軸拝んだのち、当番の家がつく

ったごちそうを、食べながら楽しく子の刻まで過ごすのが甲子講です。甲

子待(まち)ともいい、掛け軸に二股ダイコン、ダイズ、クロマメを供えま

す。



 そして子の刻(午後11時から午前1時)まで起きているのを、まるで甲

子待の意義のように思われています。各地の寺院の大黒天の縁日もこの

日に行われ、大黒神参りなどといって賑わいました。これはこうすることに

より、現世の福を得られるというのです。


 江戸前期の京都の年中行事の解説書『日次紀事』(ひなみきじ)にも、

「一年中六甲子の夜、禁裏(きんり・※御所)では子(ね・大黒天)をまつっ

た」とあります。民間では、甲子ごとに、あんどんなどの芯を買うのを「子灯

心」といったそうです。



 鳥取県伯耆大山(ほうきだいせん)のふもとの山間部でも、「甲子さん」

と呼ばれる行事があります。その年の最後の甲子の日に、二股ダイコンと

黒豆の入ったご飯を炊いて、大黒さんをまつり、子孫繁栄と招福を祈りま

す。



 年6回ある甲子の日でも、記念すべき日の講の時には「甲子」とか「大

黒天」と刻んだ石塔や、福神の姿をした像を建てたりしました。それがい

ま道ばたで見かける石塔です。



 話は飛びますが、大黒天はインドでは、憤怒の形相のこわーい神でし

たが、日本に入ってくると、大黒天の「大黒」が、大国主命(おおくにぬし

のみこと)の「大国」と、音がよく似ているため混同され、福の神になりまし

た。そしてまた、田の神や家の神にもなってしまっています。



 その大黒天が、甲子さまの主尊になったのは、北方子の神が大黒さま

だからといいます。さらにまた、大黒天(大国主命)の危機をネズミが救っ

たという『古事記』の記述から、甲子の祭神(大黒天)のお使いがネズミで

あり、子(ね)であるからだという。こじつけが、どんどんこじつけられていく

のですね。



 甲子塔には、大黒天の像を彫ったものと文字塔があり、像塔には、恵

比寿さまと対になって建っているものもあります。また、文字塔では「子待

塔」、「甲子塔」、「大黒天」、「甲子塚供養」、「甲子大黒天」などと彫った

ものがあります。なお、鹿児島県薩南の喜界島などでは、旧四月甲子の

日に、害虫除けの祭りを行うそうです。




▼【参考文献】
・『聞き書き・鳥取の食事』(農山漁村文化協会)1991年(平成3)
・『日本大百科全書6』(小学館)1985年(昭和60)
・『民間信仰辞典』桜井徳太郎編(東京堂出版)1984年(昭和59)
・『日本石仏事典』庚申懇話会(雄山閣)1979年(昭和54)
・『日本年中行事辞典』鈴木棠三(角川書店)1977年(昭和52)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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