山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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▼1023号「天狗のお経・天狗経」

【略文】
修験道で修行する行者が、各地の霊山の天狗を招いて祈念を込める
時に唱える「天狗経」というお経があります。室町後期にはすでに
唱えられていたものらしい。その内容は「南無大天狗小天狗十二天
狗有摩那(うまな)天狗数万騎天狗、先づ大天狗には、愛宕山太郎
坊、妙義山日光坊……とつづき、48の天狗名が出てくるお経です。

1023号「天狗のお経・天狗経」
【本文】

 山を歩いていると天狗岳、天狗岩、天狗平などの地名をよく見か
けます。辞典には「深山に住むといわれる怪物。人間の形をして顔
が赤く、鼻が高く、不老不死、神通力で自由に空を飛ぶいたずらも
の」とあります。天狗は早くも『日本書紀』舒明天皇(第34代天
皇。在位629〜641とされる)の条に、天狗(あまつきつね)の
文字で出てきます。

 この年、都の空に突然大彗星が現われ、ゴロゴロと雷のような
音をたてながら西の方に飛んでいった。不吉の前兆と不安がる人々
に、中国への留学から帰国したばかりの僧の旻が、「これはあまつ
きつねなり」といったというのです。これが日本で最初の天狗の記
録だということです。

 南北朝のあたりから、天狗への考え方は思想は修験道と結びつき、
お寺と同じように、「なんとか山かんとか坊」のように呼ばれます。
つまりそれぞれの山号に僧正、阿闍梨(あじゃり)、内供奉(ない
ぐぶ)、薩?(さった)などの名前がつけられはじめたのです。天
狗たちが一番活躍したのはこの南北朝時代なのだそうです。このよ
うに天狗は修験道と切っても切れない関係です。

 そんなわけで、修験道で修行する行者が、各地の霊山の天狗を招
いて祈念を込める時に唱える「天狗経」というお経もあります。天
狗経は、密教系の「万徳集」や江戸時代の版元・浪華人田中玄須の
「本朝列仙伝」などにも見えるため、室町後期にはすでに唱えられ
ていたものらしいといいます。

 その内容は「南無大天狗小天狗十二天狗有摩那(うまな)天狗数
万騎天狗、先づ大天狗には、愛宕山太郎坊、妙義山日光坊、比良山
次郎坊、常陸筑波法印、鞍馬山僧正坊(そうじょうぼう)、彦山豊
前坊(ひこさんぶぜんぼう)、比叡山法性坊(ひえいさんほうしょ
うぼう)、大原住吉剣坊、横川覚海坊、越中立山縄乗坊(しじょう
ぼう)、富士山陀羅尼坊(だらにぼう)、天岩船檀特坊(だんとくぼ
う)、

 日光山東光坊(とうこうぼう)、奈良大久杉坂坊(さんはんぼう)、
羽黒山金光坊、熊野大峰菊丈坊(きくじょうぼう)、吉野皆杉小桜
坊(かいさんこざくらぼう)、天満山三尺坊、那智滝本前鬼坊(ぜ
んきぼう)、厳島三鬼坊、高野山高林坊、白髪山高積坊、新田山佐
徳坊、秋葉山三尺坊、鬼界ヶ島伽藍坊(がらんぼう)、高雄内供奉
(ないぐぶ)、板遠山頓鈍坊(とんどんぼう)、

 飯綱三郎(いづなのさぶろう)、宰府高桓高森坊、上野妙義坊、
長門普明鬼宿坊、肥後阿闍梨(あじゃり)、都度沖普賢坊、葛城高
天坊、黒眷属金比羅坊、白峰相模坊、日向尾股新蔵坊、高良山筑後
坊、医王島光徳坊、象頭山金剛坊、紫尾山利久坊、笠置山大僧正、
伯耆大山清光坊、妙高山足立坊、石鎚山法起坊、

 御嶽山六石坊、如意ヶ岳薬師坊、浅間ヶ岳金平坊、総じて十二万
五千五百、所々の天狗来臨影向、悪魔退散諸願成就、悉地円満随念
擁護、怨敵降伏一切成就の加持、をんあろまや、てんぐすまんきそ
わか、をんひらひらけん、ひらけんのうそわか」と、48の天狗名
が出てくるお経です。

 天狗専門のお経があるとは驚きです。ただ、「日本八天狗」に登
場している丹沢大山の天狗・伯耆坊が抜けているのは編者のミスだ
ろうと研究者は不満げです。

▼【参考文献】
・『修験道辞典』宮家準編(東京堂出版)1991年(平成3)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
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山のはがき画の会

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