山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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1018号「奥多摩鷹ノ巣山・鷹のヒナ捕獲命令

【略文】
鷹ノ巣山というのは、この付近全体の総称で、鷹に巣をつくらせ鷹
の子をとって、お上に差し出す山だったという。戦国時代には小田
原北条の家老で八王子城代のの横地監物から、奥多摩日原の土豪・
原嶋右京亮(すけ)へ宛てた文書もあります。
・東京都奥多摩町
(本文は下記にあります)

1018号「奥多摩鷹ノ巣山・鷹のヒナ捕獲命令

【本文】

東京の屋根といわれる雲取山(2017m)を抱く奥多摩町は、秩父多
摩国立公園の玄関口。その中心地の氷川は青梅街道の宿駅として発
展した古い町。江戸時代から名勝地として知られ、訪れる人は年々
増加。いまではすっかり都民のレクリエーションの地となり、観光
客は年間170万人を数えるという。

青梅線の終点奥多摩駅は、いま中高年の間でブームのハイカーの手
ごろな観光地。駅前はデイバックを背負った人たちでにぎわってい
ます。かつてここは石灰石輸送を目的に開通された鉄道の終着駅。
最終的には山梨県塩山駅まで延長しようとの計画もあったと、いつ
か駅長さんに聞いたことがあります。

奥多摩駅からバスで30分の所にある日原地区は、日原川源流の地区
で、典型的な山村集落。日原川の谷流域の豊富な水を利用してワサ
ビ栽培も盛んです。1937年(昭和12)開始した石灰岩採掘は、現在
月産約30万トンという。

日原といえば鍾乳洞。古来一石山大日権現として信仰されてきた、
東京都の天然記念物鍾乳洞は、昭和37年新洞が発見されてから訪れ
る人も多くなったという。鍾乳洞の手前のバス停、中日原から稲村
岩尾根を登ると、ヒルメイクイノタワ経由で雲取山から東に延びる
石尾根上の鷹ノ巣山(1737m)に着きます。

鷹ノ巣山という山の名は全国に多くあり、『日本山名事典』(三省堂)
を調べたら、「鷹巣山」を含めて35座もありました。この「鷹ノ巣
山」というのは、北麓の日原側の呼び方で、南麓奥多摩湖側では、
峰谷地区からの「入奥沢」がせり上がっている山なので、「入奥山」
と呼んでいたそうです。

ところで明治時代の『多摩郡村誌』(斉藤真指・青梅村青渭神社神
職)に、「入奥山、日原ニテハ稲村岩ノ峰ト云」とあります。そん
なところから鷹ノ巣山は、一般に「稲村岩ノ峰」の呼称もあるとし
ている人もいます。しかし、奥多摩研究家の宮内敏雄氏は、これは
『多摩郡村誌』の間違いで、日原地区では昔からこのような呼び方
はしていなかったという。

この付近全体の山は、将軍の鷹狩に使う鷹を育成するため、鷹に巣
をつくらせて子をとって、お上に差し出す山だったという。これは
戦国時代小田原北条の時代からあったらしく、戌の年(天正2年(1
574)または天正14年(1586)のいずれか)に、北条氏の家老で八
王子城の城代の横地監物から、奥多摩日原の土豪・原嶋右京亮(す
け)へ宛てた文書が残っています。

それにはおよそこんなことが書かれています。「ことしも日原で、
来る5月1、2日までに鷹の巣子をとるよう申し渡す。……巣を隠
したり見つけなかったりすれば原嶋を処分し、百姓どもを日原から
追放する」という厳しいものでした。

江戸時代になってからは「御巣鷹山」の名で「御止め山」として指
定、一般人の入山を禁じる幕府の直轄林になりました。奥多摩は鷹
がすむのに適しているのか、このほかにも各所に鷹のヒナをとると
ころと指定された「御巣鷹山」と呼ばれる地域が34ケ所もあるそう
です。

そのなかでもこのあたりは、日原川と多摩川の分水嶺、雲取、七ツ
石、鷹ノ巣、水根山に連なる場所に集中し、ここだけで2000ヘクタ
ールの御巣鷹山があったという。このように鷹ノ巣山というのは、
この付近の山々の総称です。

そのなかであえて鷹ノ巣山と名前をつけるとすれば、ピークはやは
り最高点であるいまの場所になるわけです。とすると、鷹ノ巣山と
いう山がはじめからいまの場所にあったのではなく、ここら辺の名
前を、ここら辺の一番高いピークにつけただけのことだったわけで
すね。

鷹ノ巣山南麓の奥多摩湖側、峰谷地区から奧集落を経て、鷹ノ巣避
難小屋へ登る尾根を「浅間尾根」といいます。浅間神社、浅間さま
といえば富士山です。村人が尾根を登っていくと、うしろにせり上
がるようにあらわれる富士山の姿を仰ぎ、ここに浅間神社の祠を建
てて遙拝したのでありました。

いま鷹ノ巣山山頂から北のヒルメシクイノタワ(午飯喰ヒノタワ)
方面へ下ります。タワの手前から左(北西)の巳ノ戸谷に降下する
尾根は、「錐(きり)ン棒出ッ先ノ尾根」というそうです。ここに
は錐棒(きりぼう)に使った良質な「ヒノキ」が多かったという。
さてヒルメシクイノタワから、数十m行くと、稲村岩尾根と分かれ、
左に八丁山方面へ下る鷹ノ巣尾根があります。

八丁山手前のピークはお伊勢山というそうです。お伊勢山は字のご
とく、このあたりの地区にも伊勢木神事として、木材の伐採の「斧
はじめ」に、最初に切った木材を伊勢神宮に納める風習があったか
らだという。さらに先に行き、着いた八丁山はもと巳ノ戸山といい、
ここから東への支脈「巳ノ戸尾根」を分けると、主脈は急に下って
日原側で終わります。昔は鷹ノ巣山から下る主脈は、いまの稲村岩
尾根ではなく、八丁山へ下る鷹ノ巣尾根だったのですね。

一方、稲村岩尾根を下ると奇峰「稲村岩」の下に出ます。稲村岩は
「イナブラ」とも呼ばれ、農家が秋、稲を刈って積んだ稲束(ぼら)
に形が似ているためについた名前だという。山頂にある祠は愛宕(あ
たご)神社の祠で、祭日は旧暦の10月24日。その日には村人が、来
年の穀物の出来不出来を籤(くじ)で神意を占っていたそうです。

 ヒルメシクイノタワといえば以前こんなことがありました。頭上
でボキッと木の枝が折れ、黒い固まりが落ちてきました。熊のよ
うです。3mくらい先のクマザサの中でゴソゴソしています。ソ
ッと急坂を引き返しました。

 翌日、登り返してみると、大木に太い枝が折れてぶら下がって
いました。地図を見ると東側鷹ノ巣谷の支流が突き上げていて、
大滝もあり熊もこのあたりはすみやすかったに違いありません。

▼鷹ノ巣山【データ】
【所在地】
・東京都西多摩郡奥多摩町(合併せず)。青梅線奥多摩駅の北西8
キロ。JR青梅線奥多摩駅からバス東日原下車、さらに歩いて3時
間で鷹ノ巣山。二等三角点(1736.6m)と、西南に避難小屋がある。
【位置】
・二等三角点:北緯:35度49分47..5523秒、東経:139度00分44..3
545秒
・【地図】
・2万5千分の1地形図「武蔵日原(東京)」or「奥多摩湖(東京)」
(2図葉名と重なる)

▼【参考】
・『奥多摩』宮内敏雄(百水社)1992年(平成4)
『奥多摩風土記』大館勇吉著(武蔵野郷土史研究会)1975年(昭和
50)
・『奥秩父の伝説と史話』太田巌著(さきたま出版会)1983年(昭
和58)
・『角川日本地名大辞典13・東京都」北原進(角川書店)1978年(昭
和53年)
・『新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『旅と伝説」三元社(昭和17年2月号)「山と地形のことば」高橋
文太郎:「民俗学資料集成29」(岩崎美術社)
・『多摩郡村誌』(「多摩郡の山川」):明治11(1878)年、斉藤真指
(さいとうまさし・幕末-明治時代の歴史家・明治5(1872)年青
渭(あおい)神社神職)編集編纂
・『日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・『多摩川現流域の山岳信仰と自然保護に関する調査・研究』長野

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
ゆ-もぁ画制作処【時ノ坊】
山のはがき画の会

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