山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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▼1009号「山の住民・鼻高天狗と飯綱天狗」

【略文】
いま天狗といえばだれもが鼻の高い顔を連想します。しかし、昔の
天狗はすべてくちばしのとがったカラス天狗だったといいます。足
利時代、狩野元信がいまのような鼻高天狗を創り出しました。しか
し、飯縄山系の天狗たちは、もとのカラス天狗のままで押し通しし
ています。
(本文は下記にあります)

1009号「山の住民・鼻高天狗と飯綱天狗」

【本文】

 山の妖怪の代表に天狗がいます。いま天狗といえばだれもが鼻の
高い顔を連想します。現に天狗で有名なお寺や神社のみやげ店で目
につくのは全部鼻高天狗お面です。しかし、室町時代の末期までは
鼻高天狗はなくすべてくちばしのとがったカラス天狗だったといい
ます。

 あの「太平記」(巻第五)にある北条八代執権高時が、なぶりも
のにされた「高時天狗舞い」や(巻第二十五)の「天狗評定」の天
狗たちはみなカラス天狗です。

 足利何代目かの将軍の夢枕に、牛若丸に武術を教えた天狗・鞍馬
山僧正坊(そうじょうぼう)があらわれ、「自分の姿を日本画の狩
野派二代目・元信に描かせて、鞍馬寺に安置するように」とのご神
託。将軍が元信に命じると、元信も同じ夢を見たという。

 元信は早速制作に取りかかりましたがいかんせん手本がありませ
ん。筆を待ったまま困りに困っていますと、天上からクモが一匹ツ
ーッと降りてきました。そして糸を吐きながら画紙の上をはい回り
ます。元信がその糸を筆でなぞってみると、頭の中で思っていたと
おりの天狗の絵が描けたというのです。

 ただ、もちろんこの説を否定する本も多く、元信に依頼した人は
別人だとするものや、天狗像を創り出したのは京大工の祖父だなど
とする本などもあります。また仏教のカルラ王の姿や面相もよく似
ており、その他、雅楽の「湖徳面」もそっくりなことから、大天狗
のモデル説はかなり異説があります。

 こうしてできあがった像は、いままでの馬糞トビ姿の醜いカラス
天狗とは比べものにならない立派な大天狗像。世間の人の人気者に
なります。全国あちこちの天狗の山々も次々にこの天狗像に乗り換
えしまい、いまでは天狗といえば山伏姿の鼻高天狗をいうようにな
っています。

 それに対して狩野元信が創り出したとされる山伏姿の鼻高大天狗
に乗り換えず、もとのカラス天狗のままで押し通ししているのが北
信の飯縄山(1917m)系の天狗たちです。この天狗の姿はほかの
天狗と異なり、背中に火炎を背負い、白いキツネに乗った荼吉尼天
(だきにてん)の姿です。

 飯網三郎の前身は、泰澄の弟子でいつも寝そべっていたその名も
臥行者(ふしぎょうじゃ)か、またはその系統の行者だろうといわ
れています。飯縄山といえば、飯縄法の発祥地ですが、飯縄法は飯
網三郎をまつる飯縄修験や戸隠修験とは関係なく、それらよりもず
っとあとの時代におこったものだそうです。

 飯縄山へは、ふもとから第一不動明王、第二釈迦如来、第三文殊
菩薩……と、第十二大日如来へ続く石仏をたどっていきます。鳥居
をくぐると山頂で、その直下にある飯網神社の祠の中には2匹のキ
ツネに乗った荼吉尼天の石像があります。これがまさに飯網三郎天
狗像です。

 飯縄系の天狗は、このほか静岡県の秋葉山三尺坊、神奈川県箱根
明星ヶ岳の道了薩た(どうりょうさった)、東京の高尾山飯縄権現、
茨城県の加波山岩切大神などがいます。これらの天狗は、室町末期
に狩野元信が鼻の高いかっこいい天狗を描き出したあとでも、この
姿にのりかえず、昔から変わらない、もじゃもじゃ頭でくちばしの
とがった姿を守りとおしています。

 飯縄系の天狗のいる山、東京都民のオアシス高尾山。南北朝時代
の永和元年(1375)、醍醐の僧と伝えられる俊源が修行中に夢のな
かで長野県の飯縄権現が飛び来る姿をみて、その像を彫って守護神
としてまつったという。その姿は、右手に宝剣、左手に索縄を持っ
て両足首にヘビが巻きついて白キツネに乗った姿でした。

 JR高尾駅や京王線高尾山口駅には天狗の石像がありますが、こ
の像は鼻の高い普通の天狗の姿をしており、飯縄権現の姿を表わし
たものではありません。

 神奈川県箱根明星ヶ岳の道了薩たは、道了尊の名があり、これは
大雄山最乗寺のバス停の名前にもなっています。小田原駅から出て
いる伊豆箱根鉄道の終点大雄山駅構内にも道了薩たの石碑がありま
す。ちなみに、最乗寺境内にある道了尊はまだ荼吉尼天狗になる前
の人間の姿をしてまつられています。

 この最乗寺には、大天狗とカラス天狗なども仁王のようにたたず
み、大きな天狗げたなども奉納されています。神奈川県相模生まれ
の道了は、三井園城寺の行者だったという。あるとき、同郷の了庵
が最乗寺を建てていると聞くや、了庵のもとにはせ参じて弟子入り
をし、寺の創建に協力します。

 最乗寺が完成した18年後の応永元(1394)年、師の了庵が他界
します。道了は、これから最乗寺を守ることに専念すべく、天狗の
姿に変身し、明星ヶ岳をめざして飛び去ったと伝えられています。
以後、道了は地元の人たちに道了尊(どうりょうさん)と呼ばれて
親しまれています。

▼【参考文献】
・『図聚天狗列伝・東日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・【天狗の山々】(「山と渓谷」1992年2月号)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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