山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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▼1007号茨城県岩間山の天狗空を飛ぶ・天狗小僧寅吉の証言

【略文】
江戸時代後期の文化9年(1812)、江戸下谷七軒町の長屋の子ども
が天狗にさらわれました。寅吉という少年で、さらったのは茨城県
愛宕山(岩間山)の十三天狗の首領杉山僧正だという。国学者の平
田篤胤は寅吉を自宅に引き取り、天狗の世界のことを聞き出し「う
ちわの使い方」、「空の飛び方」などを記録しました。
・茨城県笠間市。

(本文は下記にあります)

1007号「茨城県岩間山の天狗空を飛ぶ・天狗小僧寅吉の証言

【本文】

 茨城県筑波山系の端っこに、愛宕山(岩間山)という標高306m
ほどの低山があります。山頂に愛宕神社があり、その裏の石段を上
がったところに長野県飯縄山(山の名は縄)から勧請した飯綱神社
があります。

 その後ろに青銅の六角堂があり、お神輿(みこし)形の屋根の天頂
部に鳳凰を載せて、堂の扉には、金色の菊の紋章が輝いています。
その奥にある、大きな祠を真ん中にして左に6基、右に6基、計13
基の祠こそ、この山の名物十三天狗の祠です。

 ここの天狗たちの首領は杉山僧正という大天狗だという。この高
台がこの山の一番高いところで、かつてはこのあたりに三角点があ
ったそうですが、いまは、神社の北東側の257.78m地点に設置さ
れています。境内の石尊さまの岩場に、「十戒、大天狗・小天狗」の
文字が刻まれているように、ここは岩間天狗の修験道場だったとこ
ろ。

 突然ですが江戸時代後期の文化9年(1812)、江戸下谷七軒町の
貧乏長屋の7歳になる子どもが天狗にさらわれるという事件があり
ました。寅吉という少年で、寅吉は上野の、「東叡山の山下に遊び
て、黒門前なる五条天神のあたり(仙境異聞から)」(※東叡山寛永
寺の時代には黒門があったので元黒門町と呼び、五條天神社があっ
たところは五條町だったそうです)と、まあそのあたりで遊んでい
ました。

 するとそばにいた髭の長い怪しい老占い師が、「口のわたり四寸
ばかり」というから、直径12センチくらいの壷に、丸薬を入れて
あった小つづらや敷物を入れ、また自分も片足ずつ中に入れはじめ
ました。そして全身が入ってしまうと、その壷は空に舞い上がりど
こかへ飛んで行ったという。

 不思議に思った寅吉少年は、それからもたびたび怪老人を見に行
きました。するとある日、寅吉を見て老人が「お前も壷の中に入っ
てみるか」といいました。寅吉が入ってみようかなと思ったとたん、
もう体は壷の中にあり、遠く飛んで常陸国(茨城県)の南台丈(嶽
・なんだいだけ)(いまの難台山)の山頂にいたという。

 ここは岩間山の奥ノ院でやはり天狗の行場です。寅吉少年を連れ
てきたのは愛宕山(岩間山)の十三天狗塚の首領の杉山僧正天狗だ
ったのです。こうしてさらわれた寅吉は、断続的ながら5年間の修
行を課せられ、武術、書道、加持祈祷、神道護符、薬方、占易、秘
文呪文などを習得したという。

 そのころから寅吉の異能が効力をもちはじめ、祈祷、予言、医療
などが奏功し、江戸中の評判になりはじめ、「天狗小僧」とか「仙
童寅吉」と呼ばれていました。そして寅吉が14歳の時ほんとうに
失踪しました。こんども岩間山の師匠の杉山僧正天狗に連れられて、
各地の山々を巡り歩いたという。

 各地の山々から帰ってきた寅吉のうわさを聞いた、山崎美成(よ
ししげ・江戸時代の随筆家)が寅吉を自宅に引き取って、見てきた
天狗の世界の話を聞き取って『平児代答』という本にしました。そ
の当時は寅吉は「白石平馬」という天狗名を授かっていたという。
のち杉山僧正から高山嘉津間という狗名を与えられます。

 そんな話を聞いた国学者の平田篤胤(あつたね)は、山崎美成か
ら奪うように寅吉を自宅に引き取り、「天狗に寿命はあるか」とか、
「天狗は何を食べるか」、また「天狗も夜は眠るのか」など、こま
ごまと聞き出すのでありました。

 その中でここでは羽団扇(うちわ)の使い方、空の飛び方、どこ
まで飛べるかを取り上げました。もちろん寅吉は師匠である、茨城
県岩間山(愛宕山)の十三天狗の首領・杉山僧正に連れて行っても
らった時のものです。

 掻い摘んでいいますと、空を飛んでいるときは、なんだか綿を踏
んでいるような気分で、風に吹き飛ばされているようで、耳がグン
と鳴るのを覚えている。飛ぶときは、羽団扇で空を指し、方向を決
めてから飛び上がり、飛んでいるときは、団扇を梶に使い、降りる
ときも着地点を羽団扇で指して降りる。寅吉のような小輩は団扇は
持っておらず、師匠のものを借りるという。

 また、この羽団扇は悪魔や悪獣を退治するときにも使う。寅吉は、
宇宙にも飛んでいたことがあるらしく、月の近くまで行ったときは
すごく寒かったが、太陽の近くを通った時は暑くてたまらなかった
などと話しています。

 以下の一問一答は、ちょっと長ったらしいですが、平田篤胤が寅
吉から聞き書き膨大な資料を著した『仙境異聞』(子安宣校注邦・
岩波書店)から引用させて戴きました。

 【空の飛び方】:「問ふて云はく、師に伴はれて行くに、大空をの
み行くか、地をも行くか」。「寅吉云はく、地を歩き行くことも有れ
ど、遠くへ行くには、大空をかけり行くなり」。「問ふて云はく、大
空を行くに足にて歩むか。又は矢の如くついと行くか。絵にかける
如く、雲に乗りて行くか。其心もちはいかに」。

 「寅吉云はく、大空に昇りては、雲か何かは知らねど、綿を踏み
たる如き心持なる上を、矢よりも早く、風に吹送らるる如く行く故
に、我等はただ耳のグンと鳴るを覚ゆるのみなり。上空を通る者も
あり、また下空を通る者もあり。譬へば魚の水中にあそびて、上に
も泳ぎ、底にも中にも、上下になりて游ぐが如き訣なり」。

 【羽うちわ】:「問ふて云はく、……師(杉山僧正)はいかに、羽
団扇(うちわ)を持たれざるか」。「寅吉云はく、羽扇は座右を放た
ずおきて、空行のをりはまづこの羽団扇をもて空をさして目的を定
めて飛上り、空より下る時もこの団扇をさし、其所を見定めて下る。
譬へば羽団扇は、?(くい)の如き物なり。

 然れど□空行のうち、常に此れをもて?のごとく用ふと云ふにて
はなし。唯昇る時と下る時とに用ふるのみなり。下る時など、此の
目的一分も違へば、下にては四十里、五十里ばかりの道は、忽に違
ふ故に大切のわざなり。其は高みより礫をおとしてだに、寸分を違
はず、糸を引たる如くは落ざるものなり。是をもて羽扇を用ふるわ
ざの、大切なる事を知べし」。

 「問ふて云はく、羽扇は、大空を昇り下りの時のみに用ふる物か。
余に用ふ道ありや。其の図はいかに」。「寅吉云はく、羽扇の用はな
ほ有り。まづ形は、(【闕・欠図】)□□ かくの如くにて、羽は十
一枚なり。雁股(かりまた)に図のごときさやを入れて、真紅のふ
さを下げて空行の途中は更なり。

 住座のときも、妖魔の仇をなし向ふ時に、さやを取り、羽先をも
ちて、手裏剣(しゅりけん)をうつ如く打ちつくるなり。それ故に
羽元に、孔雀のとさかの毛をさし交へて、打つくる時に、水にても
唾にても、其の毛にひたし付けて打つなり。孔雀の頭毛ほど毒なる
ものはなく、鴆毒(ちんどく)といふも此の事なる由きゝたり。ま
た悪獣悪鳥などにうち付けて殺すことも有るなり。右の如く用ある
物ゆゑにいくらも作りて有り」。

 「問ふて云はく、この団扇に用ふる羽は何鳥の羽ぞ。鷲の羽には
非ざるか」。「寅吉云はく、何鳥の羽なるか知らず。此の春下山する
時に、其の羽を二三本持来れるが、此の毛我が家の者どもに、焼き
捨てられたり。高みより落てけがをせず、水におぼれず、天気を見
る書も焼れたり」。

 「問ふて云はく、星のある所まで行たらむには、月の状をも見た
るか」。「寅吉云はく、月の状は近くに寄るほど、段々大きになり寒
気身を刺ごとく厳しくて、近くは寄り難く思ゆるを、強ひて弐町ほ
どに見ゆる所まで至りて見たるに、又思ひの外暖なるものなり。

 さてまづ光りて見ゆる所は国土の海の如くにて、泥の交りたる様
に見ゆ。俗に兎の餅つきて居るといふ所に、二つ三つ穴あきて有り。
然れど余程離れて見たる故に、正しく其の体を知らず」。

 「問ふて云はく、日輪(※太陽)はいかなる質と云ふこと、見知
たるか」。「寅吉云はく、日輪は近く寄らむとするに焼る如くにて寄
られず、然れども日眼鏡にて見たるよりは遙かに勝りて、よく見ゆ
る所まで昇りて見たるに、炎々たる中に電の如くひらめき飛びて闇
(※くろ)く見ゆる故に、何(いか)なる質と云ふことは知らねど
も、何か一物より炎の燃え出づる如く見ゆ」などと、こまごまとも
っともらしく語っています。

▼岩間山(愛宕山)【データ】
【所在地】
・茨城県笠間市。JR常磐線岩間駅の西東2キロ。JR常磐線岩
間駅から歩いて2時間で愛宕山。306m(等高線)。写真測量によ
る標高点(293m)。三角点は四等三角点(257.6m)(奥宮のある
ところがこの山の一番高い場所で、かつてはこのあたりに三角点が
あったようですが、現在の三角点は愛宕神社の北東側257.78m地
点に設置されているようです)。

【位置】
・【等高線から306m】北緯36度17分31.28秒、東経140度15分
15.84秒
・【標高点293m】北緯36度17分31.32秒、東経140度15分15.84

・【四等三角点257.6m】北緯36度17分34.1022秒、東経140度15
分23.5503秒

【地図】
・旧2万5千分1地形図名:岩間

【参考文献】
・『図聚天狗列伝・東日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『仙境異聞・勝五郎再生記聞』平田篤胤著・子安宣邦校注(岩波
書店)2018年(平成30)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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