山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

……………………………………

▼1004号大菩薩小金沢連嶺・ハマイバ丸

【略文】
ハマイバ丸のハマは「破魔」で、正月に神社でもらう「破魔矢」の
ハマだという。イバは「射場」で、破魔矢を射たところという。昔、
「オテントウ様の誕生日」という行事がありました。ここはその行
事で、正月の17日に、村人がこの山に登り、山の神に矢を射かけ
た場所だという。
・山梨県甲州市と大月市との境。

(本文は下記にあります)

1004号「大菩薩小金沢連嶺・ハマイバ丸

【本文】

一時期有名になった中里介山の時代小説『大菩薩峠』の舞台、大菩
薩峠(標高1897m)から南下、湯ノ沢峠、大蔵高丸の南に「ハマ
イバ丸」という山があります。山梨県大月市が1992年(平成4)
に公布した「秀麗富嶽十二景」のひとつ。東ろくは大月市真木(旧
北都留郡広里村真木)で、ふもとの真木から見ると金字形をした立
派な山容だという。

山名のハマイバ丸のハマは「破魔」で正月に神社でもらう「破魔矢」
のハマ。イバは「射場」で破魔矢の矢を射るところという。漢字で
書くと破魔射場丸。ここでいう丸は、ピークを表す朝鮮語にルーツ
をもつ言語なのだそうです。江戸時代の地元の地誌『甲斐国志』
にも破魔射場との記載があります。)地元大月市の人は「ハメーバ」
というそうです。

ハメーバとは三角点のあるピークの南面、カヤトになっている緩や
かな斜面をいうそうです。「ハメーバの丸」という人もいるとか。
ちなみに西ろく甲州市側の田野の猟師もハメーバというそうです。

それはいまでいうハマイバ丸の南側は、繁殖期にシカが「ハメ遊ぶ」
ところで、秋、10月15日くらいから1週間くらいは、夜になると
シカが、「メタハミ出してタケる」そうです。猟師にとってはよい
シカの狩り場だったとそうです。

それはさておき、破魔射の行事は「オテントウ様の誕生日」といい、
昔、正月の17日に、東ろくの村人がこの山に登り、山の神に矢を
射かける行事のことだという。一方、『大菩薩連嶺瞥見』(小暮理
太郎)では、「破魔射場の破魔は宛字である。

普通浜居場と書き、平野はどうか知らぬが、山間の部落には、今
も残っている地名で、近くでは名栗の谷や足柄上郡の酒匂川の沿
岸などに現存している」との意見もあるようです。矢の的(まと)
をハマといい、「浜」の字をあてたという。

またこんなことも書いています。「このハメーバはハマイバの転化
であるという。ハマイバならば日本全国の各地に亘って広く存在
する名であって、ハマを射た場所であることを示すものである。
ハマとは特殊の的の事で、これを射るに用ひた弓矢をハマ弓、ハ
マ矢と称し、後には単に男子の初正月を祝う飾り物となってしま
った。

ハマは藁縄や藤蔓などを束ねて作ったりする。型は真丸で大きさ
径3寸(10センチ)から1尺に及ぶものもあったらしく、大きさ
に従って相当大きな厚みがあり、中央に穴が開いていた。つまり
輪なのである。それを転がすか投げ上げるかして、動いている所
を横から射止めるのである。……(中略)……。

元来、破魔弓を射るという行事の根本は、文字どおり弓矢を以て
悪魔外道を追い払う祭で、それらのものが自分の村に入られては
困るから、隣村に投げ入れた方を勝ちとする例もある。常に村境
を中にして競技は行われ、ハマを飛ばして深く隣村に投げ入れた
方を勝ちとする例もある。」そうです。

さて、ハマイバ丸の東ろく、大月市真木には昔、牧場があったと
いう。そのころここで月見をしたためそこを月平(つきだいら)と
いい、その源頭にあるハマイバ丸を「月平の頭」いっていたそうで
す(『大菩薩連嶺』松井幹雄)。また一説に、真木集落では「尽き(月)
ないほど広い平だ」と説いた人もあったそうですが、これはコジツ
ケだと、『大菩薩連嶺』岩科小一郎氏は述べています。

またハマイバ丸を西ろく、甲州市の初鹿野・田野の人は、「松茸山」
とか、松茸の頭(あたま)とも呼んでいたそうです。かつて三角点
のある西面の樹林を毎年狩人が焼いていたという。そのあとがカヤ
トになり、ふもとから見るとマツタケの形になっているということ
です。

以上ゴチャゴチャといろいろな呼び方をならべてみました。さてハ
マイバ丸以外でも近くで「オテントウ様の誕生日」の行事が行われ
た山があるという。旧五百円札の裏側の富士山を写したとして知ら
れる、雁ヶ腹摺山を越えたところに3つの岩峰からなる姥子山(う
ばこやま・1503m)があります。

そこでも正月17日に、人々が山上に登って山の神に矢を射かける
行事があったという。またハマイバ丸からずっと南の、鎮西ヶ丸(滝
子山、1590m)にも、かつて里人が「オテントウ様の誕生日」と
いって山に登り、太陽を拝み矢を射る行事があったという。先にも
述べましたが、矢の的(まと)をハマといいます。

滝子山の南西にある浜立山(はまたてやま)(1482m)の「浜」は
まさに「的(まと)のハマ」で、「的を立てた山」の意味だそうで
す。その意味が、時が経つにつれいつか忘れられ、「的(まと)の
ハマ」が「浜」の字で書かれるようになり、一時、ここから海が見
えるか、見えないか、などと議論されたこともあったということで
す。

そんなことを聞きかじり、ある早春、ハマイバ丸へ行ってきました。
中央線甲斐大和駅から歩きだし、天目山から林道を4時間半、湯ノ
沢峠までただひたすら歩きました。そこから南下。山影にはかすか
に雪が残る登山道。大蔵高丸でひとりの若者に出会いました。

でかいザックを背負っています。できれば鶏冠山から奥秩父の笠取
山に登り返し、西へ西へとたどり瑞牆山まで行きたいという。「す
ごいッ」。その割には今夜は湯ノ沢峠避難小屋に泊まろうかなどと
いって山頂から降っていきます。ま、成功を祈ってこちら小生はハ
マイバ丸に向かいました。

ハマイバ丸は三角点のあるピークよりちょっと東側にケルンや岩な
どが転がったところがあり、その奧の崖ぎわが空へ向かって矢を射
るにちょうどいいところがあります。いまはなくなってしまった「オ
テントウ様の誕生日」の行事がここで行われていたようです。そこ
で写真を撮ったりメモったりで大休止。

さらにそこから1時間で米背負い峠。地図を見ると水場があるとい
う。樹林の中に突然現れる「天下石」。すでに16時。もう一踏ん張
り。やっと着いた米背負峠。あたり一面湿った土で、シカの足跡だ
らけです。

仕方なく大木の下、朽ちた幹のわきにテントを張りました。しかし
崖下から吹き上げる風をよける蔭もなく、テント場としてはちょっ
と不向きではありました。
・山梨県甲州市と大月市との境。

▼ハマイバ丸【データ】
★【所在地】
・山梨県甲州市(旧塩山市)と大月市との境。JR中央線甲斐大
和駅から歩いて2時間(バスならやまと天目山温泉停留所下車)、
米背負う峠登山口まで1:30。さらに米背負峠経由2時間15分でハ
マイバ丸。三等三角点(1751.99m)がある。
★【位置】
・三等三角点:北緯35度39分40.64秒、東経138度51分2.09秒
★【地図】
・旧2万5千分の1地形図:笹子(甲府)
★【参考文献】
・『山名の不思議』谷有二(平凡社)2003年(平成15)
・『大菩薩連嶺瞥見』小暮理太郎:『日本山岳風土記3』(宝文館)
1960年(昭和35)
・『大菩薩連嶺』岩科小一郎著(朋文堂刊)1959年(昭和34)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『山の名前で読み解く日本史』谷有二(青春出版社)2002年(平
成14)

 

……………………………………

 

【とよだ 時】 山と田園風物漫画
……………………………………
 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

山旅イラスト通信【ひとり画展通信】題名一覧へ戻る
………………………………………………………………………………………………
「峠と花と地蔵さんと…」トップページ
【戻る】