山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼093号 「北ア・剱岳山頂のホコラ」

剱岳は昔から「人登る能はず、人登るべからず」といわれた神聖
な山。しかし、いまは山頂の祠の前は大勢の登山者が集っている。
手を伸ばせば届きそうな雲が流れる真っ青な空のなか、昼寝する
人、おやつを食べながらおしゃべりをする人、それぞれです。
・富山県上市町と立山町との境
(本文は下記のあります)

▼093号 「北ア・剱岳山頂のホコラ」

【本文】
越中立山の北方にそびえる北アルプス剱岳(2999m・富山県)。映
画「剱岳 点の記」でも話題になりました。この山は、昔から「人
登る能はず、人登るべからず」といわれた神聖な山だっという。そ
の峻険さは「針の山」にたとえられ、剣のように突き立っているの
でその名があるという。

明治40(1907)年7月、三角測量点設置のため、参謀本部陸地測量
官柴崎芳太郎一行が大変な苦労の末にやっと登攀(とはん・とうは
ん)。自分たちが初登頂だと思っていたら、頂上で平安初期のもの
と思われる錫杖(しゃくじょう)の頭と槍の穂先、また岩屋で焚き
火した跡を発見しました。やや!すでに山伏が登頂していたのを知
って大ショック。「いつのころ誰人が足跡を残せしか……」と報告
書に記した話は有名です。

この山にツルギの名をつけたのは羽柴秀吉だという。1585年(天正
13)に秀吉が佐々成政を討つために越中に来たとき、陣中から京都
東本願寺に宛てて書いた文書があります。そこには「東は立山うは
堂・つるぎの山麓迄」焼いて打ち従えたとあり、これが最古の文献
といいます。

剱岳は山そのものが不動明王として遙拝されてきました。それを裏
付けるのか、剱岳直下の富山県上市町の大岩山日石寺(にっせきじ)
には平安時代の巨大な磨崖不動明王像が刻まれています。これはい
わゆる剱岳の前立(麓宮)ともいうべきものであろうとされていま
す。

一方、江戸中期大阪の医師・寺島良安著の図入り百科事典『和漢三
才図会』には「劒山の刀尾天神」とあり、剱岳の地主神は刀尾天神
(たちおてんじん)であったとも記しています。また信州の伝承で
は、戸隠明神(長野市戸隠山)の正体である「九頭竜」の尾がここ
までのびていて、この剱岳を7巻半巻いているといわれています。

いま剱岳山頂には剱岳神社の祠が建っています。これは1956年(昭
和31)の創建で、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)を
まつっているという。案外新しいものなんですね。いまの祠の中に
は観音像二体と「大聖歓喜天」の板碑(いたび)が収納されていま
す。

立山剱といえば立山曼陀羅(まんだら)(主尊を中心に諸仏諸尊が
集った楼閣の図)が思い出されます。立山の曼陀羅では、図の左上
に剱岳を必ず描くしきたりになっているそうです。そして右上に浄
土山(じょうどさん)に日輪が描き、剱岳には月輪が描きそえられ
るのだという。また剱岳の一角に塔が描かれています。

これには自然(じねん)の石塔とか、不思議の石塔などと説明を加
えたものもあります。塔は建造物ではなく岩峰を塔に見たてたもの
だそうです。さらに剱岳の東隣の別山山頂には白衣の行者が剱岳に
向かって跪拝(きはい)(ひざまずいて礼拝)する姿が描かれます。

中腹以下は地獄の針の山で、亡者が鬼に追われて山に逃げ登ってい
ます。東方の大窓雪渓は「シカノハナ」(死者の枕元におく造花)
などとも称しています。こんな女人禁制だった山にも登った女性が
います。

大正9(1920)年、竹内イサという女性がその夫とともに、長治郎
谷・剱岳・小窓、馬場島(ばんばじま)(富山県中新川郡上市町)
のコースを縦走したという。またその翌年には小倉貞という人が塚
本繁松とともに小黒部谷を遡行して登頂したという。昔から強い女
性はいたのです。

9月、剱岳山頂の祠は真っ青な空のなか、祠のそばで昼寝する人、
おやつを食べながら仲間とおしゃべりをする人、それぞれです。手
をのばせば届きそうなところを流れる真っ白な雲の固まり、時間を
忘れるひとときです。

登山者たちはゴロゴロと転がっている岩をまたぎ、人々の間をかい
くぐりながら祠に近寄ってはさい銭を上げ、手を合わせていました。
それにしても時代が代わったとはいえ「人登る能はず、人登るべか
らず」のころとは何という代わりよう。

いまはツアー登山まで含め山頂は人、人、人が岩と同じくゴロゴロ
状態。さぞかし柴崎測量官たちも、目をシロクロさせていることで
しょう。そういうこちらもゴロゴロ組ではありますが。

▼【データ】
★【所在地】
・富山県中新川郡上市町と同県中新川郡立山町との境。富山地方鉄
道立山線立山駅の北東19キロ。富山地方鉄道立山駅からケーブル美
女平からバス・室堂から歩いて6時間30分で剱岳。三等三角点(2
997.07m)と写真測量による標高点(2999m)と、須佐之男神を
まつった剱岳神社の小祠がある。地形図に山名と三角点の標高と
標高点の標高のみ記載。付近に何も記載なし。

★【名山】
・「日本百名山」(深田久弥選定):第48番選定(日本二百名山、
日本三百名山にも含まれる)
・「新日本百名山」(岩崎元郎選定):第42番選定

★【位置】
・【標高点】緯度経度:北緯36度37分23.76秒、東経137度37分00.7
秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・【三等三角点】緯度経度:北緯36度37分24.09秒、東経137度37分
1.7秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

★【地図】
・2万5千分の1地形図「剱岳(高山)」or「十字峡(高山)」(2図
葉名と重なる)。5万分の1地形図「高山−立山」

▼【参考文献】
・『古代山岳信仰遺跡の研究』大和久震平著(名著出版)1990年(平
成2)
・『山岳宗教史研究叢書10・白山・立山と北陸修験道』高瀬重雄編
(名著出版)1977年(昭和52)
・『山岳宗教史研究叢書15』「修験道の美術・芸能・文学」(U)五
木重編(名著出版)1981年(昭和56)
・『新稿日本登山史』山崎安治著(白水社)1986年(昭和61)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『富山県山名録』橋本廣ほか(桂書房)2001年(平成13)
・『日本山岳風土記1』(宝文堂)1960年(昭和35)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系16・富山県の地名』(平凡社)1994年(平成
6)
・『和漢三才図会』寺島良安:東洋文庫「和漢三才図会10』島田勇
雄ほか訳注(平凡社)1988年(昭和63)

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山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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