とよだ 時・山の伝承民俗画
山旅イラスト【ひとり画通信】(ひとり画展)

▼058号「奥多摩三頭山・オツネの泣き坂」

・【概略】
人目を避けて香蘭との短い逢う瀬から帰るオツネ。三頭山あたりの
坂に差しかかると東の空がシラジラと明るくなる。「ああ、夜が明
ける。旦郷さまに知られたらどうしよう」。オツネは泣きながら坂
を駆け下りる。ついた名前が「ツネ泣き坂」。ここは小さなヤマグ
リが多い。

▼058号「奥多摩三頭山・オツネの泣き坂」

・【本文】
東京・奥多摩三頭山(最高点1531m)の北側に「オツネの泣坂」と
かツネ泣き峠、ツネ泣坂とも呼ばれる所があります。その昔、いま
の奥多摩町川野地区(奥多摩湖近く)杉田重長の川野城にオツネと
いう美女が働いていたという。

ある時、村の寺浄光院に美男僧がやって来ました。オツネはその僧
香蘭といつか深い仲になってしまいました。毎晩のように忍び逢い
が続きます。

修行のジャマになることを心配した住職は、香蘭をいまの山梨県上
野原町西原の寛珠院というお寺に移しました。しかしオツネは香蘭
が忘れられず、ある夜西原に訪ねて行きました。

香蘭との短い時間の逢う瀬を終え、急いで帰りますが三頭山を過ぎ
たあたりの坂に差しかかると東の空が明けてきます。お屋敷の旦那
さまに知られたらどんなお叱りを受けるか分かりません。

「ああ、夜が明けてしまう。どうしよう」。オツネは泣きながら坂
を駆け下ります。村人はオツネに同情し哀れみました。こうしてつ
いた地名がオツネの泣き坂。

「遠く、遠くながれる明けの鐘しのび通いのはかなさに、祈る峠の
地蔵さま、香蘭、香蘭、月を呼ぶよなツネなき峠…」。奥多摩地方
に伝わる歌「ツネなき峠」の一節です。

ちょっと古い話ですが、ある年の10月、三頭山にとりつくころぐず
つきはじめていた空が下るころにはもうポツポツと降り始めまし
た。きょうは家族連れの山行。奥多摩湖に下る途中にオツネ泣き坂
にさしかかりました。

この坂にはヤマグリがたくさん落ちていました。ひとつ拾ったはい
いけれど、次の落ちているクリが目に入り、拾うのをやめられなく
なってしまいました。

急坂の岩がぬれて、拾ったヤマグリを抱えツルツル滑ります。こう
してなんとか家に持ち帰りました。ところがこのクリゆでては見た
が食べるには小さすぎ、結局捨ててしまうはめに…。ほんとに欲深
の泣き坂でありました。以後ここのクリは拾わなくなりました。

しかし、この急な坂道を、しかも女性の足で夜、山梨県上野原町西
原まで通うとはなんという狂おしい女心でしょうか。修行の妨げに
なってもいいじゃないか、許してやれよ。どっちにしろ、たかが人
間一人の一生じゃないか。

▼【データ】
【地名】・おつねと香蘭の悲恋物語。

【所在地】
・東京都西多摩郡奥多摩町。JR青梅線奥多摩駅からバス、小河内
神社下車、さらに歩いて2時間20分でオツネの泣き坂。地形図に
奥多摩町の文字にかかり何も記号なし。

【位置】
・オツネの泣き坂:【緯度経度】北緯35度45分12.21秒、東経139
度00分21.97秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」か
ら検索)

【地図】
・2万5千地形図「七保(甲府)」or「奥多摩湖(東京)」or「猪丸(東
京)」(3図葉名と重なる)(国土地理院「地図閲覧サービス」から
検索)。

【山行】
・1980年(昭和55)10月19日(日)奥多摩三頭山オツネの泣き坂探
訪:ファミリー山行

【参考】
・「奥多摩風土記」大館勇吉著(武蔵野郷土史研究会)1975年(昭
和50)
・「日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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山旅イラスト【ひとり画通信】
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