山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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▼058号「奥多摩三頭山・オツネの泣き坂」

人目を避けて香蘭との短い逢う瀬から帰るオツネ。三頭山あたりの
坂に差しかかると東の空がシラジラと明るくなる。「ああ、夜が明
ける。旦郷さまに知られたらどうしよう」。オツネは泣きながら坂
を駆け下りる。ついた名前が「ツネ泣き坂」。ここは小さなヤマグ
リが多い。

▼058号「奥多摩三頭山・オツネの泣き坂」

・【本文】
 東京・奥多摩三頭山(最高点1531m)の北側に「オツネの泣坂」
とか「ツネ泣き峠」、「ツネ泣坂」とも呼ばれる坂道があります。

 戦国時代、長享(ちょうきょう)年間(1487〜1489年)から明
応(1492〜1501年)の年間のころとうから、かなりおおざっぱで
はありますが、勝沼城主(勝沼城は青梅町の東)三田弾正平政定の
下に、杉田越後の守平重長という豪族がおり武蔵と甲斐の国境警備
に派遣され、小河内の川野(いまの奥多摩湖・奥多摩レストセンタ
ーのあたり)に住んでいました。

 この越後の守の召使いにオツネという19歳の、絶世の美女が、
まめまめしく働いていたという。ある時、村のお寺浄光院に美男僧
がやって来ました。オツネはその僧・香蘭といつか深い仲になって
しまいました。毎晩のように忍び逢いが続きます。

 それを知って、修行の妨げになることを心配した住職は、香蘭を
西原(さいはら)村(山梨県上野原町西原)の寛珠院というお寺に
移しました。しかし毎晩のようにオツネがどこかへ出かけていると
いう噂が広がりました。

 主人の越後の守は、日ごろ敵の武田氏と領土を分かつ、国境警備
の責任を負っており、武田氏と通じる者がいては一大事、一女中の
行動にも注意していました。そんな時、オツネが毎夜にどこかへ行
くとの噂を耳にしました。

 越後の守は家来の杉田八兵衛某に命じて、お常の行動を注視させ
ました。そんなある夜、オツネは紅、白粉で化粧して、着物は白衣
に着替えて館を出かけました。

そして小菅川の右岸から山道を登りつめて三頭山に出ました。そこ
を越えて間もなく一軒の山小屋がありました。小屋の中には、色白
の美しい僧・香蘭が待っていました。

 オツネは転がるように小屋の中に駆け込みました。若い二人は三
頭山の山小屋で、人知れず逢瀬を楽しんでいたのでした。…………。
時間が経ち、程なく小屋から出てきたふたり、お常は東、若僧は西
へと、なごり惜しそうに別れていくのでありました。

 オツネは急いで帰りますが、三頭山を過ぎたあたりの坂に差しか
かると東の空が明けてきます。「ああ、夜が明けてしまう。どうし
よう」。

 お屋敷の旦那さまに知られたらどんなお叱りを受けるか分かりま
せん。オツネは泣きながら急坂を駆け下ります。村人はこんなオツ
ネに同情し哀れみました。こうしてついた地名がオツネの泣き坂。

 「遠く、遠くながれる明けの鐘しのび通いのはかなさに、祈る峠
の地蔵さま、香蘭、香蘭、月を呼ぶよなツネなき峠…」。奥多摩地
方に伝わる歌「ツネなき峠」の一節です。

 さて、八兵衛から報告をうけた越後の守は、この純愛きわまりな
い二人の仲を裂くに忍びないと思いました。そこで西原村に正観世
音の堂宇を建立させました。

 そして「お常(オツネのこと)は長けなす黒髪を切り下して、恋
し若僧の門弟に入り尼僧を装ひ、表面には観音堂主の、生菩薩のや
うに見せ、裏面は彼の法師と、二世も三世も変わじと、秘密を結ん
で、一生を終わった云ふ」(『奥多摩の世間話』)ことです。

 ある年の10月、三頭山にとりつくころぐずつきはじめていた空が、
降りるころにはもうポツポツと降りはじめました。きょうは家族連
れの山行です。奥多摩湖に下る途中、「オツネの泣坂」にさしかか
りました。

 この急坂にはヤマグリがたくさん落ちていました。ひとつ拾った
はいいけれど、次の落ちているクリが目に入り、拾うのをやめられ
なくなってしまいました。

 急坂の岩がぬれて、拾ったヤマグリを抱えツルツル滑ります。こ
うしてなんとか家に持ち帰りました。ところがこのクリ、ゆでては
見たが食べるには小さすぎ、結局捨ててしまうはめに……。ほんと
に欲深の泣き坂でありました。以後ここのクリは拾わなくなりまし
た。

 ところで、この急な坂道を、しかも女性の足で、夜に通うとは。
なんという狂おしい女心でありましょうや。ちなみに高水三山岩茸
石山裏にも名坂峠という所があります。ここを一名「鬼の泣坂」と
いうという。こちらは男の泣き坂で、ある鬼のような強い男が、愛
のため通ったこの急坂の苦しさに、さすがの「鬼男」も泣いたとい
うことです。

▼オツネの泣坂【データ】
【所在地】
・東京都西多摩郡奥多摩町。JR青梅線奥多摩駅からバス、小河内
神社下車、さらに歩いて2時間20分でオツネの泣坂。
【位置】
・オツネの泣坂:北緯35度45分12.21秒、東経139度00分21.97

【地図】
・旧2万5千地形図「七保(甲府)」or「奥多摩湖(東京)」or「猪丸
(東京)」(3図葉名と重なる)
【山行】
・某年10月19日(日曜日・くもり、雨) 時探訪

▼【参考】
・『奥多摩』宮内敏雄(百水社)1992年(平成4)
・『奥多摩の世間話』渡辺節子著(青木書店)2010年(平成22)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)

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山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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山旅イラスト【ひとり画展通信】
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