山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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▼026号「上州武尊山の滑落」

【略文】
この最高峰は沖武尊という峰。「ほたか」とは岩が立ち並ぶことで、
北アの穂高と同じ意味だともいう。ここに建つ石碑は、この山を開
いた木曽の「御嶽教」の教祖普寛行者にちなんでいます。沖武尊南
東にある剣ヶ峰には普寛行者の霊神碑も祀られています。

▼026号「上州武尊山の滑落」

【本文】
群馬県にある武尊山(ほたかやま・2158m)は、岩がたちならぶこ
とをいう意味で、かつては北アルプスの穂高岳と同じ神サマ「穂高
見命」を祀ってあったという。

かつては穂高の字も当てられていましたが、江戸時代から武尊に変
わったという。最高峰は沖武尊(おきほたか)という峰です。

沖とは奧のことで、山頂には「御嶽山大神」の石碑と小さなホコラ
がまつられています。「ほたか」とは岩が立ちならぶことで、北ア
ルプスの穂高岳(ほたかだけ)と同じ意味だという人もいます。

また、ここに建っている御嶽山大神の石碑は、この山を開いた木曽
の御嶽山「御嶽教」の教祖普寛(ふかん)行者にちなんでいます。

沖武尊の南東にある剣ヶ峰には普寛行者の霊神碑も祀られていま
す。この碑は修行を積んだ行者が亡くなった後、霊神を名のること
をゆるされ、山中に石碑を建てるという「御嶽講」独特のものだそ
うです。

5月半ば、沖武尊からは尾瀬、谷川連峰、遠く南アルプスまでがく
っきり浮かんでいます。ゆっくりと昼食をとりながら展望を楽しん
だあと下山をはじめます。

初夏の陽は以外に強く、残雪がとけだしています。集団登山で下山
道が混みはじめたため、近道の雪渓を下ろうということになりまし
た。

しかし、強い陽のせいか、雪がくさっていて、アイゼンがききませ
ん。……と、突然の悲鳴。上にいたパーティ仲間が雪渓の上を20m
滑り落ちていきます。

そして下方の木に引っかかりました。いや〜、驚きました、なんと
も冷や汗ものです。助かったからいいものの、すぐわきを落ちてい
くのを助ける手だてのない歯がゆさをこんなに味わったことはあり
ませんでした。

★上州武尊沖武尊【データ】
【山名・地名】
・【異名、由来】:ほたかさん。ほたかやまともいう。山名はホタカ
神信仰や日本武尊の東征伝説に由来。またホは突き出たもの、タカ
は高いで高く突きだした山。ホタカ神信仰の説もある。かつてはホ
タカは宝高・保鷹・穂高などと書いたが江戸時代になってから武尊
となった。

【所在地】
・群馬県利根郡みなかみ町(旧利根郡水上町)町と群馬県利根郡川
場村との境。JR上越線水上駅からバス、久保から歩いて6時間で
沖武尊。一等三角点(2158.0m)がある。地形図に三角点の標高の
み(沖武尊の山名なし)の記載あり。三角点より東南東の標高点21
44m(中ノ岳)の中間に武尊山の文字がある。

【名山】
・深田久弥選定「日本百名山」(第39番):日本二百名山、日本三百
名山にも含まれる。
・群馬県選定「ぐんま百名山」(第87番)

【位置】
・三角点:北緯36度48分18.8秒、東経139度7分57.26秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「鎌田(日光)」or「藤原湖(日光)」(2図
葉名と重なる)。5万分の1地形図「日光−追貝」

【参考】
・「角川日本地名大辞典10・群馬県」井上定幸ほか編(角川書店)1
988年(昭和63)
・「古代山岳信仰遺跡の研究」大和久震平著(名著出版)1990年(平
成2)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・「日本歴史地名大系10・群馬」(平凡社)1987年(昭和62)
・「日本百名山」深田久弥(新潮社)1970年(昭和45)

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山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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