山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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▼023号「奥多摩御前山・鑾野(ばんの)神社のお使い」

【略文】
御前山の名は東側の大岳山を男性に見立てたのに対して、姫御前の
意味だとも、山の形が神に供える盛り飯に似ているからだともいい
ます。山麓の鑾野神社のお使いはオオカミでかわいい石像がならび
ます。そのなかに変わったこま犬。その形はまさにイノシシであり
ました。

▼023号「奥多摩御前山・鑾野(ばんの)神社のお使い」

【本文】
東京・奥多摩に御前山という何となく神がかった名前の山があり
ます。御前山の名は「…奥多摩にも御前山(一四〇五米)があり、
この付近に大嶽山(一二六七米)がある。恐らくはこの御前山も
大嶽山に對する御前であらう」(『旅と伝説』1942年(昭和17)1
月号「山と地形のことば・高橋文太郎」)とあり、東側の大岳山に
対しての御前の意味にしたのだとしています。

しかし、山村民俗の会会員だった加藤秀夫氏は「奥多摩の御前山
は大岳山の前山だと言ふ見方からオンマヘ山説が生じたんだと思
ふが、主峰に対してオンマヘと考へられる例は越中立山の剣ヶ御
前山(鶴ヶ御前山2776.6m)は剱岳の前山だと言ふ人達の一ツの
大きな論拠となってゐるんだが、これは旧く、大正十(1921)年
『山岳』第十六年一号の?鼠(けいそ)談山の中で、木暮理太郎
先生が、「剱岳の尊称であったのが、今ではその南にある山の呼称
となったのである」と強く否定せられて居る」(『あしなか第1冊』
「あしなか第6輯」)と述べています。

御前(ごぜん)は御膳(ごぜん)で神供(じんく)する飯を盛る
かたちが尖頂(せんちょう)(とがった山頂)三角形をしてなして
いる、その形態から導かれたというのである」と主張しています。

ところで、檜原村の教育委員会の話によると、「かつて三頭山が大
荒れになった時、大和の国に占いに行き、無事、山をしずめた、
エカツとミトカツという兄弟がいました。この兄弟を神として山
に祭る際、弟のミトカツを「鹿止(かのと)御前社」として、こ
の山に祭ったという、檜原村の伝承があります。

5月ごろ山頂付近に咲くカタクリを見るハイカーでにぎわいます。
山頂直下の避難小屋には湧き水があって、山行時はいつもうまい
水を一口飲みに寄ったものでしたが、近年のハイカーの多さに山
が汚れ飲めなくなってしまったこともありました。

ある山行の帰り、御前山山頂から南東の山麓小沢地区宮ヶ戸バス
停に至る湯久保尾根途中の鑾野神社に寄りました。鑾野と書いて
「ばんの」と読むそうです。ここのお使いはオオカミでかわいい
石像がならんでいます。その石像群のなかで向かい合っている変
わったこま犬。その形はまさにイノシシというよりは豚です。

神さまのご利益で太ってしまったのかその姿が面白い。いつか読
んだ新聞の投書「いも版のイノシシ豚になりたがり」(年賀状)と
いう川柳そのままです。このこま犬を彫った石工もできあがって
から「あれれ」と思ったに違いありません。

★【データ】
【所在地】
・東京都西多摩郡檜原村。JR五日市線武蔵五日市駅下車、バス
御前山登山口停留所から歩いて1時間で鑾野神社。

【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
・鑾野神社:北緯35度44分46秒、東経139度06分15秒

【地図】
・旧2万5千分の1地形図「猪丸(東京)」

【参考文献】
・『あしなか第1冊』「あしなか第6輯」(山村民俗の会)1943年(昭
和18)
・『奥多摩』宮内敏雄(百水社)1992年(平成4)
・『角川日本地名大辞典13・東京都』北原進(角川書店)1978年(昭
和53年)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『旅と伝説』三元社(1942年(昭和17)1月号)
・檜原村文化財専門委員岡部駒橘氏の手紙

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山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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