山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信【ひとり画っ展】とよだ 時

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▼001号 「大菩薩峠・三つの峠と石丸峠」

【説明略文】
ここには明治になってから開かれたいまの大菩薩峠(新峠)と丹波
大菩薩峠、小菅大菩薩峠の三つの峠がある。丹波大菩薩峠は、旧大
菩薩峠(いまの賽の河原)をいっており現在は廃道になっている。
小菅大菩薩峠が小菅村へ下る、いまの石丸峠だという。
・山梨県甲州市塩山と小菅村の境。

【本文】

 山梨県の北東部(甲州市と小菅村との境)に大菩薩峠がありま
す。中里介山の小説、その名も『大菩薩峠』で有名な峠で、同県
北都留郡丹波山村へ続いています。この大菩薩には峠が三つある
といいます。いまの大菩薩峠は明治時代につくられた新しい峠だ
といいます。

 もともとあった旧峠は、大菩薩嶺手前のガラ場で親不知とか賽ノ
河原とも呼ばれるところ。そこは冬は風雪がはげしく、遭難がつづ
いて1876年(明治9)に新しい峠がつくられました。旧大菩薩峠
は丹波(たば)大菩薩峠ともいい、現在は廃道になっています。

 そのほかに小菅大菩薩峠というのがあります。これは東麓の小
菅村へ下る、いまでいう石丸峠(いしまるとうげ・1930m)のこ
とだといいます。なるほど、この道は大菩薩館から小屋平、八十
八曲がり、石丸峠を越えて牛ノ寝を通り小菅に達しています。

 昔、村人は丹波大菩薩峠(旧峠)を上峠、小菅大菩薩峠(石丸
峠)を下峠と呼んでいたそうです。この石丸峠の名は後世に宛字
したものであるという説があります。

 石丸峠といえば、子どもたちがまだ小さかったころのある年の
4月初旬、はじめて家族連れで、大菩薩新峠から石丸峠を訪れま
した。当時はまだ交通機関が不便で、大菩薩方面への山行は、東
京新宿駅前夜発が普通でした。塩山駅からタクシーに乗り、大菩
薩峠登山口まで。千石平でテントを張りました。夜中、沢の流れ
の音やササの擦れ合う音などが、人の声や、足音などに聞こえて
くるのが不思議です。

 翌日、上日川峠から大菩薩峠をめざします。新峠から入り熊沢
山あたりからぐずついていた空が、石丸峠に入ると吹雪になって、
目も開けていられません。出会った人はガイドブックのコースタ
イムを調査をしているという男性ひとりでした。石丸峠から牛ノ
寝通りを下るのだとか。

 家族連れの私たちはここから急きょ下山道に入りエスケープ。
途中の石碑に参拝して上日川峠に避難したのでありました。ふも
とに近づくにつれ、雪も小やみになってきました。子供たちもホ
ットしたのか、傘をくるくる回しながら歌を歌いはじめていまし
た。

 話が脱線しました。もとに戻します。かつてこの石丸峠には、
子授けの神としてのりっぱな石碑があり、子供がほしい女性たち
が次々と願をかけに登ってきたといいます。この石碑はいまはな
く、大菩薩館への途中に3代めという石碑があります。そばに字
がはげて読めなくなった塩山ライオンズクラブの説明版が建って
います(1983年当時)。

 このことから石丸峠は、本来石魔羅(いしまら)峠の意味だと
いう。それがいまの峠名になっているのは、モノがモノなのでそ
の言葉をはばかり、石丸峠の字を当てているというのです。しか
し、江戸時代の甲斐国の地誌『甲斐国志』には石魔羅峠の文字が
見あたりません。これについて明治時代の登山家で、日本登山界
の大先達の小暮理太郎は『大菩薩連嶺瞥見(べっけん)』のなかで、
反論しています。

 「(当て字してあるという説の)石丸峠については疑がある。
甲斐国志の編輯に際して頒布された触書の箇条の中に「古ク申伝
候噺物語何ニテモ其村々ニ有来候雑談之類慥(たしか)ナラザル事
ニテモ其所之老人共ニモ兼テ承置(ママ)廻村之節申可聞候。」(※
各村へ出したお触れに、どんな伝説、雑談の類も書き止めるよう
にとあり)という項目もあるほどであるから、若し陽物に似た岩
があって、地方的に非常に尊崇され、その側を通じている峠道が
その名で呼ばれているならば、決して書上に洩らす筈がない……。
…(中略)…。

 …昔の人は素朴であったから、たとえそれが陽物の信仰であっ
ても、当時の一般の風習であって見れば、何等怪しむこともない
ばかりか寧ろ進んで書き出したに相違ない。国志の編者としても
同じ時代の人である。この好資料を全然握り潰すとは思われない。
あからさまに書くことをはばかったにしても、かようの形の石が
あって俚人から崇められ、峠までもその名で俗称されているとい
う程度の記事はあって然るべきである。…

…(中略)…。(この信仰がいつごろはじまったか)なお探求を要
すべき事柄であろう」というのです。いまでも性的信仰に基づい
たお祭りが各地にあり、堂々と催されているのは広く知られてい
ます。確かに地誌である『甲斐国志』に記載がないのは不思議で
す。

▼石丸峠【データ】
【所在地】
・山梨県甲州市塩山(旧同県塩山市)と同県北都留郡小菅村との境。
中央線塩山駅の北東10キロ。JR中央本線塩山駅からバス大菩薩登
山口から歩いて3時間半で石丸峠。

【位置】(電子国土ポータル)
・石丸峠:北緯35度43分50.71秒、東経138度51分33.74秒)

【地図】
・2万5千分の1地形図「大菩薩峠(甲府)」


▼【参考文献】
・『甲斐国志』(松平定能(まさ)編集)1814(文化11年):(『大日
本地誌大系』(雄山閣)1973年(昭和48)所収
・『角川日本地名大辞典19・山梨県」磯貝正義ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『大菩薩瞥見』小暮理太郎:(『日本山岳風土記・3』(宝文
館)1960年(昭和35)
・『大菩薩連嶺』岩科小一郎著(朋文堂刊):「あしなか・249」(山
村民俗の会)収納
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)

 

【とよだ 時】山の伝承探査
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