とよた 時・山旅イラスト通信【旧・ひとり画展】 

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▼このページの目次

231 埼玉秩父・両神山のイワキンバイ
232 群馬・上州武尊ショウジョウバカマ
233 中ア・木曽駒ヶ岳聖職の碑
234 和歌山・田辺市闘鶏神社の弁慶
235 静岡・大日峠登山口口坂本の七夕祭り
236 東北・早池峰山早池峰ウスユキソウ
237 岩手県・遠野市常堅寺の河童の狛犬
238 奥武蔵・妻坂峠の一里地蔵
239 群馬県・迦葉山の天狗中峰尊者
240 丹沢・大山の石尊大権現の道標

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▼231号 「埼玉秩父・両神山のイワキンバイ」

【概略】
イワキンバイは夏に茎の径1センチくらいの黄色い花を咲かせる。
両神山の八丁尾根をクサリにつかまりながら東岳と西岳の間のピー
クの竜頭神社の祠へいってみた。木の祠は風化して痛んでいる。ま
わりにはイワキンバイの花が風にゆれていた。
・埼玉県小鹿野町と埼玉県秩父市との境

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▼232号 「群馬・上州武尊ショウジョウバカマ」

【概略】
上州武尊山の名は日本武尊の伝説からきているという。さっきまで
尾根の上のショウジョウバカマの赤いあざやかな花を眺めていたの
に、突然のかみなり。まだ深く積もった雪の中の虫が湧くような避
難小屋にとじこめられ、一晩中脅かされた。
・群馬県みなかみ町

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▼233号 「中ア・木曽駒ヶ岳聖職の碑」

【概略】
大正2年8月、中箕輪小学校の集団登山。木曽駒頂上は天候悪化。
小屋は全壊でハイマツを屋根がわりに一晩過ごした。翌朝、暴風雨
のなか下山したが途中で次つぎに倒れ校長以下11人が遭難死した。
その記念碑・聖職の碑は木曽駒北東の将某頭山近く天水岩付近にあ
る。
・長野県宮田村と木曽福島町との境

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▼234号 「和歌山・田辺市闘鶏神社の弁慶」

【概略】
武蔵坊弁慶は源平合戦のころ田辺にいた熊野別当湛増の子であると
し、闘鶏神社には弁慶の産湯の釜がある。?増は源平いずれにつく
か迷い、赤鶏と白鶏とを7回闘わせ、赤鶏がすべて逃げたので白旗
の源氏についた。以後ここを闘鶏神社と改めたという。
・和歌山県田辺市湊

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▼235号「静岡・大日峠登山口口坂本の七夕祭り」

【概略】
七夕が雨だと牽牛と織女が会えないという考え方(中国流)と雨が
3つぶでもふらないと七夕さまが天の川を渡ってしまい疫病神を生
むので降ったほうがよいとする農村の考え方(日本古来のもの)が
ある。静岡・井川湖へ続く山村口坂本ではいまでも7月7日、田畑
に七夕飾りを立て豊作を願う。
・静岡県静岡市

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▼236号 「東北・早池峰山早池峰ウスユキソウ」

【概略】
岩手県の早池峰山、エーデルワイスによく似たハヤチネウスユキソ
ウはここの蛇紋岩地帯だけに生える多年草植物。8月初旬、河原坊
キャンプ場で1泊、翌日、小屋の従業員が双眼鏡で山頂を監視して
いる。前日どこかの大学教授が無断採取したという。
・岩手県大迫町と遠野市、川井町との境

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▼237号 「岩手県・遠野市常堅寺の河童の狛犬」

【概略】
遠野市の常堅寺境内のこま犬は、頭にサラがある。お寺の裏にはカ
ッパ淵もあってカッパ祠がまつられている。昔、常堅寺が火事に襲
われたとき、河童淵の河童がその消火を手伝ってくれたという。の
ち、その河童が変化し、いまの常堅寺のカッパ狛犬になったという。
・岩手県遠野市

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▼238号 「奥武蔵・妻坂峠の一里地蔵」

【概略】
秩父から江戸、鎌倉へと通じる主要な道筋だった妻坂峠。鎌倉時代、
秩父の庄司・畠山重忠は鎌倉に遠征。その時、妻を峠まで見送らせ、
名残を惜しんだのが名の由来。正丸峠を通る国道299号線と西武秩
父線ができてからは訪れるのはハイカ−ばかりだ。
・埼玉県名栗村と横瀬町との境

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▼239号 「群馬県・迦葉山の天狗中峰尊者」

【概略】
上州迦葉山も天狗で売っている山です。いまでも夜中に天狗の羽音
がするとか、ゆうべ天狗に会ってきたとか山ろくの弥勒寺の和尚さ
んがのたまう。天狗の名は迦葉山中峰尊者。前身は弥勒寺の中興の
祖天巽慶順の弟子中峰と伝え、小田原最乗寺道了薩たの弟分だとい
う。
・群馬県沼田市

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▼240号 「丹沢・大山の石尊大権現の道標」

【概略】
昔は、富士講のお参りのル−トに、大山から富士へ、また富士の帰
りに大山へ寄る者もあったという。つまり、大山と富士山はセット
だったらしい。その時代の道標が大山南側の肩の石尊大権現の石柱
に彫られています。・神奈川県伊勢原市と秦野市との境

 

 

 

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