とよた 時・山旅イラスト通信【旧・ひとり画展】 

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▼このページの目次

191 奥多摩・御岳山奥ノ院日本武尊伝説
192 丹沢・不動ノ峰の不動さま
193 東北・吾妻連峰西吾妻山の天狗岩
194 中ア・木曽駒ヶ岳木曽側の神社
195 東北・会津磐梯山手長足長伝説
196 北ア・白馬三山鑓温泉湯引き工事
197 奥多摩・石尾根将門の馬場の伝説
198 丹沢・檜洞丸のホコラ
199 北ア・上高地河童橋の河童
200 富士山・富士登山者昔むかし

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▼191号 「奥多摩・御岳山奥ノ院日本武尊伝説」

【概略】
御岳山の御岳神社社伝によれば、創建は崇神天皇の時代(前97〜前
30年)という。その後日本武尊が白狼の案内で無事ここに訪れて陣
を張り、奥ノ院峰の岩倉に武具を納めたと伝える。そんなことから
御岳神社ノ院峰山頂下には、日本武尊をまつる男具那社が建ってい
る。
・東京都奥多摩町

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▼192号 「丹沢・不動ノ峰の不動さま」

【概略】
不動ノ峰の風化した不動像。かつて山伏たちが宮ヶ瀬から早戸川を
つめてやっと登りついた不動ノ峰。ここを霊地として定め、早戸大
滝の上の山に不動明王をまつったのだろうという。古文書『峰中記
略控』にも記載されている。
・神奈川県相模原市と山北町との境

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▼193号 「東北・吾妻連峰西吾妻山の天狗岩」

【概略】
吾妻連峰西方西吾妻山近くの吾妻神社(吾妻明神)は、大己貴神(お
おなむちのかみ)=大国主命(おおくにぬしのみこと)を主祭神に
大和武尊(やまとたけるのみこと)、菅原道真など50数柱をまつる
にぎやかさ。吾妻権現とも呼ばれる山伏の修行場だった。
・福島県北塩原村と山形県米沢市の境

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▼194号 「中ア・木曽駒ヶ岳木曽側の神社」

【概略】
この山には昔からすごい形相をした神馬が住むといわれ(「新著聞
集」(勝蹟篇第六))山名のもとになっている。天文元年(1532室町
時代)木曽上松の徳原長大夫春安が山頂に神社を建て保食(うけも
ち)大神をまつったのが山頂の祠のはじまりだという。
・長野県宮田村と木曽福島・上松町との境

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▼195号 「東北・会津磐梯山手長足長伝説」

【概略】
昔、磐梯山に住んでいた怪物は嵐を呼び雲を集め雨を降らせて農作
物を荒らし村人を苦しめたが、弘法大師に退治された。山頂肩の弘
法清水わきには大師の石像がまつられ、コンコンと清水が湧き出で、
登山者の絶好のオアシスになっている。
・福島県猪苗代町と磐梯町と北塩原との境

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▼196号 「北ア・白馬三山鑓温泉湯引き工事」

【概略】
大昔から山菜とりの村人たちに利用されていた白馬三山白馬鑓ヶ岳
直下の鑓温泉。麓にあれば湯治場として客寄せになると1876年(明
治9)、二股という場所まで温泉を引こうと工事をはじめたが、な
だれが三次郎飯場を襲い、21人の命を奪い工事は中断したという。
・長野県白馬村

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▼197号 「奥多摩・石尾根将門の馬場の伝説」

【概略】
石尾根には、将門にちなむ地名がならぶ。将門七部将が化石になっ
た姿とされる七ツ石山からつづく鷹ノ巣山東方に(将門の)城山が
あり、となりには将門の馬場もある。「承平・天慶の乱」平貞盛・
藤原秀郷の連合軍に討たれるまでこの地で馬術のけいこに励んだろ
うか。
・東京都奥多摩町

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▼198号 「丹沢・檜洞丸のホコラ」

【概略】
檜洞丸山頂にある寒田神社の石祠。そもそもここには山伏が建てた
ものか、祠がひとつあったという。いつの時代か山頂清掃の時偶然
見つけた朽ちた木祠を発見。昭和47年いまの石祠に建てかえたとい
う。大山祇神(山の神)を主祭神に猿田彦神、大己貴神をまつる。
・神奈川県山北町と相模原市の境

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▼199号 「北ア・上高地河童橋の河童」

【概略】
芥川龍之介の小説「河童」のヒントを得た河童橋は観光客でにぎわ
っています。この橋はいまの場所より上流の飛騨新道にかかってい
た与九郎橋だった。1891年(明治24)ころ、この新道を大改修した
ときに移設した。そこは河童がいそうな深い淵があったという。
・長野県松本市安曇

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▼200号「富士山・富士登山者昔むかし」

【概略】
富士山に最初に登ったのは木花開耶姫だという。2番は中国秦の徐
福(前330年)。3番めはあの大和武尊(西暦110年?)と伝えます。
4、聖徳太子(598年頃)。5、役の行者(680年頃)。6、都良香が
取材した人(898年以前)。7、僧末代(1149年頃)…私はいったい
何千万人めにあたるのでしょうか。
・山梨県と静岡県との境

 

 

 

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