とよた 時・山旅イラスト通信【旧・ひとり画展】 

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▼このページの目次

171 中ア・空木岳木曽殿越え
172 北ア・白馬岳は黒馬岳?
173 箱根・明星ヶ岳と道了尊
174 南ア・登山口井川湖の渡し船
175 南ア・荒川三山東岳(悪沢岳)の祠
176 東京・高尾山の天狗伝説
177 東北・秋田駒山頂の祠の伝説
178 神奈川県丹沢・姫次の伝説
179 北ア・後立山連峰の八峰キレット
180 北丹沢・焼山のホコラ

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▼171号 「中ア・空木岳木曽殿越え」

【概略】
空木岳北側の木曽殿越という鞍部。源平合戦の時、木曽冠者・源義
仲が馬もろともに太田切本谷を下り、伊那谷に侵入していった所と
いう。伊那の平家方・笠原平吾昭直の兵はクモの子を散らすように
逃げてしまったという。以後、ここを木曽の殿越と呼んだという。
・長野県駒ヶ根市と大桑村との境

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▼172号 「北ア・白馬岳は黒馬岳?」

【概略】
「ハクバ」だ・「シロウマ」だという、ちまたの白馬岳山名論争。
いまハクバ岳が普通になった。しかし、雪形としてあられるのは、
山の地肌が黒く浮き出した黒馬なのだ。なわ代かきの目安のな
わ代かき馬・代(しろ)馬岳はどこへ行っちゃった?
・長野県白馬村と富山県宇奈月町との境

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▼173号「箱根・明星ヶ岳と道了尊」

【概略】
箱根・大雄山最乗寺は曹洞宗の名刹。室町時代、僧了庵が創建した
ものという。その弟子の道了は怪力の持ち主。寺の完成後、師の了
庵が亡くなると、道了は寺を永久に守護するため、天狗の姿になっ
て空中に舞い上がり明星ヶ岳に飛び立ったという。
・神奈川県小田原市と箱根町との境

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▼174号 「南ア・登山口井川湖の渡し船」

【概略】
井川湖は、昭和32年に完成した日本最初の中空重力ダム。久しぶり
の南アルプス縦走の帰り、井川湖の渡し船に乗ってみようとわざわ
ざ途中下車。乗客は私ひとり。「ここはいまも県道の一部なので料
金はいらねェ。下は砂地だから飛びおりてくれ」。対岸には船着き
場もない素朴さだった。
・静岡県静岡市

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▼175号 「南ア・荒川三山東岳(悪沢岳)の祠」

【概略】
荒川岳は前岳と中岳、東岳の三山の総称。ここも信仰の山で名取直
江、堀本丈吉、堀本丈吉らが盛んに登拝したという。明治42年、
小島烏水らが登ったとき白木造りの祠と荒川大明神の木札があった
という。いまも山頂にこわれた木祠がころがっている。
・静岡市と長野県大鹿村

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▼176号 「東京・高尾山の天狗伝説」

【概略】
南北朝時代の永和年間(1375〜79)、僧・俊源大徳が高尾山の滝で
修行中、夢の中で飯縄権現を感得。その像をまつって本尊とし、修
験道の道場としたといいます。この飯縄権現は長野県飯縄山の天狗
・飯綱三郎の分家格。白狐に乗った荼吉尼天の姿だ。
・東京都八王子市

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▼177号「東北・秋田駒山頂の祠の伝説」

【概略】
その昔、この山にすむ手長・足長の神が、いまの国見亀の湯を見つ
け村人の病気を治させたという。この神は雪毛の神馬にまたがり、
女岳の馬場小路に遊んだが馬の死後、山頂に祠を建てたといういい
伝えがあり、いまも男岳山頂に赤い鳥居を前に祠がある。
・秋田県田沢湖町と岩手県雫石町の境

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▼178号「神奈川県丹沢・姫次の伝説」

【概略】
姫次の姫とは、安土桃山時代「天目山の戦い」で敗れた武田勢の旗
本・小山田八左衛門の娘折花姫のこと。姫は信長・家康連合軍の執
拗な追及にあい、ついにここで追いつかれ、短刀で自分ののどを突
いて自害したと伝える。「姫突き」が姫次に転化した地名だという。
・神奈川県相模原市

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▼179号「北ア・後立山連峰の八峰キレット」

【概略】
八峰キレットは、剱岳の八峰(やつみね)岩峰と区別してハチミネ
と呼んでいる。かつて登山者はこの切れこみを黒部川側へ大きく下
り、また登り返すルートをとって通過したという。ここを初めて通
ったのは、名前の通り八(はち)という猟師だとされている。
・長野県大町市と富山県宇奈月との境

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▼180号「北丹沢・焼山のホコラ」

【概略】
焼山の山頂に建つ3つの祠。ここは以前は鳥屋、青野原、青根の旧
3村の境界で、境界争いによる出火からたびたび山火事が起きたと
いう。そこで村々が集まり境界にそれぞれ石祠を建て焼山権現をま
つった。これが建ってからは山火事もなくなったという。祠はそれ
ぞれの村の方向を向いて建っている。
・神奈川県相模原市

 

 

 

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