【全国の山・天狗のはなし】  

▼40:奈良県の山

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▼01:奈良・役ノ行者小角

【略文】

全国の山々80座以上も開山したとされる役ノ行者。修行の末、空を

も飛べるようになり仙人になり唐に渡ったという。生家はいまの奈

良県御所市の吉祥草寺。いまも行者の産湯の井戸や腰掛けの岩など

があります。行者が修行したという金剛山や大和葛城山などがそび

えています。

・奈良県御所市

【本文】

 各地の岩屋、祠の中に役ノ行者(えんのぎょうじゃ)の石像もよ

くみかけます。やせた体に高げた、杖を持ちごわ−い顔をしてにら

んでいるあれです。かたわらに前鬼(ぜんき)、後鬼(ごき)とい

う2匹の鬼を従えています。役ノ行者は、飛鳥時代に修験道を開い

た行者で、全国各地の山やまを八十座も開山したと伝えます。平安

時代後期の文人大江匡房(まさふさ)が著した『本朝神仙伝』(ほ

んちょうしんせんでん)という本には、37人の仙人中、5番目に

も選ばれています。



 役行者は、本名役小角(えんのおづぬ)。634(舒明6)年1月1

日、いまの奈良県御所市茅原(ちばら)で生まれたという。現在も

生家の吉祥草寺(きちじょうそうじ)というお寺には「役行者産湯

の井戸」や「腰かけ石」のほか行者堂などがあります。(JR和歌

山線玉手駅から歩いて10分)父は賀茂(かも)の公(きみ)大角

(おおづぬ)といい、葛城山の神のお告げを朝廷に奏上する呪術者。

茅原郷は葛城山(いまの金剛山から大和葛城山などの一帯)のふも

と。



 小角は13歳のころからこの山に入り、松葉や木の実、薬草を食

料に蜂や谷をかけめぐったという。こうして自然と一体となって成

長した小角は、17〜18歳になると鳥獣を手なづけるまでになり、

ついに山の神である一言主(ひとことぬし)の神をを自由に使役す

ることができたという。やがて孔雀明王の法をあみだし、吉野大峰

の菊丈窟では「蔵王権現」を感得し、守り本尊としたという。



 その蔵王権現を感得したいきさつについて記載した本がありま

す。室町時代の『三国伝記』(さんごくでんき)(撰者・沙門玄棟・

さもんげんとう)には、行者は岩屋のなかに座し「この山の権現と

して、金峰鎮護の霊神となるべき端相をあらわし給え」と祈ったと

ころ、はじめに弥勒菩薩があらわれました。「この柔和で慈悲のお

像では争いに叶うべきか」と追い返し給うたという。



 さらに祈っていると次に千手観音が湧出しました。「この宝山を

守護するためには、この御像ではとても叶うまい」とまた追い返し

給うた。さらに祈り続けると、今度は釈迦如来があらわれました。

行者は「このお像でも六種の魔境(衆生が生死輪廻する魔境、天上

・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の6種)を退け、後のち百歳の悪

業深重の民衆に利益があるようには叶うことはとても難しい」とま

たまた追い返し給うたという。すると次に堅固不壊の身の金剛蔵王

が化現しました。行者は今度は「善なるかな」とその像を安置した

とあります。



 蔵王権現は「わが形がいかようであれば行者が用い給うか」とい

い、手でそばの岩の面を磨いて御影を写して見せると、岩の面は浄

らかな瑠璃のように明々と光って御影が写ったという。これを鏡石

という。行者は蔵王権現の像を山上より五里の去る金峰に移した。

今の蔵王堂がそれである。中は釈迦、東は千手、西は阿弥陀である

と出ています。



 また一方、江戸時代宝暦年間の『役公懲業録』(えんこうちょう

ごうろく)(僧・祐誠玄明著)には、(701年)行者68歳、公がま

さに大峰山を辞されようといわれた。後五百年、わが跡を慕って山

に入る人も多くいよう。神明の助けがなければ誰がこの畏れ多い途

を侵すことができよう。公は段を登り尊を選びたいと請いました。



 すると最初に弁財天があらわれました。行者は「威力はあるけれ

ども女性である」(いまの時代なら問題発言ですワナ)。公はまだ

まだと思いさらに祈ると、天女は天河に去っていきました。(これ

が奈良県天川村の天河弁財天だそうです)。次に地蔵菩薩が出現し


した。しかし「温和で厳しさがない。どうして悪魔を制することが

できようか。もっと荒々しい仏が欲しい」と祈りました。菩薩は吉

野の川上に去りました。


 すると突然凄天地が振動して大地からこんどは蔵王権現が湧出し

ました。その勢いは大きな峰も動かすほどでした。忿怒の相をした

その像は釈迦と観音と弥勒が合体した神でした。行者は「偉大なる

かな神の威徳。必ずやこの名山を鎮め護り、ますます民衆を集めて

竜華会(りゅうげえ・弥勒仏が竜華樹のもとで3度行う説法の会座)

にいたらせたい」と讃え、大いに喜大いに喜んだといいます。



 また、こんどは十五童子が地面から湧き出てきました。行者は8


人の童子(大峰八大金剛童子)を大峰に留めました。残りの7人の


童子を葛城に送ったという。



 さて役ノ行者の石像には、2匹の鬼がピタリとよりそっています。

前鬼(ぜんき)、後鬼(ごき)といい、行者の修行の邪魔をする敵

を排除する従者。兄弟だとも夫婦鬼だともます。前鬼は赤眼でおの

を持ち、後鬼は黄色い□をしているという。酒を飲み、眼を赤くし

て歌を唄っている夫鬼を、黄色い口を開けて笑う女房鬼をあらわし

ているのだとか。



 もともとは奈良・大阪の県境にある生駒山(いこまやま)に住ん

でいた盗賊だともいわれます。西暦673(天武元)年、役行者39

歳の時、奈良県平群町にある信貴山(しぎさん)の般若窟(はんに

ゃくつ)にこもります。しかし、この修行をはばむ外敵がいます。

牙をはやした2匹の鬼で身の丈(たけ)3m。



 怒った行者は空を飛び、鬼を追いかけ生駒山の奈良県側で捕まえ

(いまの生駒市鬼取の里・鬼取山鶴林寺)、髪の毛を持って大阪側

に連れて行き、髪を切って(いまの東大阪市髪切りの里・髪切山

(こぎりさん)慈光寺)(真言毘慮舎那宗)鬼たちを折伏(しゃく

ぶく)させたという(『役行者御伝証図絵』(1849年・嘉平2年刊)。



 こうして行者の忠実な従者になった鬼たちは、大峰山を開く時も

献身的に行者をたすけ、のち、行者の遺志どおり天狗になって前鬼

の里(奈良県下北山村)に住みつき大峰山を守ったという。いまで

も前鬼の里で、その子孫が宿坊を経営しています。



 さて、奈良県と大阪府にまたがる葛城山系から信貴山(しぎさ

ん)、生駒山(いこまやま)などで修行した役ノ行者小角(えん

のぎょうじゃおづぬ)は、すでに神格を具え、多くの弟子を従え

て、葛城山と大峰山と交互に住みわけていました。



 それを見習いこの二大聖地を目指して修行に入る人たちが次第

に多くなってきます。行者はひと飛びで両山を行ったり来たりで

きますが、普通の人は歩いて両方の山を往復するですから容易で

はありません。そこで行者は、葛城山と吉野金峰山の間の空中に

岩で橋を架けて近道をつくり、これらの人々を行き来させようと

考えました。



 『今昔物語』にも「優婆塞(うばそく)諸々(もろもろ)ノ鬼

神ヲ召シ集メテ仰セテ云ワク、我、葛木(かつらぎ)ノ山ヨリ金

峰ノ山二参ル(葛城山ト金峰山トニ橋ヲツクリワタセ、我カヨフ

「脱落部分あり」)道ト為ム、ト」とあります。



 すぐ役ノ行者の忠実な従者である前鬼・後鬼(ぜんき・ごき)

が全国の天狗や鬼神・山神たちを招集しました。集められた天狗

や鬼神、山神たちは、嫌々ながらそれでも仕方なく行者の命にし

たがい、大岩で橋のたもとを作りはじめますがなかなか仕事がは

かどりません。気の短い役ノ行者は工事の進み方が気に入らず、

やいのやいのとせき立てます。



 山神や天狗は、嘆き悲しみますが行者はゆるしてくれません。

天狗や鬼神たちは「私たちは姿形が見苦しいため、暗い夜に隠れ

て働きたい」というのを役ノ行者は叱りつけ、「なにを恥ずかし

がっているッ。早く作れ、もっと働け」と責め立てました。



 その山の神のなかに葛城山の一言主(ひとことぬし)の神もい

ました。ついに一言主の神は「それじゃ、こんなものやってられ

ねえッ」と、仕事を放り出してしまいました。怒った役ノ行者は

一言主の神に呪文をかけて、クズのつるで7周り巻いてしばり、

谷底に捨ててしまいました。それを恨んだ一言主神(ひとことぬ

しのかみ)が、都人(みやこびと)の心に取りつき「行者が謀反

をたくらんでいる」と朝廷にざん言します。



 驚いた朝廷は行者を捕まえようとしますが、行者は空を飛べるの

で捕まえられません。そこで役行者の母を捕え「空を飛ぶのをやめ

て観念しろ…」。親孝行な行者は自ら縄につき、捕らえられて伊豆

の大島に流されたという(『日本霊異記』平等初期、『本朝神仙伝』

平安後期の本)。こうして岩橋は未完成に終わったといいます。こ

の都人に中傷したのは、行者の弟子の韓国連広足(からくにのくらじ

ひろたり)だったとの説(『続日本紀(しょくにほんぎ)』)もあ

ります。



 その岩の橋の造りかけが大和葛城山の北側・岩橋山にいまでも残

っています。そのあたりにはない大岩でつくった橋のたもとは、大

峰山の方角に向かって積まれています。ただ大きな岩がほっぽり出

したように置かれているのがなんともおかしい。これでは役行者も

怒るわなと笑ってしまいました。



 朝廷に捕まえられた役行者小角は船に乗せられ伊豆の大島に向か

いました。船が静岡沖を通るころ、にわかにわきおこった黒雪のな

かに孔雀明王が姿を現し、船が転覆せんばかりにゆれたという不思

議なことが続きました。やっと伊豆大島についた役ノ行者は、昼間

は禁制を守っていますが、夜になると「こちらの時間だ」とばかり、

空を飛び富士山頂に登って修行したという。またあちこちの山々を

周遊したという。



 『役行者本記』によれば「飛鳥時代の天智天皇9(670)年、小

角は37歳。7月に大峰山を出発し、3日のうちに出羽の国の羽黒

山に着き、それから、出羽の国の月山・湯殿山・金峰・鳥海山、

奥州の秀峰などを巡って、22日後に大和に帰ってきたという。お

よそ里数にして三千百里」とあります。



 以下、赤城山、日光、弥彦山、立山、白山、越智山、比叡山、

愛宕山。白峰、富士山、箱根矢倉岳、丹沢大山、天城山、筑波山、

浅間岳、甲斐駒ヶ岳、御嶽山、鳳凰山、伊吹山、笠置山。五剣山、

背振山、英彦山、高良山、石鎚山、鹿児山、高千穂ノ岳、速日岳、

湯布岳、宇佐山、阿蘇山、朝倉山、宝満山、宗像山、面影山、岩

国山、厳島、式部山、黒髪山、伯耆大山、大江山、熊野三山、三

栖山、生駒山などとならびます。67歳までの間だそうです。しか

し山といっても名刹の山号もあるため、どこまで山の数に入れた

らいいのか迷うのが難点です。



 その後、ふたたび一言主の神が「行者を早く死刑にせよ」と天

皇に託宣します。朝廷から派遣された勅使が、行者を刀で斬ろうと

したところ、富士山の神の「行者の殺罪を免除せよ」との神言があ

ります。驚いた天皇は行者を赦し都に迎えます。役ノ行者68歳、

701年(大宝元)、あの大宝律令の年です。



 その時行者は、うらみを込め一言主の神を呪力で縛りあげ(葛の

蔦で7回りに縛ったともいう)、谷底に置きざりにしたという。そ

してその年、701年(大宝元)年6月7日、摂津国(せっつのくに)

大阪府箕面山(みのおやま・355m)から、母親を鉄鉢に乗せて海

へ浮かんで何処ともなく去ったといわれています。役ノ行者はつい

に仙人になったのです。



 しかし一言主の神は金剛山の蛇谷でいまも縛られたままだとい

う。いまでは黒ヘビになり、役ノ行者を恨む気力もなくなりただう

ごめいているだけだと書く本まであります。



 一方こんな話もあります。伊豆に流された行者は、3年後朝廷

に許され帰りますが、こんどは逆に富士山麓にはびこる悪神を退

治するよう勅命を受けます。行者は、御殿場で悪事を働く青竜を

仏化させ、次に須走村で2匹の鬼(前鬼後鬼ともいう)を改心さ

せて従者にしたといいます。



 行者は西湖の真向かいにそびえる十二ヶ岳の行堂で修行を続け

ます。十二ヶ岳の近くにある鬼ヶ岳は2匹の鬼の住処だったとい

う。その後、行者は富士山の小御岳から屏風岩を通り、富士山頂

に登って行ったと伝承されます。行者が富士山へ登った登山口は、

大島からの道すじにあたる須走口が有力で、役ノ行者に関する遺

跡や伝承が多く残りっています。また、静岡県御殿場周辺に多い

ツバキの木は、役ノ行者が伊豆の大島からタネを伝えたためだと

されています。そういえば大島はツバキの名所ですよね。



 その後、西遊記でおなじみの三蔵法師の弟子といわれる日本の

僧・道昭(どうしょう)が中国で修学を終え帰国の途中、高麗国で

日本語を話す行者と会い、名前を聞いたところ役ノ行者だとの事で

驚いたという話や、中国に渡って神仙になったいう話も伝わってい

ます。



 また、配流された伊豆大島に近い富士山麓では、西湖の真向か

いの十二ヶ岳も行者の修行した場所だとしています。その西にあ

る鬼ヶ岳は前鬼・後鬼の住処だったといわれています。いまでも

山頂には鬼のシンボルの「角」の形をした岩があります。江戸中

期には光格天皇から「神変大菩薩(しんぺんだいぼさつ)」という

贈り名を賜り、神格を備えたのでありました。



▼【参考文献】

・『役行者御伝記図会』(1850年・嘉平3年刊)(刊記:嘉永2己酉

年御免・嘉永3庚戌刻成)

・『役ノ行者御伝記』広安恭寿著(藤井文政堂刊)明治41(1908)年

・『役行者御伝証図絵』(1849年・嘉平2年刊
・『役行者伝記集成』銭谷武平(東方出版)1994(平成6)年

・『続日本紀一』:「新日本古典文学大系・12」(岩波書店)青木和

夫ほか校注1990(平成2)年
・『古代山岳信仰遺跡の研究』大和久震平著(名著出版)1990年(平

成2)
・『図聚天狗列伝・西日本編」知切光歳著(三樹書房)1977年(昭

和52)

・『仙人の研究」知切光歳(大陸書房)1989年(平成元)

・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)

・『日本神話伝説伝承地紀行』(吉元昭治著)(勉誠出版)2005年

(平成17)

・『本朝神仙伝』(大江匡房著)日本古典全書古本説話集 川口久

雄・校注(朝日新聞社)昭和46(1971)年

 

【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】制作処

 

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