【全国の山・天狗のはなし】  

▼27:神奈川県の山

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▼01:丹沢・相模大山伯耆坊

【略文】
大山は天狗の山。多くの天狗をとりしきるのが伯耆坊という大天狗。
名前の通りもと鳥取県の伯耆大山にすんでいました。ここにはもと
相模坊という天狗がいましたが、平安末期香川県の白峰山に山移り。
次いで伯耆大山から伯耆坊が移住したという。その祠が大山寺の脇
に鎮座しています。
・神奈川県伊勢原市。

▼01:丹沢・相模大山伯耆坊

【本文】
 神奈川県にある丹沢相模大山(さがみおおやま・1252m)は、石
を神格化した神である石尊大権現(せきそんだいごんげん)をまつ
っています。「大山まいり」という落語があるくらい、石尊大権現
を参拝するのはステータスだったという。

 この山は、近県はおろか遠く長野県のあたりにまで信仰されてい
たようです。JR篠ノ井線姥捨駅(おばすてえき)の近くの霊諍山
(れいそうざん)のずらりとならんだ奇怪な石仏のなかに相模大山
の石尊の石碑があります。

 「不動まで行くのも女だてらなり」。いまにも女性たちに怒られ
そうな川柳もあります。ここも江戸時代は女人禁制で、女性は山頂
の奥ノ院へは登れなかったといいます。

 大山ケーブルの途中・不動前駅にある真言宗・雨降山大山寺はも
と、現在の阿夫利(あふり)神社下社のところにあったのだそうで
す。それを明治維新の神仏分離令の時、いまの場所に移転したもの
だという。

 しかし、登山道が男坂に対して女坂があるとおり、ゆるやかな女
坂を下社、すなわちかつての大山寺までは女性も禁制ではなく登れ
たといいます。大山寺の本尊は大聖不動明王であり、冒頭の川柳の
意味がわかってきます。

 さて江戸時代、大山まいりに行くにはその前に水垢離をとるのが
しきたりだったといいます。大山石尊大権現参拝の唱え言葉に、「南
無帰命頂礼、さんげさんげ(懺悔懺悔)、六根罪障、おしめにはつ
だい(大峰八大の誤りといいます)、大山大聖不動明王、石尊大権
現、大天狗、小天狗」とあります。

 このように大山は天狗の山です。いまも、山頂奥ノ院には狛犬の
台座に、また下社から山頂へ登る途中の石尊大権現の石柱にも大天
狗、小天狗の文字が彫ってあるのが目につきます。

 大山には有象無象の天狗どもがすんでいるのだという。その我慢
邪慢(がまんじゃまん)の天狗どもを大親分天狗の「相模大山伯耆
坊(ほうきぼう)」が取り仕切っているのだそうです。

 この天狗は、京都愛宕山(あたごさん)太郎坊、鞍馬山僧正坊(そ
うじょうぼう)などとならんで「日本の八天狗」にも名を連ねてい
ます。伯耆坊というのは名前の通り、もと鳥取県の伯耆大山(ほう
きだいせん)にすんでいたからついた名前です。

 この山にははじめ、土地の名前・相模坊(さがみぼう)という天
狗がいたそうです。この相模坊が平安末期、香川県坂出市白峰山(し
らみね)に山移りし、次いで鳥取県の名峰・伯耆大山(ほうきだい
せん)から伯耆坊が移住してきたというのです。

 伯耆大山は、南北朝時代の抗争から伯耆の大山寺(だいせんじ)
の衆徒が派閥争いをはじめ、果ては互いの坊を焼き払い、とどのつ
まり大山寺まで炎上させる荒廃ぶり。それにあきれ果て、伯耆坊は
相模大山に移ってきてしまったのだといいます。その伯耆坊のホコ
ラがケーブル不動前駅の大山寺(相模)のわきに鎮座します。

 大山寺は昔はケーブル終点の阿夫利神社下社の所にあり、阿夫利
神社の別当寺(神社の経営管理を行う寺)でしたが、明治初年、時
の政府が神仏分離令を施行してから、廃仏棄釈のあおりで、荒廃の
一途をたどり、いまのところに降ろされました。

 天狗の祠もいまの下社のとなりにあったそうですが、天狗研究家
の知切光歳氏が長年放置されていた伯耆坊天狗の祠の礎石を発見。
それをそっくり使って昔通りの祠に再建したとききます。祠は参拝
者に見向きもされず、それでも大切に大山寺にまつられています。

 またいまの阿夫利神社下社の登山道わきにも伯耆坊天狗像の絵入
りの石碑が建っています。1958年(昭和33)、正宗得三郎描いた絵
をもとにして彫ったものだそうです。それにしても大山寺の天狗祠
は鍵がかけられて厳重です。一度でいいから中を拝ませてもらいた
いものですね。

 またこの山にはもう1狗(天狗は1狗2狗と数える)、阿夫利山
道昭坊(常昭坊とも)天狗がいることになっています。これは平田
篤胤(ひらたあつたね・江戸時代後期の国学者、神道家)が、門人
の下総柏井村(いまの市川市柏井)の住人・中尾玄仲から話を聞き、
自分の著書『仙境異聞』という本の中で紹介しています。

 この天狗は、同市の旅籠の主人藤屋荘兵衛のところへ遊びに来て
5、6日逗留、酒ばかり飲んでいました。その時したためた書面の
中に「日向国坂野上、常昭山人」田村氏とあり、相模大山にすんで
いると話し、法号を常昭(または道昭)といい、出身地が日向の国
(宮崎県)で苗字が田村某だという。

 そして丹沢大山にいることが分かりました。この平田篤胤一派の
神道家・島田幸安、宮地堅磐という人たちは、この天狗を見たとか、
うわさを聞いたとか書いているそうです。しかし、歴史的に新しい
事から見て、大山では中級天狗だろうとされています。



▼【データ】
【山名】雨降山・阿夫利山(あふりやま・あぶりやま)、国御山(く
にみやま)、大福山(だいふくさん)、如意山・阿倍利山

【所在地】
・神奈川県伊勢原市と厚木市・秦野市との境。小田急小田原線伊勢
原駅の北6キロ。小田急伊勢原駅からバス、大山ケーブル駅からケ
ーブル利用下社駅下車、さらに歩いて1時間30分で丹沢大山。三等
三角点(1251.7m、現地確認)と写真測量による標高点(1252m・
標石はない)と阿夫利神社奥社と電波塔がある。地形図に山名と三
角点の標高、標高点の標高、阿夫利神社の建物の記号と電波塔の記
号の記載あり。

※「地図閲覧サービス」と「電子国土ポータルWebシステム」地形
図には三角点と標高点があるが、「基準点成果等閲覧サービス」地
形図には両方とも記入がない。

【ご利益】
・御利益:豊作祈願・無病息災・家内安全・防災招福・商売繁盛な
どの祈願。とくに水に関係のある火消し・酒屋、またご神体の刀に
関係のある大工・石工・板前などの商売繁盛の祈願)。

【位置】
・標高点:北緯35度26分27.06秒、東経139度13分52.3秒

・三角点:北緯35度26分26.72秒、東経139度13分52.5秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」(国土地理院「地図閲覧サ
ービス」から検索)。5万分の1地形図「秦野−東京」(「電子国土
ポータルWebシステム」から検索)

▼【参考】
・『図聚 天狗列伝・東日本編』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭
和52)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)

 

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】制作処
山のはがき画の会

 

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