【全国の山・天狗のはなし】  

▼25:埼玉県の山

…………………………………

▼01:両神山・三笠山刀利天坊天狗

【略文】
両神山は江戸時代は木曽の御嶽教の行者で賑わった山。行者の唱え
る唱文のなかに御嶽山と同じ天狗の名が出てくる。一位ガタワ方面
にある刀利天坊天狗の像は、木曽御嶽山飛騨頂上にある刀利天像と
姿形がよく似ている。
・埼玉県小鹿野町と埼玉県秩父市との境
▼01:両神山三笠山刀利天坊天狗

【本文】
 埼玉県両神山は、修験道の祖で飛鳥時代に活躍したといわれる、
役ノ行者小角(おづぬ)が最初に開いた山といわれています。江戸
時代は修験者の道場として相当ににぎわったという。

 その後木曽の御嶽第2の登山口王滝口を開いた埼玉県秩父大滝村
(いまの秩父市大滝)出身の御嶽教普寛行者が本格的に開山。それ
にともない関東出身の弟子たちが定着、両神山はすっかり御嶽信仰
の山になり、木曾の御嶽神社や、天狗が勧請されました。

 そのため、両神神社本社の前には御嶽神社の祠があり、山頂東方
に、天狗たちがすむ木曽御嶽山の前衛の山々、三笠山、八海山の地
名もあります。

 この山は当然天狗でも名高い山になっています。山麓にも各地に
天狗社が散在しています。とくに東南麓、埼玉県秩父郡小鹿野町両
神(旧秩父郡両神村)出原地区に古くから伝わる木製の天狗像は逸
品だと評判です。

 また行者たちの唱える唱文のなかに、「三笠山刀利天坊(とうり
てんぼう)、八海山大頭羅坊(おおずらぼう)、阿留摩耶(あるまや)
山アルマヤ坊…」と御嶽山と同じ天狗の名も出てきます。

 大頭羅坊の石仏は、日向大谷からつづく表参道途中にありますが、
ほかの天狗たちはどこのあるのでしょう。ある日酔狂にも探してみ
ました。

 清滝小屋から上がった、「一位ガタワ」付近ではからずも刀利天
坊天狗の石像を見つけました。ここは以前、白井差方面への下山道
があったところ。いまは通行止になっています。

 やはり三笠山刀利天坊という名のとおり、ここにも三笠山という
ピークがあります。三笠山刀利天坊の石像は、本物の木曽御嶽山の
岐阜県側濁川温泉への下山口、飛騨頂上にもあり、ここの刀利天坊
の像と姿かたちがよく似ています。

 文字は風化して読めませんが、足の指に鳥のような爪があるのが
気になります。とすればこのあたり、まだ他の天狗もあるかも知れ
ません。ちなみに群馬県太田市の新田山でも御嶽権現の脇侍として
三笠、八海の天狗をまつっています。

 三笠山刀利天坊の別名は三笠山刀利天飛竜大権現。三笠山刀利天
坊は、長野県御嶽の首長天狗の御嶽山六尺坊の脇侍としての三天狗、
刀利天坊、大頭羅坊、アルマヤ坊の一狗(天狗は一狗、二狗と数え
る)。

 行者たちが唱える「神迎勧請祝詞」というものに、「恐れ乍ら之
の座に勧請し奉るは、……八海山大頭羅神王、三笠山刀利天飛竜大
権現、阿留摩耶山大権現、蔵王山大権現……」などと他の神々とと
もに出てきます。

 その分身は、越後三山の八海山、群馬県太田市の新田山、ここ両
神山など広く分散はしていますが、本もと長野県木曽の御嶽には爆
発以後も六尺坊以下天狗一族が鎮め支配しています。




▼一位ガタワ【データ】
【所在地】
・埼玉県秩父郡小鹿野町両神(旧秩父郡両神村)秩父鉄道三峰口駅
の北西14キロ。西武線秩父駅からバス・小鹿野乗り換え出原から
歩いて3時間で位置がタワ。付近に何もなし。地形図上には何の記
載もなし。一位ガタワより北方向直線約230mに清滝小屋がある。
【位置】
・一位ガタワ:北緯36度01分8.68秒、東経138度51分0.2秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「両神山(長野)」

▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典11・埼玉県』小野文雄ほか編(角川書店)
1980年(昭和55)
・『古代山岳信仰遺跡の研究』大和久震平(名著出版)1990年(平
成2)
・『図聚天狗列伝・東日本編』知切光歳(三樹書房)1977年(昭和5
2)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系11・埼玉県の地名』小野文雄ほか(平凡社)

 

…………………………………

【とよだ 時】 山と田園風物漫画
……………………………………
 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

 

【目次】へ戻る
………………………………………………………………………………………………