【全国の山・天狗のはなし】  

▼22:栃木県の山

……………………

▼01:日光の天狗「日光山東光坊」

【略文】
日光にいるとされる東光坊という天狗は、徳川家康の化身だといい
ます。しかし新参者のため、奥山の古い天狗たちを押さえる力がな
く、よく騒動を起こされました。そのため、奉行の水野出羽守は、
古峰ヶ原の大物天狗隼人坊との連名で退去の立て札を建てる一幕も
あったというウソのような話が残っています。
・栃木県日光市
▼01:日光の天狗「日光山東光坊」

【本文】
栃木県日光の男体山(なんたいさん・標高2484.2m)は、別称、
二荒山、国神山(くにかみさん)、黒髪山(くろかみやま)、日光
富士など呼ばれています。

松尾芭蕉の『奥の細道』4月1日の条に、黒髪山は霞かかりて雪
いまだ白しとの詞(ことば)書き(句が詠まれた時、場所などを
説明する文章)があって河合曽良の「剃り捨てて黒髪山に衣更」
の句が載っています。

さて、男体山は奈良時代末の782年(延暦1)、勝道上人が開山し
た時は補陀洛山(ふだらくさん)と呼んでいたという。のち、二
荒山(ふたらやま)と改めました。

さらに弘法大師空海が、二荒(ふたら)を「にこう」と読んだの
が、やがて「にっこう」に転訛、漢字を当てて「日光」の名が生
まれたとされています。

ところで、日光には東光坊(とうこうぼう)という天狗がいるこ
とになっています。この天狗は、徳川家康の化身だという説があ
ります。

家康は死んだあと神となってまつられますが、その神号はいま「東
照(とうしょう)権現」ということになっていますが、もとは天
狗と同じ名前の「東光権現」にする意見が大勢を占めていたと「東
照宮史」という文書にあります。

この日光の奥山には、昔から名前もついていない天狗がたくさん
いるのだそうです。そこへ突然、家康の化身の天狗が入ってきた
のです。

新米天狗のくせに東光坊などというリッパな名前まであり、しか
も人間どもがゾロゾロお参りに来るのです。当然、古い天狗は面
白くありません。

新参者とばかり、いちいち東光坊のやることをジャマをしたり、
無視したりバカにしたりして、騒ぎをよく起こしたという。

江戸も後期の1825年(文政8)、11代将軍徳川家斉(いえなり)が
日光にお参りに訪れることになりました。

そこで、その前年の1824年(文政7)に、日光社参奉行・水野出
羽守が日光にやってきて、日光の前山である古峰ヶ原(こぶがは
ら)にすんでいる大物天狗の隼人坊(はやとぼう)との連名で、
奧山の中の剣ヶ峰に高札を建てました。

内容は「来年、将軍が日光社参に訪れる。その間は騒ぎを起こさ
ないよう、昔から天狗の山といわれた京都の鞍馬山、愛宕山、静
岡の秋葉山、福岡県の英彦(ひこ)山など、他の山に移っている
ように」というものだったという。ウソのようですがホントの出
来事だという。こんな愉快な話、みなさん信じないでしょうねえ?



▼日光男体山【データ】
【所在地】
・栃木県日光市。JR日光駅からバス、二荒山神社前から歩いて3
時間40分で日光男体山。一等三角点(標2484.2m)と二荒山神社奥
宮と男体山神社がある。地形図上には山名と三角点記号とその標高、
二荒山神社奥宮の文字と男体山神社の鳥居記号の記載あり(別の位
置)。三角点より南西方向直線約83mに奥宮がある。また三角点よ
り西方向直線約173mに鳥居記号(男体山神社)がある。
【位置】
・三角点:北緯36度45分54.7秒、東経139度29分26.89秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「男体山(日光)」or「日光北部(日光)」(2
図葉名と重なる)

【参考】
・『図聚天狗列伝・東日本編』知切光歳(三樹書房)1977年(昭和52)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)

 

…………………………………

【とよだ 時】 山と田園風物漫画
……………………………………
 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】制作処
山のはがき画の会

 

目次へ戻る
………………………………………………………………………………………………