【全国の山・天狗のはなし】  

▼08:役行者と天狗

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▼01:奈良県大峰山・山上ヶ岳と役ノ行者

【略文】
山上ヶ岳の大峰山寺は役ノ小角行者が修行中に感得した蔵王権現
をまつっています。行者は全国各地の山々80座以上も開山したと
伝えられる修験道の開祖です。江戸後期になり、朝廷から「神変
大菩薩」の称号が贈られ、いま大峰山寺わきに「神変大菩薩壹千
貳百年御遠忌」の像が建っています。
・奈良県天川村。
▼01:奈良県大峰山・山上ヶ岳と役ノ行者

【本文】
 修験道の山山上ヶ岳。山頂には役ノ行者が感得した蔵王権現を
祭る大峰山寺があり、峰々のいたる所に行者の石像が建っていま
す。役ノ行者は本名役小角。修験道の開祖とされ、全国80数座の
山々を開いたと伝えられています。

 飛鳥時代の634年、舒明(じょめい)天皇6年(634)の正月、
大和国(奈良県)南葛城郡茅原(ちばら)、いまの奈良県御所市茅
原の吉祥草寺で生まれたとされています。

 吉祥草寺の境内には、いまでも行者が浸かった産湯の井戸や腰
掛け石があります。行者の本名は役ノ小角(えんのおづぬ)。役ノ
公(えんのきみ)、役優婆塞(えんのうばそく)、小角仙人などとも
呼ばれています。

 子どものときから神童といわれ、子供のころからひとり石を拾
っては仏像や仏塔を造っていたという。13歳のころから、葛城山
(金剛山)に入り、山の霊気と一体となり、家に帰らない日も多
かったという。

 32歳のとき、葛城山(いまの金剛山)に入り山岳修行。ついに
思いのままに行動できる呪術(じゅじゅつ)を得たといいます。3
9歳のころ蔵王権現を感得。62歳(伝記によっては64歳)の時、一
言主神の讒奏により朝廷の捕らえられ、伊豆の大島に流されます。

 しかし行者は、昼間は命に服してはいますが、夜になると波を
けり、富士山に登って修行したという。その後奈良へ帰った行者
は、母親を鉢に乗せ唐へ飛び立ったという。

 そんなことから「本朝神仙伝」は37人中、5番目の仙人にあげ
ています。江戸後期になると朝廷から「神変大菩薩」の称号が送
られ、いま山上ヶ岳大峰山寺わきに「神変大菩薩壹千貳百年御遠
忌」の像が建っています




▼山上ヶ岳【データ】
【所在地】
・奈良県吉野郡天川村。近鉄吉野線吉野駅の南東14キロ。近鉄吉
野線下市口からバス洞川下車、歩いて3時間30分で山上ヶ岳。一
等三角点(1719.2m)と蔵王権現を祭る大峰山寺がある。地形図
に山名と三角点の標高、大峰山寺と山上宿坊、西ノ覗岩大峰山寺境
内、東ノ覗岩の文字の記載あり。
【地図】
・2万5千分の1地形図:「弥山(和歌山)」or「洞川(和歌山)」(2
図葉名と重なる)
【参考】
・『日本霊異記』:中田祝夫校注・訳「日本霊異記」日本古典文学
全集・第6巻(小学館)1993年(平成5)
・『扶桑略記』阿闍梨皇円(?〜1169年)黒板勝美ほか編輯(新
訂増補国史大系第12巻)(吉川弘文館)1974年(昭和49)
・『本朝神仙伝』大江匡房著:(日本古典全書・古本説話集 川口
久雄・校注)(朝日新聞社)1971年(昭和46)

 

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 (主に画文著作で活動)
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