『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第18章「弘法山・八菅山・仏果山・三峰山周辺」

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▼09:白山

【本文】
 白山は、丹沢大山山地の前山、中津山地南部の丘陵、神奈川県厚木
市と清川村との境にあります。古くは印山(いやま)・井山とも呼ばれたそ
うで、いまでも東側山ろくに厚木市飯山(いいやま)という地名で残ってい
ます。ここの山頂にはクスの大木があり、近くの展望台からは厚木、相模
原市街から遠く都心ビル群まで一望できます。


 白山といえば北陸の白山(2702m)を連想します。それもそのはず、
山名は、北陸の白山と同じ「白山妙理大権現」(別名白山比淘蜷_)をま
つるところから起こったものだそうです。山頂の展望台から少し北に下っ
たところに、白山池という石で丸く組まれた井戸のような池があります。そ
ばに小さな白竜像も建っており、白山神社もあります。


 白山池は、飯山観音の化身の白竜の水飲み場だとも、白竜のすみか
だともいいます。白山池にはこんな伝説があります。日照りがつづいた
時、ふもとの村人は、小鮎川で雨乞いの行事をしました。それからここ白
山に登り、白山池の水をかい出して空にします。すると、飯山観音の化身
「白竜」は飲み水を求め、すみかの池の水を一杯にするため舞いだし、
雨雲を呼び雷鳴をとどろかせ、三日三晩雨を降らせたという。


 なんとも人間さまは頭がいい。おかげでこの池は、どんなときでも水が
涸れたことがないというから大したものです。この伝説から「白龍太鼓」が
創作され、ふもとの厚木市飯山集落に伝統芸能として伝承されていま
す。「かながわ民俗芸能50選」にも選ばれています。


 中腹には、飯山観音で有名な、飯上山(はんじょうさん)如意輪院長谷
寺があり、坂東三十三ヶ所の札所めぐりの第6番札所になっています。こ
こはサクラの名所で、縁結びの観音として若者の姿も多く見られます。高
野山真言宗で、本堂は神奈川県の重要文化財に指定されています。本
尊の十一面観音は、奈良時代の行基菩薩とか行基大徳とかいわれる偉
い坊さんの作だとされています。


 江戸時代に出版された、坂東霊場の最初の案内記『坂東観音霊場
記』(沙門亮盛)によれば、奈良時代の神亀2年(725)、行基が当地の
聖泉を訪れたとき、聖泉の中から金の十一面観音像が出現しました。そ
こで行基は、新たに5尺8寸(175.74センチ)の十一面観音像をつくり、
出現した観音を仏像の胎内に安置しました。このため人々はより篤く飯山
観音を信仰するようになったという。


 下って平安時代の大同年間(806〜810)になり、弘法大師空海が来
山、真言密教の道場になりました。その大同年間の後の弘仁年間、当地
の飯山権大夫という人が伽藍を造立、永延2年(988)に坂東三十三ヶ
所の第6番札所となったそうです。当寺近くには、本山派修験の竜蔵権
現社別当竜蔵院や熊野社、白山社があり、鎌倉時代から熊野系修験が
行われていたらしく、観音堂には修験道の祖役行者の石像もあります。


 白山をかつて印山(いやま)・井山などいったいきさつについて、江戸
時代の地誌『新編相模国風土記稿』村里部飯山村の項にはこんなことが
書いてあります。「江戸ヨリ十五里此(の)地ニ飯山ト唱フル、山アルニヨリ
村名トスト云(う)。飯山郷ト唱フ。按ス(ず)ルニ、和名抄(の)当郡ノ郷名
ニ印山(と)アリ、(其唱テ註セサレト(ママ)。例ニヨルニ、伊比也末ト唱呼
セシ事、必セリ(ママ)。印飯(の字が)音訓似タルヲ以(もっ)テ訛唱シ、今
ノ文字ニ改メシナラン、サレト猶古ク伊也末と唱ヘシ事證アリ。云々」とあ
ります。印山の「印」は飯山の「飯」と読みが似ているため、転化したのだ
としています。和名抄とは、平安時代中期につくられた辞書『和名類聚
抄』(わみょうるいじゅしょう)のこと。その愛甲郡の項に(玉川・英那・印山
・船田……)とあるのがそれ。


 また飯山観音について『新編相模国風土記稿』飯山村の項に、「観音
堂 飯山寺と号シ(観応元年ノ文書ニモ此(の)寺号見ユ)長谷ノ観音ト
唱フ、(嘉吉二年ノ鐘銘ニ飯山新長谷寺と彫ル)本尊十一面観音(長三
寸五分)ハ、閻浮檀金(えんぶだごん・仏教の経典に出てくる想像上の
金)ノ像ナリ、神亀年間堂地ヨリ西方四町程。字豊沢ト云所ノ清泉中ヨリ
出現スト云。


 今行基作同像(長五尺八寸)ノ腹籠リトス、又同作の像ヲ置。(2行:長
三尺五寸。元ハ彼黄金仏ヲ此像ノ腹籠トセシト云傳。)神亀二年行基開
闢(2行:按スルニ嘉吉ノ鐘銘ニハ行基再興ノ霊場トアリ)ノ地ニシテ、大
同二年弘法密宗ノ道場トス、永延二年坂東順詣ノ札所第六番トナル」と
記しています。ここも行基菩薩の名前が出ています。


 話は変わりますが、この地域には「飯山の七不思議」というのがあるそう
です。それは次のようなものです。(1)弘法の米とぎ水:厚木市飯山地区
の地名の起源とされる金剛寺の後ろにある、飯盛山から流れ出す水は、
弘法大師が托鉢でもらった米を、毎日山麓の庵でといだので、白く濁っ
ているのだという。そのため、「弘法の米とぎ水」と呼びます。(2)亀甲の
松:飯山観音には、「亀甲の松」と呼ばれる松があって、その松の幹の肌
が亀の甲羅のように「亀甲模様」になっていたという。


 (3)久保の万年橋:飯山に来た行基が、光福寺の前の小川に橋を架
けました。その橋が丈夫で、一度も架け替えられたことがないため、「万
年橋」と呼ばれていたという。(4)千ヶ沢の貝殻石:白山から小鮎川に流
れ込む沢で、貝の化石紋の入った石が見つかります。このあたりでその
石が見つかるのは千ヶ沢だけだという。いまでもその化石が見つかるとい
います。


 (5):弘徳寺の袈裟掛けの松:厚木市飯山字千頭にある弘徳寺には、
親鸞が関東布教の際に植えたという伝説があります。松はふつう葉は二
葉ですが、この松は親鸞の願いで、一葉になっているという。そこで「一
葉の松」と呼ばれていましたが、のちに覚如(かくにょ・親鸞のひ孫)が袈
裟を掛けたので、「袈裟掛けの松」とも呼ばれました。


 (6):恩曽川の片葉の芦(アシ・ヨシ):昔、近くを流れる恩曽川で川遊
びをしていた子どもたちが、河童のため水死しました。怒った住民は川を
せき止めて、河童を捕まえて問いただしました。河童は「もうやらないの
で、自分たちのすまいの片葉の芦のある場所なので、このまますむことを
認めて欲しいと」いったという。(7):白山池の霊水(白龍伝説):飯山観音
(長谷寺)を開いた行基菩薩が、この山を登り霊水が湧き出している池を
発見。加賀国白山の白山妙理大権現を勧請したという。ここの「白竜伝
説」は先に書いたとおりです。


 さて、白山のすぐ南側に狢坂峠があります。狢坂峠は、煤ヶ谷御門より
厚木市上古沢への通路で、人馬の交通路として重要な役割をもってい
た峠だったそうです。峠の名は、昔は「六箇名坂(むつなざか)峠」と呼ん
だそうです。六箇名坂とは、峠を結んだ6つの地区の名前のことらしい。
その六つの地区とは、白山橋、長沢、花立峠、月待橋、京塚、細入江の
六つの地名だという。


 『昭和57年度 清川村地名抄』(清川村教育委員会・清川村文化財
保護委員会)には、白山橋(白山おろす大吹雪)、長坂(長さか深き夏木
立)、花立場(花立つる場の遠ながめ)、月待橋(ばんばあ山の夕つくる
(月待山、一名ばんばあ山)、京塚(きょう塚告ぐるそはの鶯)、細入江(入
り江に垂るる山吹の花)と、解説しています。この峠道も、白山の北側をぐ
るりとまわっている小鮎川沿いに、車道が通ってからは廃道になってしま
いました。


 またさらに、南にある巡礼峠にはお地蔵さまが佇んでいます。ここはか
つての飯山観音への巡礼道でした。昔、巡礼にきた老人とその娘がこの
峠で、賊に惨殺された事件があったという。この地蔵像は、その霊をなぐ
さめるため地元の人が建てたものだといいます。また、小田原北条方の
間者が巡礼姿になって、峠の東方にある七沢城(上杉憲勝)を偵察した
ことからその名が起こったという説もあるそうです。のち七沢城は、小田原
城の支城となったとも、そのまま廃城になったともいわれています。



▼白山【データ】
【所在地】
・神奈川県厚木市と清川村との境。小田急本厚木駅からバス一本松
下車。約1時間。三等三角点283.84m。
【位置】
・白山:北緯35度28分17.8秒、東経139度17分54.78秒
【地図】
・2万5千分の1地形図:厚木。



▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『かながわの峠』植木知司(神奈川合同出版)1999年(平成11)
・『かながわの山』植木知司(神奈川合同出版)1981年(昭和56)
・『新編相模国風土記稿3』(大日本地誌大系21)校訂・蘆田伊人(雄山
閣)1980年(昭和55)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系14・神奈川県の地名』鈴木棠三ほか(平凡社)
1990年(平成2)

 

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