『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第18章「弘法山・八菅山・仏果山・三峰山周辺」

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▼07:経ヶ岳

【本文】
 経ヶ岳は丹沢山地の前山である中津山地に属する山。東方の厚木市
荻野地区からみると、山容がおだやかな感じのため、荻野富士などとも
呼ばれています。山頂からの眺めは、西に丹沢の山なみ、東に相模原、
南に厚木の町なみが望めます。


 江戸時代の地誌、『新編相模国風土記稿』(巻之五十八)華厳山の説
明のところに「往古役行者華厳経を比所の石櫃(2行書き:此石仏果山と
当山の界にあり、経石と呼ぶ、按ずるに、上荻野村松石寺の傳へには空
海経を納めしと云、)に納む、依って山名とせりと云、」とあります。この文
章のようにこの山には、山頂のすぐ西側に「経石」という、長さ2.2m、幅
1.65mの巨岩があります。その石には縦60センチ、横50センチくらい
のくぼみがあって、ここに経を納めたので経ヶ岳の名前があるという。


 また同書(巻之五十七)上荻野村に「○松石寺 華厳山と號す、寺伝
に空海華厳経を書写し、寺後西山の頂石函の蔵め(2行書き:今に頂上
に石あり、経石と名づく長七尺幅四尺許横の方に竪二尺横一尺五寸の
穴を鑿(※うがっ)て石蓋を設け、古より開きしことなしと云、域内より其地
迄、山中一里余を隔てり、)当寺を建立して華厳山乗碩(せき)寺と号し
密宗の律院とす」。


 さらに愛川町田代の勝楽寺の項に「○勝楽寺 曹洞宗。満珠山ト號
ス。本尊釈迦。相伝フ弘法法華経書写ノ旧跡ナリ。サレバ寺後ノ山ヲ法
華峰ト唱フ。(2行:他ノ傳ヘニハ華厳経書写ノ旧跡ニシテ。華厳山ト唱
フ。)初(め)ハ永宝寺ト云フ。後ニ改(め)テ常楽寺ト號し。其後今ノ文字
ニ改ムト云。」と併記、田代の勝楽寺は、弘法大師が法華経を書き写した
旧跡で、寺の背後の山を法華峰と呼び、納経をした巨石を経石と名づけ
たとしています。そして法華峰に納経したのは、役小角説と弘法大師説
のふたつの説があるとしています。


 そもそもこのあたりはおおざっぱに華厳山と呼んでいたらしく、またそ
れぞれの村自慢も加わって、山名、お経の名、人名など大分混乱してい
ます。しかし、お経を埋めたとされる石がある山といえば、やはりここ経ヶ
岳になります。その経ヶ岳に埋めた法華経を、弘法大師が煤ヶ谷で法論
を戦わせながら研究していた所、煤ヶ谷村の「法論堂」をいまでは「おろ
んど」と読ませています。


 この法論堂での法論にこんな話があります。法論しますがどうしても勝
負がつきません。そこで結局、法華経を埋めた巨石の経石を法力で宙に
浮かしたものが勝ちということになりました。弘法大師と相手のふたりで巨
岩を前に念力での勝負になりました。そしてこの岩をお経を唱え、宙につ
り上げたのは弘法大師だったということです。しかし、大師に負けた相手
はだれか、それは不明だそうです。


 ここにも三増(みませ)の合戦のエピソードが残っています。三増峠で
さんざん敗れた北条方の落ち武者たち、中津川を超え、やっと経ヶ岳に
たどり着きました。しばらく休み、これから下ろうとする清川村煤ヶ谷の法
論堂(おろんど)の方を見下ろして驚きました。甲斐武田の敵の兵隊が、
何百もの槍を押し立てて、待ち構えているではありませんか。「敵の武田
の軍勢が、もうこんな離れた法論堂まで追いかけてきたのかッ」。しかしす
でに疲れ切っている落ち武者たち、すっかり戦意が落ちてしまいました。


 討ち取られるよりは、潔く腹を切ろうと、ここで全員自害したということで
す。一説に、この時懐中にあった「経文」と「辞世」をそばにあった大石に
納めました。そこから「経ヶ岳」の名がついたという説もあります。しかし、
落ち武者たちに槍と見えたのは、農民がトウモロコシの実を刈りとったあと
の立ち枯れた茎だったのです。


 それからというもの、法論堂(おろんど)の集落では落ち武者たちの供
養のため、、トウモロコシを作るのをやめることになりました。それから年月
が経ち、江戸時代末期になって、ある農家が掟を破ってトウモロコシを作
ったという。ところがある日、夜中にその家の馬が小屋を逃げ出して、トウ
モロコシを全部食べてしまったという。ですが不思議なことに、馬小屋に
は馬が抜け出した様子は、まったくなかったということです。


 なお、経ヶ岳の山頂の西に半原越と呼ばれる峠があります。峠から経
ヶ岳山頂を通っては、矢倉沢往還と津久井往還を結ぶ甲州道のひとつ
が通じていました。この道は、かつては半原集落と煤ヶ谷集落を結ぶ交
易路だったそうです。煤ヶ谷は養蚕のさかんな集落で、一方、半原は撚
糸のさかんところでした。お互いの産物を背負い、村人はこの山道を越え
て行ったのでした。いま峠は削られ、整備された法論堂林道が走ってい
ます。



▼経ヶ岳【データ】
【所在地】
・神奈川県厚木市と愛甲郡愛川町・同郡清川村との境。相模線下溝駅
の西10キロ。。二等三角点(633.13m)がある。小田急線本厚木駅から
バス、半僧坊前下車。1時間30分で山頂。
【位置】
・二等三角点:北緯35度30分25.67秒、東経139度16分30.82秒
【地図】
・2万5千分の1地形図:上溝



▼【参考文献】
・『あしなか復刻版・第1冊』:「あしなか20輯」(山村民俗の会)1950年
(昭和25)
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『かながわの峠』植木知司(神奈川合同出版)1999年(平成11)
・『かながわの山』植木知司(神奈川合同出版)1981年(昭和56)
・『新編相模国風土記稿3』(大日本地誌大系21)校訂・蘆田伊人(雄山
閣)1980年(昭和55)
・「尊仏2号」栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成元)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)

 

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