『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第18章「弘法山・八菅山・仏果山・三峰山周辺」

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▼06:仏果山

【本文】
 丹沢山地東端の前山・中津山地に仏果山(ぶっかさん)があります。仏
果山は、山頂が神奈川県愛甲郡愛川町(あいかわまち)と愛甲郡清川村
の境にあります。747m。別称・南山、半原富士、おおどんがりなどとも呼
ばれます。「ぶっかさん」というのは、南ろくの清川村煤ヶ谷集落方面の
呼び方だという。東ろくの愛川町半原集落ではこのあたり一帯を
「南山」、また北ろくの旧津久井町(いまは相模原市)の長竹、韮
尾根地区では「半原富士」と呼んでいたそうです。


 高さのわりには見晴らしがいいので、南の経ヶ岳とともにハイ
キングコースとして親しまれている山。仏果とは、修行によって得
た仏の境地、さとりと辞書にあるように、いかにも仏教的な名前です。それ
もそのはず、山名は南北朝時代の高僧仏果上人の名にちなんでいると
いう。


 例によって江戸時代の地誌『新編相模国風土記稿』(巻之五十八・村
里部)には、「○佛果山、艮(うしとら)方に在(り)(高百五十間、)半原村
に跨りて頂を界とす、僧佛果(村内正住寺開山、)座禅せし處なれば名と
す(半原村にては南山と呼ぶ、)頂に座禅石あり(方六七尺)」とあります。
(このほか弘法大師が、ここに経文を納めたことに由来するという説もあり
ます)。


 仏果上人(禅師)は、南北朝時代〜室町時代の臨済宗の僧。建長寺
宝泉庵の開祖で、当世63世、正式名を天鑑存円(てんかんそんえん)と
いい、仏果は諡号(しごう・贈り名)。そんなエライ坊さんが、1380年(南
朝の年号の天授(てんじゅ)6)に、煤ヶ谷の寺ヶ谷戸集落にやってき
て、この山に登り、大石の上で座禅修業をしたという。


 その後、上煤ヶ谷に金剛山正住寺を開山したことから、「仏との出会
い」の意をこめて山名を「仏果山」、大石を「座禅石」と名づけ、また自らも
「仏果」と名のりました。仏果は干ばつの時、祈祷によって雨を降らせたり
して庶民の尊崇は厚かったという。こんなことがあって以後、このあたりで
修行を積む行者たちは、華厳山の蚕種石(こだねいし)、経ヶ岳の経石、
仏果山の座禅石で荒行をしたといわれています。


 仏果山の南側に「金冷の沢」と呼ばれる沢があります。その入り口には
3段の滝がかかり、最上段の滝の右側にあるのが「座禅石」だという。それ
は広さ10畳敷きくらい、高さ5尺くらいの平らな石。いまこの大石は下の
採石場わきにあるそうです。しかしこんな仏果山も、八菅の修験者たちは
無視し、峰入りのコースには取り入れていないのはどうしたわけでしょう。


 話変わって、この仏果山の東ろくに滝沢があり、「塩川滝」という滝がか
かっています。先の『新編相模国風土記稿』にこんな記事があります。
「○瀑布……。塩川滝或は塩竃の滝と云、水源は煤ヶ谷・田代・当村の
堺、字川こ(ママ)石と(ママ)云 山間より出 十町許(ばかり)にして字江
の島淵(広三間許、此淵浅深試むるに七十尋にして猶底に至らず、水脈
江の島に通じ、四月巳の日には潮さし入 故に塩川江ノ島淵の名ありと
云、)に至り、渓谷に臨み落る事二丈余にして、突出せる岩石に支へられ
夫より又五丈餘にして滝壺に至る、……。当所も八菅山修験の行所な
り」。


 この塩川滝の上流には、底なしの淵があって、それは藤沢の海の「江
ノ島」の洞窟につながっているというのです。そのためここを「塩川の滝」
とか「塩竃(しおがま)の滝」「江ノ島淵」という。淵の広さは、3間(5m半く
らい)四方で、深さは底知れず。その底は、江ノ島(神奈川県藤沢市)の
洞窟とつながっているという。そして4月の巳(み)の日(弁財天に縁のあ
る日)には、この山の中の淵に、江ノ島の海の潮が吹き上げるというから
不思議です。


 もうひとつ、この「塩川の滝」の東方、角田大橋のすぐ南に海底地区に
も同じような話が残っています。「弁天淵」といい、ここも江ノ島の弁天さま
の岩堂に通じているという。ここにはこんな伝説があります。「江ノ島の弁
天さまが、ある時何を思ったか、地の底の穴づたいにもぐり込んでここま
で来ましたが、さすがに疲れたか、たまりかね、地上に顔を出しました。


 それをみた村人はびっくりしたやら喜んだやら。近くの岩の上に弁天さ
まをまつったという。それからこの淵を「弁天淵」と呼ぶようになった」とい
う。そういえばこのあたりの地名を海底(うぞこ)というのも不思議です。こ
こに住む人たちは、源頼朝が平家を討つため旗あげしたとき、それに協
力した人々の末裔だといまも語り伝えているそうです。


 ちなみに、上煤ヶ谷にある正住寺には、「由井正雪の乱」の残党の供
養塔があります。これは慶安4年(1651)、由井正雪が幕府転覆を企て
たが事前に発覚。その残党がこの近くで捕縛され、処刑された時のもの
だそうです。



▼仏果山【データ】
【所在地】
・神奈川県愛甲郡愛川町と愛甲郡清川村との境。相模線上溝駅の南
西11キロ。小田急本厚木駅からバス、仏果山登山口下車、歩いて1
時間半で仏果山。三角点(成果亡失・747.1m)。地形図には山名と
標高(747m)のみだが(2008年ころ)「ポータル」で拡大すると三
角点(747.1m)があらわれた(2010年2月には現れなくなった)。
基準点成果等閲覧サービス」にも記載あり。地形図に山名と標高点
の標高。首都圏自然歩道の文字の記載あり。
【位置】
・標高点:北緯35度31分14.02秒、東経139度15分29.15秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「青野原(東京)」or「上溝(東京)」(2図
葉名と重なる)



▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『かながわの山』植木知司(神奈川合同出版)1981年(昭和56)
・『かながわの滝』相原精次(神奈川新聞社)1990年(平成2)
・『新編相模国風土記稿』(巻之五十八 村里部 愛甲郡巻之五 毛利
庄):大日本地誌大系21『新編相模国風土記稿3』編集校訂・蘆田伊人
(雄山閣)1980年(昭和55)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『尊仏2号』栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成元)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)

 

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