『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第17章「雨山・伊勢沢ノ頭・秦野峠・日影山・シダンゴ山・高松山」

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▼01:いまは静かな雨山峠

【本文】
 富士山が目の前にそびえる鍋割山の西南に、雨山峠(あめやま
とうげ)があり、さらにとなりに雨山(あめやま)(1176m)があ
ります。雨山の名は、土地の古老によると、この山に雲がかかると雨が
降るということからついた名ともいわれます。


 雨山峠は、鍋割峠・茅ノ木棚ノ頭から雨山・檜岳・伊勢沢ノ頭
へとつづく稜線と、南東の松田町寄(やどりき)集落から玄倉川
雨山橋、ユーシン方面への道が十字路になっている峠。


 昔、玄倉川沿いに玄倉林道のできる前は、西丹沢に入るのにはふた
つのコースがありました。ひとつは神縄(かんなわ)、玄倉集落から小菅沢
沿いに山神峠を越えて、いくつかの沢を横切り雨山橋手前の玄倉谷へ
出るもの。もうひとつは寄集落方面から雨山峠を越えて玄倉谷へ出るコ
ースです。


 かつて玄倉川の森林と渓谷美は、南アルプスに匹敵するとされ、また
表丹沢のポピュラーな沢登りに飽きると、西丹沢の深谷を秘めた沢に魅
力を求め、この峠を越える登山者が多かったのです。しかし、玄倉川林
道ができてからは、雨山峠を越える人はグンと減ってしまい、いまは静か
な山歩きを楽しむ人のみの峠になりました。


 ふもとの寄集落は、字(あざ)そのものの意味の集落名。明治8
(1875)年に、近郊の菅沼、弥勒寺、中山、土佐原、宇津茂、大寺、虫
沢の7村が寄り集まって、合併したことに由来するという。集落は恵まれ
た自然を生かし、自然休養村に指定され、養魚場設置、農道整備が行
われ、観光地として自然休暇村や県立青少年キャンプ場などがあり、民
宿も散在しています。


 集落内の字(あざ)弥勒寺地区は、江戸時代に編纂された相模国の地
誌『新編相模国風土記稿』巻之十七村里部に、「弥勒村 美呂久牟良
 江戸より行程二十一里、弥勒寺郷と唱ふ、東山家七村の一にて其原
村なりと傳ふ、村内に弥勒堂あり、古は弥勒寺と云り、故に村名となる、
……今(相模国小田原藩第7代藩主)大久保加賀守忠眞(ただざね)領
す」などと記されている古い集落。その他の集落も同書には次々と登場し
ています。


 寄集落の大寺地区裏には震丹郷(シダンゴウ)と呼ぶところもあります。
震丹とは、昔、インドで中国を指してのいう言葉で、寄はそんな歴史の古
さを秘る山間の集落だということが分かります。


 かつてここ雨山の峠道では悲しい事故もありました。1970年(昭和
45)の6月のこと、東京のあるワンダーフォーゲル部の先生ひとりと、女子
生徒12人のパーティが、豪雨のなか、雨山峠から寄沢を下っていまし
た。突如、ひとりの女子生徒が谷に転落したのです。それを助けようとし
た先生がつづいて転落してしまいました。


 ほかの女子生徒たちはなんとか救助されましたが、転落したふたりは
遺体で発見されたのです。「美しき自然とうるわしき人間愛を求めてここに
眠る」…。このふたりの霊をともらう追悼碑にはこのように記されています。
碑はひっそりと峠道に建てられ、ここを通るたびに登山者の涙をさそって
いました。



▼雨山峠【データ】
【所在地】
・神奈川県松田町と山北町(合併なし)との境。小田急新松田駅からバ
ス、寄下車。約2時間半で峠(950m)。さらに40分で雨山(1176m)。
【位置】
・雨山標高点:北緯35度26分35.9秒、東経139度07分39.04秒
【地図】
・2万5千分の1地形図:大山。



▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1991年(平成3)
・『かながわの峠』植木知司(神奈川合同出版)1999年(平成11)
・『新編相模国風土記稿』巻之十七「村里部」:大日本地誌大系19『新編
相模国風土記稿』(第一巻)(雄山閣)1980年(昭和55)
・『丹沢記』吉田喜久治(岳(ヌプリ)書房)1983年(昭和58)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)

 

 

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