『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第16章「大野山−神縄付近」

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▼03:西丹沢・丹沢湖湖畔玄倉(くろくら)集落

【本文】
 西丹沢の丹沢湖畔にある玄倉(くろくら)集落は、北東に檜洞丸(ひの
きぼらまる)、蛭ヶ岳(ひるがたけ)、丹沢山、塔ヶ岳などの峰が連なる静
かな山村で、丹沢大山国定公園の一部になっています。目前に広がる
丹沢湖は1978年(昭和53)に完成した三保ダム建設によりできた人造
湖。


 湖の誕生とともに五つの地区が水没。玄倉集落もその一部が湖水の
下に沈みました。いま残る地区は山のすそ野に階段状に家なみがなら
び、観光地として民宿や旅館が建っています。農業は蔬菜や茶、梅の栽
培が多少行われている程度。


 玄倉の地名は昔、武田信玄が金を掘りだし、それを貯える倉が
あったところだとか、武田の食糧倉があったからともいう。しか
し考えてみるに、小田原後北条氏の支配下だった西丹沢に、武田
の倉があったとは考えられないですよね。


 1590年(天正18年)の小田原征伐で北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされ
吉の支配下に。当時、秀吉は農民に当地への往還を命じ、保護のため
乱暴を停止する掟書を下しています。その掟書に「黒蔵」(玄倉のこと)の
文字が出てきます。


 江戸時代なると玄倉は小田原藩領になります。『新編相模国風土記
稿』によれば、寛文7年(1667)小田原藩第2代藩主稲葉正則(まさのり)
から当村山中の材木伐り出しを命ぜられ、トドマツ、ツガ、槻(ツキ・ケヤキ
の古名)、カシワ、松、杉、檜、栗などの材木を、川入場より酒匂川へ流し
て、網一色村材木揚場へ送ったという。


 『神奈川県の地名』には集落に近い玄倉川小川谷廊下の東沢と思わ
れる付近から「銅」の産出があったと出ています。やはり金ではなく銅だ
ったのですね。


 正則の動向や小田原藩の政治を記録した『稲葉永代日記』の「延宝元
年(1673)七月二二日条」にも、「小田原西郡之内玄倉山より出候銅」と
でてきます。延宝元(1673)年、銅の精錬の功に対して藩公から住民に
衣服・衣料を与えられたという。


 いまでも「玄倉山」(鉱山のあった東沢あたり)に、鉱夫相手の女郎た
ちが住んでいた小屋があったとされる「女郎小屋の頭」とか「女郎小屋
沢」の地名が残っています。


 一方、『皇国地誌』によると玄倉の地名の由来について、「今、
玄倉村と書す。是、孫(尊)仏山の金剛座席の正面なる谷の末に
して、塔ヶ岳の北に当たれり。村名は全くの凡語にして、倶盧倶
羅(くろくら)なり。倶留孫の留(の)文字(は)盧と相通ず。
孫の字を省きて、唯倶盧(くろ)と呼びしならん」。


 「また倶羅(くら)とは、即ち舎利塔の凡語なり。さて、倶盧
倶羅とは、やがて倶留孫仏の舎利塔ということなり。村内なる塔
ヶ岳は、倶留孫仏の舎利あるよりの名なれば、倶盧倶羅村なりし
を後いつしか今の文字に転ぜくならん」と書かれています。玄倉
(クロクラ)の名は、塔ノ岳にあった倶留孫(尊)仏のクロソン
がらみだというのです。


 郷土研究家の多くはこの説をとる人が多いという。しかし、玄
倉のクロは黒=暗い、もしくは端(田のクロなどという)の意で、
クラは切り立った岩をあらわす言葉であり(谷川岳の一ノ倉沢・
マナイタグラなど)暗い岩の切り立った場所だと、地元尊仏山荘
所属の山岳会「さがみの会」の故栗原祥氏は検証しています。


 ちなみに『皇国地誌』とは、明治の初期未完に終わった官撰地誌
編纂事業。全国の村々で明細な村誌を作製、神奈川県は明治18〜19
年に完成した文書です。


 この玄倉集落から東北にのびるのが玄倉川。酒匂川水系の一支流
で、上流の山々の沢水を集め、南西に流れて丹沢湖に注いでいます。2
級河川で長さ15.5キロ、流域面積45.5平方キロ。上流にある塔ノ岳の
雨乞いの仏さまで有名な尊仏岩のお祭りは毎年5月15日。その日はお
参りに行く人々で、玄倉川の谷は大いに賑わったそうです。明治以降
は、この狗留尊仏(くるそんぶつ)の信仰もすたれてしまいました。


 玄倉集落の菩提寺は黄檗(おうばく)宗実相寺(じっそうじ)は、寛文
10(1670)年、臨済宗から改宗したお寺で、日本の三禅宗の一宗派。
本山は京都宇治市黄檗山萬福寺になっています。境内に建つ青面金
剛像は、下方にニワトリが刻んであります。その他供養塔や観音像もなら
んでいます。夏はスポーツ合宿で湖畔に若者の声が絶えなくなったとこ
ろ。お年寄りが、境内の青面金剛像を磨くのに余念がありませんでした。



▼玄倉実相寺【データ】
【所在地】
・神奈川県足柄上郡山北町玄倉。小田急小田原線新松田駅からバ
ス、玄倉停留所下車、さらに歩いて5分で実相寺。黄檗宗実相寺(お
うばくしゅうじっそうじ)
【位置】
・実相寺:北緯35度25分4.6秒、東経139度4分15.5秒
【地図】
・2万5千分1地形図名:中川



▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『尊仏2号』栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成元)
・『日本歴史地名大系14・神奈川県の地名』鈴木棠三ほか(平凡社)
1990年(平成2)

 

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