『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第15章「三国山−不老山」

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▼02:明神山・明神峠

【本文】
 富士山と山中湖を一度に眺めることができる西丹沢鉄砲木ノ頭
(1291m)。ここにまつってある山中明神(山中諏訪神社)から明神
山ともいうそうです。それとは別に三国山から東にのびる「旧相駿国境」
の尾根上にも、もうひとつ同じ名前の明神山があります。


 そのすぐ西に明神峠があります。ここは南側は静岡県小山町で、北側
は神奈川県山北町の境。静岡県側御殿場方面から登ってくる道は明神
峠でふたつに分かれ、峠を越える道は神奈川県側、水ノ木橋から世附
川、丹沢湖方面へのびる林道になっています(ふだんはゲートが閉まっ
ており一般車は通行不可)。


 この林道は太平洋戦争中、木材の搬出路として造成されたところとい
う。かつては丹沢のアルペンロードとして利用されたことがあったそうです
が、車の事故が多かったという。もうひとつの道は本道で、山中湖・小山
線という舗装された県道です。この付近は明神峠自然環境保全地域に
なっています。


 峠は南側の展望がよく、箱根の連山、眼下に富士スピードウエイの車
が走るのが米粒のように見えます。この峠の「明神」は、三国山の北にあ
る鉄砲木ノ頭の別名、明神山に関係があるらしい。


 ずっと北にある大室山から三国山至る西丹沢主稜(旧甲相国境)、ま
た三国山から東へ湯船山、不老山へと向かう尾根「旧相駿国境」の稜線
は、相州、甲州、駿州国、それぞれの山の資源をめぐって平安時代から
抗争がつづいたところ。


 江戸時代後半の天保12年(1841)、甲斐国と相模国小田原城主(第8
代藩主)の大久保加賀守忠愨(おおくぼただなお)は、この稜線の検地
(土地調査)をすることになりました。


 その時、甲斐国都留郡平野村(山中湖村)の名主の長田勝之進は、
境界の目安になっていた明神山(鉄砲木ノ頭)山頂にある、山中諏訪神
社(明神)の奥宮の祠を、神奈川県山北町の(いまの)明神峠に移してし
まいました。少しでも甲斐国の土地を増やそうと思ったらしい。それからと
いうもの、いまの峠を明神峠というようになったという。


 その後、神社や氏子の有志が、もともと「奥宮の建っていたのは明神山
山頂である」ことを改めて認識。いまのように明神山山頂に「諏訪神社奥
宮」と確定して再建したのだそうです。このことは山頂にある山中諏訪神
社祠に埋め込んである「奥宮再建誌」の文章にもあります。


 それには次のように刻んであります。「諏訪神社奥宮再建誌 古文書
に曰く、往昔明神山頂に小祠を祀る、是現在の中野村山中字御所鎮座
の諏訪神社奥宮ならん、即ち天保十二丑年(※1841)十月、当時甲斐
国都留郡平野村名主長田勝之進は、相模国小田原城主大久保加賀守
と検地の際、甲斐国の為土地拡張を企画し、現存の明神山頂より現在の
鎮座地神奈川県足柄上郡三保村二之沢台地を明神峠と称し、此の地へ
奥宮を変遷せり。


 偶神社関係者及山中区有志諸彦(※げん)之を伝え聞き、参詣の砌
(みぎり)鎮座地たる真相を認め、この度役員会の議を経て諏訪神社奥
宮旧跡に前宮を再建し、奥宮同様に由縁(ゆえん)を永く後世に伝えんと
欲す、仰ぎ願わくば諏訪明神地の神域に降臨し給い、普く(※あまねく)
氏子崇敬■の幸福安全を守護し給はらん事を。昭和三十六年(※
1961)■月吉日 中野村山中 諏訪神社宮司 中村宇八謹誌、以下
氏子氏名列記」。


 このように領地を拡張するために、山の上にある祠を動かそうとする行
為は、北丹沢の大室山でもありました。江戸時代後期、当時大室山山頂
には、甲斐の国の道志側村がまつった「大牟連(おおむれ)山大権現」
の石碑があったという。甲斐側はこの石碑だあるため、ここが境
界だと幕府に思われるのは困ります。そこで神官が石碑をこっそ
り担ぎおろしたという。


 ところが、幕府は逆に何もない尾根上を境界とみなし、相模側
が主張するいまのような大室山から鐘撞山への国境線が引かれて
しまったということです。1847年(弘化4)のことだそうです(「道
志七里」)。


 最近、明神峠のあたりに、山中諏訪神社奥宮と銘のある祠があると
いうのを耳にしました。台座は平成18年(2006)と刻んであるらしい。い
までもまつる人がいるのでしょうか。明神峠の東、湯船山との間にも明
神山がありますが、ここの山名は長田勝之進の事件以後につけたの
でしょうか。


 ある年の2月、雪の中不老山から入りましたが、思ったより雪が深く、こ
んなところでラッセルというありさま。どうしても堪らず、白クラノ頭付近にテ
ントを張りもぐり込みました。翌日はうって変わってどしゃ降りの雨。生暖
かくブナの木に伝わる雨水がものすごい勢いでほとばしっています。


 「これ春一番ではないか?」。明神峠の鉄塔がうなっています。天気は
荒れ放題。あれだけ積もっていた雪が見る見る消えていきます。これでは
山中湖へ抜けるのは無理だな。峠のあずまやで計画を断念。御殿場駅
を目指して富士スピードウエイ方面のバス停に向かって退散したのであり
ました。



▼明神峠【データ】
【所在地】
・神奈川県山北町と、静岡県小山町との境。JR御殿場御殿場駅
からバス、明神峠入り口下車、さらに歩いて1時間半で明神峠。
【位置】
・明神峠:北緯35度23分58.55秒、東経138度56分25.44秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「駿河小山(甲府)」


▼【参考文献】
・『かながわの峠』植木知司(神奈川合同出版)1999年(平成11)
・『丹沢』羽賀正太郎(山と渓谷社)1980年(昭和55)
・『道志七里』伊藤堅吉著(山梨県道志村役場)1953(昭和28)年
・【山中明神・奥宮前宮資料・写真】諏訪神社奥宮再建誌

 

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