『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第13章「畦ヶ丸−菰釣山」

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▼07:鳥胸山・秋葉山

【本文】
 西丹沢甲相国境尾根(山梨、神奈川の県境)にある大界木山から、北
に派生する尾根上に「鳥ノ胸山」というちょっと変わった名前の山が
あります。山頂はやや広く平らで、ブナなどに囲まれ、西側は展望もよ
く、富士山・石割山から御正体山、また今倉山も望めます。


 鳥ノ胸山と書いて「とんのむねやま」と読み、別称を殿群山とい
うそうです。江戸時代後期の甲斐国四郡の地誌『甲斐国志』には、
「高叉(※大界木山)ヨリ丑(※北北東)ニ峯ツヾキ、殿ムレ山
(※鳥ノ胸山)ト云フ峯」とあり、殿ムレ山と書かれています。


 「ムレ」とは山の意味だという。山梨県都留市方面から道志村へ抜ける
道坂峠(どうさかとうげ)の隧道を抜けると、目の前の道志の谷が広がり、
その向こうにふたつの山が目に入ります。東の大きい大ムレ山、西手前
の方がトンノムレ山。東の大ムレ山は大室山で、大群権現がまつられてい
ます。


 「トンノムレ」は、その手前にあるムレ。入り口にあるとの意味のトバグチ
から、トバノムレがなまってトンノムレになったのではないかという。その上
明治になり、お上の陸地測量部の地図つくりがはじまります。その時鳥ノ
胸山と当て字し、地図に記入してしまいました。


 その結果意味不明の山になり、山の形が鳩や鳥の胸に似ているからと
の解説まで出てきました。またオトウト(弟)など年下をいう「オト」から、オト
ノムレが「オトン」となり、オが黙音になって、トンになったとも考えられると
の説もあります。山名とはなんともゴチャゴチャしたものですね。


 ちなみに昭和のはじめ、大森三郎(川崎吉蔵山渓社長)が、道志村の
白井差集落に一泊し、鳥ノ胸山から大界木山に登り、さらに畦ヶ丸へ登
攀したという記事を岩崎京二郎が「山渓」94号に書いてあるらしいです
が確認していません。


 鳥ノ胸山のすぐ北に秋葉山があります。「あきやさん」と読むそうで、
『甲斐国志』に、「殿ムレ山(※鳥ノ胸山)ト云フ峯ヨリ二町(218m)許(※
ばか)リ北ニ聳エタル孤峰アリ、城山ト云フ」とあり、かつては秋葉山を城
山といっていたらしい。烽火台のようなものでもあったのでしょうか。


 さて、その秋葉山のふもと、神地集落に伝わる伝説です。集落から都
留市方向の道坂峠(どうさかとうげ)へのびる神地沢。それがつまった地
点に、「御墓の沢」という小さな枝沢があります。


 かつてここには小さな石祠が建てられてありました。鎌倉-南北朝時
代、足利尊氏と対立した護良親王(もりながしんのう)が、足利幕府に捕ら
えられ、鎌倉で殺害されます。その首級を秘密にたずさえてきた親王の
愛妾・雛鶴姫は、ここまで逃げてくると疲労のため、息絶えてしまったとい
う。


 村人は哀れみ、近くの「棺場の沢」に生えている木を切って棺を造り、
姫の亡きがらを葬りました。そののちに、祠を建てて毎年3月15日に祭り
を行っていたという。しかし大正9(1920)年の洪水で、祠は押し流されて
しまったということです。


 そもそも護良親王とは、第96代後醍醐天皇の皇子大塔宮護良親王
(おおとうのみやもりながしんのう)のこと。建武中興の直後、父後醍醐天
皇とともに、時の幕府と対立したため、足利直義(ただよし)に捕らえら
れ、建武2年(1335)鎌倉の牢で首をはねられた悲運の皇子です。


 殺された親王は、殺害した渕部義博を、もの凄い形相でにらみつけな
がら死んでいったという。その恐ろしい親王の形相に渕部義博は恐れお
ののき、親王の首級を足利直義に差し出すのを忘れ、牢の近くの竹ヤブ
に捨てて逃げたという。


 これを知った雛鶴姫は、その首を探し出しお供とともに、鎌倉から逃れ
京都を目指しました。その途中、神奈川県相模原市(旧津久井郡津久井
町)から、ここ道志村へやってきて果てたたというのです。ただ甲州秋山
に入った鶴舞姫は、山梨県上野原市(旧南都留郡秋山村)無生野集落
でなくなったという説もあります。



▼鳥ノ胸山【データ】
【所在地】
・山梨県道志村。中央本線鳥沢駅の南12キロ。富士急富士吉田駅か
らバス中山下車。2時間で鳥ノ胸山。三等三角点(1207.50m)があ
る。地形図に山名と三角点の標高の記載あり。
【位置】
・三角点:北緯35度29分55.34秒、東経139度00分23.73秒
【地図】
・2万5千分の1地形図:中川。



▼【参考文献】
・『甲斐国志』(松平定能(まさ)編集)1814(文化11年):(「大日本地誌
大系」(雄山閣)1973年(昭和48)所収
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『尊仏2号』栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成元)
・『丹沢記』吉田喜久治(岳(ヌプリ)書房)1983年(昭和58)
・『道志七里』伊藤堅吉(山梨県道志村役場)1953年(昭和28)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)

 

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