『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第12章「大笄・小笄−加入道山」

…………………………………

▼06:大室山の石碑

【略文】
甲斐と相模は国境争いは、江戸幕府に裁定を仰ぐ騒ぎになりました。
当時、大室山には甲斐側の石碑がありました。甲斐にとっては、ここ
が境界だと思われるのは不利です。そこで石碑を隠してしまいました。
ところが、幕府は何もない稜線を国境にしてしまったという。
・神奈川県山北町と山梨県道志村と境

▼06大室山の石碑

【本文】
神奈川県と山梨県境の大室山は、丹沢のなかでも一番奥深い山です。
その山名は山梨県道志村の大室指(さす)集落の名の大室から来て
いるのだそうです。


また室は古くは牟礼とも書き、盛り上がっているという意味だそう
です。八王子の南方では大室山が富士山を隠してしまうので「富士
隠し」と呼ぶという。


昔からこのあたりの山中は良い木材がとれるため、その良材がとれ
る山域をわが村の管理下にしようと、甲斐の国(山梨県側)、相模
の国(神奈川県側)との国境争いが絶えなかったといいます。


江戸時代後期の天保年間(1830〜1844)、ついに幕府の家老が裁定
に乗り出しました。当時、尾根上の大室山山頂には甲斐の国の道志
側が祭った「大牟連山大権現」の石碑があったという。


甲斐側は尾根を越えて相模側に境界があると主張していました。こ
の石碑のため幕府にここが境界だと思われるのは困ります。そこで
石碑をこっそり隠してしまいました。


ところが、幕府は逆に何もない尾根上を境界とみなし、相模側が主
張するいまのような大室山から鐘撞山への国境線が引かれてしまっ
たというエピソードがあります。弘化4(1847)年のことだそうで
す。


このことは「甲州側諸役人は緊急指令を発し、村役人は鵜の目鷹の
目新国境を立証するに足る挙証固めに奔走、神官は挙って大室山に
馳せ登り、頂上に鎮座されていた大室大権現の神躰、大牟礼大権現
古碑を背負出し、甲州側の不利な実証を消し去らんと、軽かざる碑
石は小椿の神職若狭正の屋敷西南の土中五尺を掘り下げて、隠匿す
るという大騒までやってのけた。うんぬん」と「道志七里」(山と
民俗・山論)は伝えています。



▼【データ】
【山名・地名】大室山(おおむろやま)・大群山(おおむれやま)。
・【異名、由来】:八王子の南方では大室山が富士山を隠してしまう
ので「富士隠し」と呼ぶ。ムロ(室、牟婁)は、牟礼(ムレ)、村
(むら)と同じ意味で、大きな集落がある。などの説がある。
【所在地】
・神奈川県山北町と山梨県南都留郡道志村と境。中央本線四方津駅
の四方津駅の南11キロ。小田急新松田駅からバス・西丹沢下車歩い
て4時間で大室山。二等三角点(1587.6m)がある。そのほか付近
に何もなし。地形図上には山名と三角点の標高のみ記載。付近に何
も記載なし。
【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・二等三角点:北緯35度30分39.5秒、東経139度04分69秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「大室山(東京)」。



▼【参考】
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『コンサイス日本山名辞典』(三省堂)1979年(昭和54)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「尊仏2号」栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年
・「道志七里」伊藤堅吉(山梨県道志村役場)1953(昭和28)年
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)

 

…………………………………

 

 

【とよだ 時】 山の画文著作
………………………………
【ゆ-もぁ-と】制作処
山のはがき画の会

目次へ戻る
………………………………………………………………………………………………………