丹沢・山のはなし(加筆)
12:笄〜加入道山

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▼04富士隠しの大室山

【前文】
八王子近郊や相模原北部側から富士山方面を見ると、手前に大室山
が横たわり富士山を隠してしまうので「富士隠し」の異名があると
いう。江戸時代の地誌『甲斐國志』や、地元役場発行の『道志七里』
などにも記載され昔からいわれていたようです。
・神奈川県山北町と山梨県道志村との境

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▼04富士隠しの大室山


【本文】

 神奈川県と山梨県境の大室山(おおむろやま)は、丹沢のなかで

も一番奥深い山です。その山名は山梨県道志村の大室指(おおむろ

さす)集落の名に由来しているといいます。以前の地図には大群山

(おおむれやま)とも書いたものもあります。



 「むれ」とは古代朝鮮語の山の意味だそうで、牟礼(むれ)とも

書き、昔、道志村の椿村地区が山頂に奉納した石碑には「大牟連(お

おむれ)山大権現」と記されていたそうです。



 しかし、道志村の郷土誌『道志七里』に、大室(おおむろ)権現

や大室大神、または大室八幡神社など、牟礼や牟連ではなく、室と

の記述があったり、隣町の神奈川県津久井町郷土誌にも大室山と書

かれていて、なかなかどっちなのかははっきりしません。



 かつて人々は、人知を越えた自然の現象を恐れ、神を感じ敬いま

した。天に届くような高山が地震のために揺れ動き巨岩が砕け、大

木がへし折れ、土砂で押し流されるとき、人々は山そのものを神と

感じるのは当然です。その神意を感じる山が望めることができる場

所を神域とし、神聖な礼拝場所に定めました。



 そんな古い形をいまに残しているのがここ山梨県道志村にある大

室神社(大群(おおむれ)神社)です。この神社は丹沢の大室山(大

群山とも書く・標高1587.60m)をご神体とし、イニシエより雨屋

本殿をきらう神として伝えられています。



いまでも社は白木の建木だけで屋根がなく、そこに埋め込んだ神鏡

は雨ざらしです。この神鏡の裏側には何か意味あるものがあるらし

く、建て替えの時、宮大工だけが裏面を見ることが許されるといわ

れています。



 さて大室山から畦ヶ丸・菰釣山・三国山にかけての尾根は、神奈

川県と山梨県・静岡県の県境になっています。このあたりはよい木

材が採れる山だったという。かつて小田原北条氏の命令で伐り出さ

れた木材は、城のある小田原まで運搬されていたそうです。江戸時

代になると御木となって保護され、明治には御料林に指定されます。



 こんな山林ですから、相模の国(相州・神奈川県側)・甲斐の国

(甲州・山梨県側)・駿河の国(駿州・静岡県側)とも自分の領地

に有利にしたいところ。そんな中、甲州・平野村の名主・長田勝

之進らが相州から国境を越えて炭焼きに入り込む者ありという騒

動が起こりました。



 これが発端になり、大論争に発展していきました。1841年(天

保12)10月、ついに平野村の勝之進は幕府に幕府に告訴します。

西丹沢の菰釣山にコモを吊して立てこもったのはこの時だったそ

うです。



 相州側は中川村(現山北町)・青根村(現相模原市津久井)・青

野原村(現相模原市津久井)・牧野村(現藤野町)と甲州側は道志

村・山中村(山中湖村)・長池村(山中湖村)の3村)、駿州側は須

走村(小山町)の計8ヶ村に及ぶ国境論争です。



 甲州側の主張は、「道志川・神ノ川の合流点から長者小屋を経て

犬越路、中川川箒杉を進んで遠く倉骨峠・山神峠、さては三国山越

しに須走神社前まで」と申し立てました。一方、相州側は大室山か

ら畦ヶ丸から菰釣山などの峰続きと主張し幕府へ上訴。ついに幕府

の家老が裁定に乗り出すことになりました。



 当時、大室山山頂には甲斐の国の道志側が祭った「大牟連(おお

むれ)山大権現」の石碑があったという。甲斐側はこの石碑のため

ここが境界だと幕府に思われるのは困ります。そこで神官が石碑を

こっそり担ぎ下りて隠したという。



 ところが、幕府は逆に何もない尾根上を境界とみなし、相模側が

主張するいまのような大室山から鐘撞山への国境線が引かれてしま

ったということです。1847年(弘化4)のことだそうです。古く

は平安時代の797年(延暦16)中央政府の裁定からの国境紛争は、

千年にもおよんだわけです。



 そういえば、いまでも大室山から山中湖へ続く尾根上には、当時

の国境紛争を説明した掲示板が見受けられます。その裁定のとき、

幕府から派遣された家老は、文字通りのお年寄りで、自力では現

場の山頂に登れなかったという。



 仕方なくかごを雇って道志側から登ったという。そのことから、

家老が登った北東にのびる尾根を家老ノ尾根(またはカゴ尾根と

も)と呼びました。(いまは茅場が多いので「カヤの尾根」という)。

ほんとかいな。



 この山には「富士隠し」の異名もあります。八王子近郊や相模

原北部側から見ると富士山の前に大室山が横たわっていて富士山を

隠してしまうからだそうです。



 江戸時代1814(文化11年)、松平定能(まさ)という人が編集

した地誌『甲斐国志』の(巻之三十七・都留郡郡内領)に「大群山

高山ナリ麓ヨリ登ルコト五十余町頂ニ大群権現ノ社アリ此ノ峯富

士ノ東面ヲササ(遮蔽)フ故ニ武蔵ニテ富士隠ト云フ西ハ諸窪澤ニ

續キ戌ノ方ニ椿澤北ニ大ザスアリ峰ヨリ北ヘ分カルゝヲネハ其末道

志川ノ間ニ出ツ」とあり、「富士隠し」の名はかなり古くから呼ば

れていたようです。



 さらに、1953年(昭和28)に道志村役場から出された『道志七

里』(伊藤堅吉)に柳田國男が序文を寄せ「富士見町ヨリ富士山ヲ

望見スルニ『富士隠シ』ト称シ、一座ノ青山ノ外線極メテ雄渾ナル

モノアリテ其前面ニ横タハルヲ見ル。是レ陸地測量部ノ地図ニ所謂

大群山(一五八八米)ニシテ其頂点ハ正シク相模ノ足柄・津久井甲

斐ノ都留三郡ノ境ヲ為シ、道志ノ山村ハ即チ此連峰ノ北麓ニ拠レリ。

大群ノ『牟礼』ハ古語ノ山ヲ意味ス。以テ其命名ノ久キヲ知ルベシ」

と牟礼についても触れています。



 また、道志村は「横浜市民ふるさと村」になっています。神奈川

県横浜市と山梨県道志村とはどんな関係があったのでしょうか。こ

れに至るまでには次のようないきさつがあったそうです。




 明治16年(1883)当時、横浜市街と同地外国人居留地帯は水が

なく、日常の引用水にも乏しかったという。そこで横浜市は道志川

の水源に目をつけ、山梨県と売却要請を交渉します。その水を相模

原市津久井町青山から取水、横浜へ運ぼうというわけです。




 土地売却話には影で交渉に暗躍するものもあらわれ、1915年(大

正4)山梨県議会はあっさり可決。県はそのいきさつを地元道志村

に一切知らせないまま、横浜市と道志村のとの売買契約書に調印し

てしまったという。



 慌てた道志村は緊急村議会を開き、村会議員たちが県会議員に売

却撤回の陳情に行きましたがけんもほろろ。つづいて郡役所、山梨

県庁などに懇願書を提出しましたがすげなく却下されてしまいまし

た。



 こうして1916年(大正5)5月30日、地元民の意向も聞かず、

村の総面積約7000町歩中、4割に近い山林原野を横浜市に売り渡

されてしまったのだそうです。ちなみに代金は13万1414円96銭

8厘だったという。



 「2003年(平成15年)になり、道志村村民 653名(全住民の3

割超)の賛同をもって住民発議され、横浜市に合併を申し入れた。

しかし、距離のある越境飛地となり、また村議会や山梨県などの賛

同も得にくい状況であったため横浜市側から断ることとなった」と

いう(道志村ホームページ)。



 その後、2004年(平成16)になり、改めて両自治体は友好・交

流に関する協定書を締結、共同して道志川の水源林を保全している

そうです。やはりけんかより友好とするのがうまくいく方法ですね。




▼大室山【データ】
【所在地】
・神奈川県山北町と山梨県南都留郡道志村と境。中央本線四方津
駅の四方津駅の南11キロ。小田急新松田駅からバス・西丹沢下車
歩いて4時間で大室山。二等三角点(1587.6m)がある。

【位置】
・二等三角点:北緯35度30分39.5秒、東経139度04分6.9秒

【三角点】
・点名:大群山

【地図】
・2万5千分の1地形図「大室山(東京)」

▼【参考】
・『甲斐国志』(松平定能(まさ)編集)1814(文化11年):(「大日
本地誌大系」(雄山閣)1973年(昭和48)所収
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県」伊倉退蔵ほか編(角川書店)
・『コンサイス日本山名辞典」(三省堂)1979年(昭和54)
・『新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『道志七里」伊藤堅吉(山梨県道志村役場)1953(昭和28)年
・『日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)

 

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