『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第12章「大笄・小笄−加入道山」

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▼02犬越路

【略文】
犬越路は丹沢の主稜縦走路と東海道自然歩道との十字路。峠名は、
武田信玄が犬の先導でここを越え、小田原北条を攻めたという話か
ら来ているという。しかし、イノシシの「猪越路」とか甲州の方言
が由来だとする説も。また大越路、オイゴエジ、オオイヌコエジ、
とケンケン(犬々)ガクガク。
・神奈川県山北町と同県相模原市の境。

▼02犬越路

【本文】
丹沢の主稜縦走路・檜洞丸と大室山のほぼ中間にあるにある犬越路
(1060m)。ここはかん木が少なく、クマザサが風に揺らぐ明るい
峠になっています。


この峠は、昔から神奈川県相模原市(旧津久井郡津久井町)の青根
地区と同県足柄上郡山北町三保地区を結ぶ交易路だったそうです。
近くにヒノキづくりの避難小屋もあり、意味もなくここに滞在して
いる人も時おり見かけることもあります。


また明治の森を起点として発足した東海自然歩道がこの峠道を通っ
ています。さらに「西丹沢開発」と銘打って大工事の末、完成した
犬越路林道も峠付近の地下をトンネルで北側・神ノ川と南側・中川
川を結んでいます。


しかしこの林道は、完成はしたものの、1972年(昭和47)7月の
集中豪雨で林道があちこち崩壊。その改修で長い年月を費やされた
そうです。


戦国時代の永禄年間(1558〜1570)には、甲斐の武田信玄と小田
原の北条氏康はこの丹沢山塊で何度も戦ったといいます。ある時、
信玄が小田原の北条氏康を攻めるため、軍勢を引き連れこの地にや
ってきました。


その時、信玄は愛犬を先導させて峠を越えて行ったという。そのた
め「犬越路」の名が生まれたといいます。また別の説では、このあ
たりにはイノシシがたくさんいるといい、犬越路は「猪越路」から
きた名前だという。


しかし、丹沢に詳しい坂本光雄氏は『丹沢の山と渓』(1952年・昭
和27)(山と渓谷社)のなかで、甲州では山の中腹につけられた正
規でない険しい道を「オイ」と呼び、「オイを越える」が「オイヌ」
を越えるになり、「犬越路」になったと述べています。


さらに『丹沢記』を著した吉田喜久治は、犬越路の名前の由来には、

「箒沢と月夜野の犬がどうしたとか、信玄が犬を先頭に越えた、犬

ではなく猪だ、オイヌ越路が正しいなど、みんなとるにたらぬ俗語

またはもっともらしいこさえもの」だとにべもなく切り捨てていま

す。


さらに「犬越路の犬はイヌではなくオイで、大越路なんだ。オオ(大)
コエジがくせなまりでオイゴエジ、転じてオイヌコエジ、反転して
オオイヌコエジ、大犬越路、大に対して小、七曲がりのツメに小犬
越路ができてしまう。


そうこうするうちに大も小も影が薄れて、単に犬越路となり陸測図
に記入されてしまったということ」と断定しています。山名、地名
はなにかと喧喧諤諤(けんけん(犬々)がくがく)とにぎやかです。


さて地図を見ると、峠の北東にある神ノ川が北流、道志川に合流してい
ます。この神ノ川には折花神社や長者舎(ごや)、ババア宮、ジジ
イ宮などの地名があります。ここには折花姫や長者の悲しい物語が
伝えられています。


安土桃山時代の天正10年(1582)、織田信長の本格的侵攻により武
田勝頼は新府韮崎城に火をつけて退去。山梨県大月市にある家来
の小山田信茂の岩殿城を目指しました。しかし、笹子峠で小山田信茂
が裏切りをおこします。行き場を失った武田勝頼は、山梨県甲州市大
和村の天目山の近くで嫡男信勝とともに自害しました(「天目山の戦い」)。


こうして平安時代から続く甲斐武田氏は滅亡しました。その後小山
田信茂は、信長への帰参を請うのでしたが、返って不忠者として成
敗されてしまいます。この小山田信茂の一族に小山田八左衛門丞行
村(彦之丞)という武士がいました。彼は信茂留守の岩殿城で信茂
が信長に処刑されたという知らせに「織田は必ずここにも攻めてく
る」。行村は大月から神奈川県相模原市津久井地区へと入って行き
ました。


その一行の中に折花姫(おりばなひめ)という美女がおりました。
小山田行村は折花姫だけは逃がそうと自ら犠牲になり敵の弾に当た
り倒れました。そして、姫は翁と姥を伴って神ノ川に逃げていった
いうのです。途中、津久井地区の音久和(おんぐわ)という所まで
来ると姥が追っ手のために倒されました。そこが「ババア宮」で姥
ををまつっています。


姫は悲しみの中にも姥に手向けの念仏を唱えつつ、か弱い足で慣れ
ぬ山道を登っていきましたた。ここを「あみだ申し」というそうで
す。頼みに思う翁もついに敵に倒されてしまいました。


ここが「ジジイ宮」で翁をまつってあります。翁は宿命の姫の後ろ
姿に手を合わせて「お可愛そうな」とつぶやきつつ息をひきとりま
した。そこを「カアイおね」というそうです。


姫はひとり残され、さらに進むうちについに敵に追いつかれ、無念
の最期を遂げました。ここには「折花宮」というお宮がまつられま
した(折花姫が最期をとげたのは姫次という説もあります)。


いまも青根から犬越路に向かう途中、折花橋近くに折花神社という
神社があります。また上流の「山ノ神」には、宝のカメが七つ埋め
られていると古い文書もあるという。さらに長者舎(ごや)には天
野茂左衛門という長者が住んでいたという伝説も残っていて、敵に
そなえて鐘を突いたというされる鐘撞山もあります。



▼犬越路【データ】
峠名:(いぬごえじ)
【異名・由来】
・異名:猪越路
・由来:武田信玄が犬の先導で峠を越えたため。
【所在地】
・神奈川県足柄上郡山北町と相模原市(旧津久井郡津久井町)の
境。小田急小田原線新松田駅からバス、西丹沢停留所下車、さら
に歩いて2時間で犬越路。避難小屋がある。(そのほか付近に何も
なし)。地形図上には峠名(犬越路)のみ記載。
【地図】
・2万5千分の1地形図「中川」



▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『かながわの峠』植木知司(神奈川合同出版)1999年(平成11)
・『かながわの山』植木知司(神奈川合同出版)1981年(昭和56)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「尊仏2号」栗原祥ほか(さがみの会)1989年(平成元)
・『丹沢の山と渓』坂本光雄(山と渓谷社)1952年(昭和27)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)

 

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