『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第11章「同角山稜・ユーシン・山神峠」

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▼04玄倉山神(さんじん)峠

 神奈川県西丹沢の丹沢湖畔にある玄倉(くろくら)集落は、北
と北東に丹沢山塊の檜洞丸(ひのきぼらまる)、蛭ヶ岳(ひるがた
け)、丹沢山、塔ヶ岳などの峰が連なる山村。目前に広がる丹沢湖
の誕生とともに五つの地区が水没、玄倉集落もその一部が湖水の
下に沈みました。いま残る地区は山のすそ野に階段状に家なみが
ならんでいます。

 その玄倉から玄倉川上流・ユーシン方面へ行くには、いまは林
道を歩けば簡単にいけますが、かつては両岸切り立った本流沿い
に道はなく、苦労の通行だったといいます。当時玄倉川は、樹林と
谷の美しさで、南アルプスに匹敵されるともいわれるほどの秘境だ
ったところ。

 玄倉川上流部には玄倉集落に東側から流れ込む小菅沢に沿って登
りつめ、伊勢沢ノ頭(1177m)から北西ののびる尾根をたどり、
鞍部(いまの山神峠)に出て、さらにアッチ沢の源頭を横切り、蛇
小屋沢、板小屋沢などいくつもの沢を横切り、いまの第八隧道先の
付近に出たという。丹沢の黒部といわれるほどのきびしいV字谷が
つづくところ。そこを迂回し、玄倉川源流部への最短コースをたど
っていたらしい。


 明治38年(1905)の秋、武田久吉博士(明治、昭和時代の登山
家)が、日本博物学同志会の一行12人と、玄倉から諸士平、熊木
沢出合、尊仏の土平経由で、塔ノ岳へ登っていった記録をみてもそ
の様子がうかがえます。

 この道はまた、玄倉方面から塔ノ岳の尊仏岩にお参りするための
経路でもありました。5月15日の尊仏のおまつりには、村人はこ
こを通って、ことしの豊作や、これからまく作物の種の交換などに
往復したという。

 さて、その玄倉−伊勢沢ノ頭から北東への尾根上に山神峠があ
ります。階段を登ると大きな杉の木があり、その横には長い年月、
風雨にさらされ、朽ちた祠の中に花崗岩に刻まれた「山神宮」と
「水神宮」の石碑がちん座ましましています。


 この山神宮と水神宮は、江戸中期ころの明和6年(1769)、江戸
の回船問屋「紀ノ国屋」が寄進したものだという。峠の名もこの山
神さまをまつったところから名づけられたもの。

 山へ出入りする村人たちはその行き帰り山神さまに、一日の無事
を祈ったり、感謝の祈り捧げていたという。林業に携わる人たちに
とっては、やはり山を支配する山神が大切な存在であったわけです。
この峠には山神といっしょに水神もまつられています。

 前にも述べたように玄倉川は、丹沢の黒部とかいわれたこの渓谷。
一度起これば、大勢の犠牲者をともなう沢や川の氾濫を想像するに
難くありません。そんな悲劇が起こらないようにとの、村人の願い
であったことでしょう。


 山神さまの祠は1985年(昭和60)に地元猟友会の手で、再建さ
れたそうですが、いまは当時の面影はありません。峠の南側は、明
るい雑木林ですが、北側は深いヒノキの植林。峠の北側には丹沢の
山なみが広がっています。

 右から順に、丹沢山・不動の峰・蛭ヶ岳。荒々しいガレを見せて
いるのは西丹沢の山。檜洞丸は同角ノ頭に隠されてみえません。広
い河原は玄倉川です。このあたりは変化に富んだ沢が多く、沢登り
の人気スポット。

 ポピュラーな表丹沢の沢登りから、西丹沢の渓谷にあこがれてや
ってくるには、雨山峠とこの山神峠は、どうしても越えなければな
らない峠だったそうです。こんな峠を大きく変化させたのが、玄倉
川沿いに開発された林道。いまはすっかり訪れる人もなく、山神・
水神の祠も朽ちたままになっています。


 山ノ神は、大山祇神(おおやまつみ)をまつったりしています
が、民間信仰の山ノ神はいろいろで、あるところでは男神だった
り、女神だったり、十二様という12人の子持ちの神だったり、し
まいにはコワ−イおかみさんをもいうようになっています。


 4月の初め。小学生だった息子と、ここからユーシンに抜けよ
うと山神峠を訪れました。この間降った雪で、檜洞丸や、蛭ヶ岳
がまっ白になっています。峠から先は崩壊していて通行止めです。


 足元から、キジやヤマドリが飛び立ちます。突然ガサガサッと
鹿が飛び出しました。人が通らないので安心しきっていたらしく、
その驚きようったらありません。薮をわけ、谷を越えて姿を消し
ました。残ったのはそれこそ、「シーン」という音が聞こえてくる
ような静寂さだけでした。


▼山神峠【データ】
【所在地】
・神奈川県山北町、小田急新松田駅からバス、玄倉停留所下車、さ
らに歩いて2時間で山神峠(さんじんとうげ)。
【位置】
・山神峠:北緯35度25分55.17秒、東経139度05分46.8分
【地図】
・2万5千分の1地形図「中川(東京)」



▼【参考文献】
・『かながわの山』植木知司(神奈川合同出版)1981年(昭和56)
4月
・『尊仏2号』栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成
元)
・『日本山岳風土記3・富士とその周辺』(宝文館)1960年(昭和35)

▼04玄倉山神峠(終わり)

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