『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第10章「臼ヶ岳−檜洞丸」

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▼04檜洞丸でブロッケンを見た

 西丹沢の檜洞丸は、神奈川県山北町と同県相模原市の境にあり、
どっしりと落ちついた山容を誇っています。山頂は広場になってい
て、直下に青ヶ岳山荘があります。


 ブナの原生林におおわれ、展望はききませんが、木道の上から美
しいバイケイソウやマルバダケブキの群落が目を楽しませてくれ、
季節にはツツジの花も美しく咲いてくれます。


 檜洞丸の名は、洞穴のある大きな桧の木が生えている丸い山だか
らということになっています。しかし、洞とは沢のことで、丸は古
代朝鮮の言葉「マウル」のことで意味は山の意味だという。


 だから檜洞丸とは、「沢にヒノキの生えている山」だと解説して
います。なるほど山頂付近にはヒノキなんぞは1本もなく、うろの
あるシナノキばかり…。


 檜洞丸は山頂が広場になり、ブナの原生林におおわれています。
ところで、吉田喜代治氏の『丹沢』では、「檜洞丸」として、江戸
時代に編纂された『新編相模国風土記稿』の(巻之百二十)村里部
津久井県第五巻の内容を引用しています。


 それには「○袖平峯 麓より頂に至る凡三里半に余れり、山上に
大室権現を祀る、当村にて最も高き山なれば青根山とも呼、仲夏五
月にあらざれば宿雪消盡くせずと云ふ」とあります。


 この場合の袖平峯は、姫次近くの「袖平山」のことではなく、檜
洞丸のことでしょうか、またこの辺一帯をそう呼んだのでしょうか。


 ある年の11月初旬、西丹沢県民の森で野宿訓練を計画しました。
その前日知人の車で、丹沢湖玄倉から林道を通り、トイレ先に駐車。
登山口から紅葉通り分岐を経て、石棚山から檜洞丸経由犬越路方面
に向かいました。


 熊笹ノ峰から大笄(おおこうげ)を過ぎた辺りから神ノ川側に猛
烈なガスが湧いてきました。相模側は晴れて太陽が出ています。歩
く姿が立ちこめたガスに写ります。


 すると間もなく、金色の輪ができた次の瞬間、「あ、ブロッケン
だ」。ガスがたちこめた林の中に、紛れもなくはっきりした大きな
光の輪です。


 すかさず、北アルプスなどでやるように、手を挙げて振りました。
へ〜、こんなところで、丹沢の、しかも3、4mの近さ。気を取り
なおし、歩きはじめ、再び振り返ったときにはもう消えていました。
2000年(平成12)11月4日10時15分から数分間のことでした。



▼檜洞丸【データ】
【山名】
・【異名、由来】:檜洞(洞は沢の意)の奥にそびえているから檜洞
丸。北側の神ノ川方面では青ヶ岳または彦右衛門の頭と呼ぶ。神ノ
川はカモシカが多く、カモシカのことをアオといい、青ヶ岳はそこ
からきている。南側の中川方面では本棚裏と呼ぶ。
【所在地】
・神奈川県足柄上郡山北町と神奈川県相模原市(旧津久井郡津久井
町)の境。御殿場線山北駅の北13キロ。小田急新松田駅からバス・
西丹沢から歩いて3時間で檜洞丸。山頂最高ピークより北西に写真
測量による標高点(1151m)がある。地形図に山名と標高点の標高
・青ヶ岳山荘の記載あり。
【位置】
・檜洞丸最高点:北緯35度28分44.02秒、東経139度6分9.85秒
・標高点:北緯35度28分47.9秒、東経139度6分4.7秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「中川(東京)」



▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『かながわの山』植木知司(神奈川合同出版)1981年(昭和56)
・『新編相模国風土記稿・第五巻』蘆田伊人校訂(雄山閣)1980年
(昭和55)(大日本地誌大系23)
・「尊仏2号」栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成
1)
・『丹沢記』吉田喜久治(岳(ヌプリ)書房)1983年(昭和58)

▼04檜洞丸でブロッケンを見た(終わり)

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