『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第9章「焼山・姫次・袖平山」

…………………………………

▼04:袖平山

【本文】
 袖平山(そでひらやま)は、丹沢山地北端・焼山から南西に黍殻山、八
丁坂の頭、姫次、袖平山、風巻ノ頭とつづく尾根にならぶピークです。


 江戸幕府官撰による相模国(神奈川県)に関する地誌『新編相
模国風土記稿』(江戸後期中半・1841年・天保12成立)の巻之百二
十、青根村の項に、「○青根村(阿遠禰牟良) 江戸より十九里、
……、東方青根村に達す、……、東の一方は青野原村の原田聯緜(※
連綿)し、其他は?峰亘嶺(※さんぽうこうれい)、嵯峨??(※ちょうぎょ
う)として、圍繞(※いじょう)せり、」……「中にも其(の)最聳(※しょう)たる
は袖平(曽天多伊羅)、君ヶ谷(岐美我也)切橋(機利波之)澤塞(佐和布
佐幾)焼山(也計也麻)糠又(奴加麻多)等の諸嶽、霄(しょう)を摩して羅
立せり、……」。


 また、「○御林山二……。○袖平峯 麓より頂に至る凡(そ)三里半に
余れり、山上に大室権現を祀る、当村にて最も高き山なれば青根山とも
呼(ぶ)、仲夏五月あらざれば宿雪消盡(しょうじん)せずと云ふ、」とつ
づいています。


 こうみると昔は袖平峰といい、読み方も曽天多伊羅(そでたいら)
で、山頂には西方に聳えている大室山(1588m)の神、大室権現をまつ
っていたようです。また青根村の名をとって青根山と呼んでいたのです
ね。


 さらに仲夏五月とは、こよみの四季の分類のなかでの仲夏、つまり芒
種(いまの暦で6月6日ごろ〜7月6日ごろまで)をいうようです。旧暦の五
月(サツキ)のことらしい。このころまで残雪があったなんて、地球温暖化
のいまとても考えられないことですね。


 またこのあたりに札掛の山毛欅(ブナ・?)という木が生えていて、かつ
て修験者がこの木に札をかけて、護摩を焚き、法行をすると、神隠しにあ
って行方不明になっていた人が、突然あらわれるという験力のいい伝えも
あるそうです。


 いま地図などにふつうに袖平山とありますが、先の江戸時代の地誌に
もあるように、袖平峯とか袖平(曽天多伊羅)と書かれています。少なくと
も昭和55年(1980)のガイドブックには、袖平山を「袖平ノ頭」、姫次を
カタカナで「ヒメツギ」と書かれています。袖平(そでたいら)と呼ばれてい
たものがピークなので「頭」がつき、いつの間にか山がついて袖平山(そ
でひらやま)になってしまったようです。


 また一刀両断で記述する吉田喜久治氏は『丹澤記』のなかで、「袖平
は檜洞山群の定評ある展望台。富士、大ムレ、大コーゲ、檜洞、臼、ヒル
−なじみ深い山々谷々に一別以来の挨拶を交わす……。エビラ(道志
川から袖平山へ突き上げるエビラ沢のこと)のビラはソデヒラのヒラと同じ
で山中にある相当に広い緩斜面又は山腹をいうもの。従って平の字をあ
てるのは誤りである」と、切り捨てています。


 一方、津久井町教育委員会が発行した『津久井町郷土誌』には「草巻
の峰」あるいは「袖平の頭」と記されています。「草巻の峰」の意味は不明
です。


 私たちある山岳会のメンバーが、ここ袖平尾根を訪れたのは初秋の
土、日曜日でした。山行計画は、「野宿男」とあだ名されたとおり、今回も
野宿にしました。われわれビンボー人は、山小屋の宿泊代がイタイ。タダ
の野宿が一番です。


 西丹沢から入り、檜洞丸から大笄(こうげ)、ヤタ尾根、神ノ川上流の河
原に降り、流木を集めて小さな焚き火。ゆれる炎を一晩中ボーっと見つ
めてウトウトします。


 ……天目山の戦いのあと、山梨県大月駅前の岩殿城をあとにした美し
い折花姫。一族と丹沢の奥深く神ノ川上流めざして逃げますが、織田信
長方の執拗な追っ手に父親を殺され、お付きの姥も翁も銃弾に倒れまし
た。ひとり取り残された姫は、姫次というところあたりまでいったとたん大勢
の敵に囲まれ、自らの懐剣でのどを突いて果てたという。ゆれる焚き火の
火をを眺め、夢うつつで、はだしの姫が風巻ノ頭から袖平山への坂道を
逃げていったような……。


 そんな妄想の中をグルグルしているうちに空がうっすらと明るくなってき
ます。翌日、ゆうべ姫が逃げていった?急坂を登り、風巻ノ頭へ。ここは
東海道自然歩道の一部で、風巻ノ頭には休憩舎もあります。もうろうとし
た頭では、富士山、蛭ヶ岳、檜洞丸、大室山などの展望などはよく覚えて
いません。


 袖平山から姫次、黍殻山、焼山の順序で西野々に下りました。バスに
乗り橋本駅につきました。誰からともなく、打ち上げをやろうということにな
りました。メンバーのひとりの様子が変です。飲んべえの彼が早く帰るとい
う。夕べの野宿で湧き水を汲みに行くのを面倒がり、沢の水をそのまま飲
んでしまったらしい。おかげで一晩中お腹がゴロゴロ。そういってくれれ
ば薬持っていたのに。気の毒なことしたなあ。


 なお袖平山の西にある風巻の頭は、山頂付近が一年中風が渦を巻いて
吹いているというのが語源らしい。



▼袖平山【データ】
【所在地】
神奈川県相模原市(旧津久井郡津久井町)。中央線藤野駅の南12キ
ロ。JR中央線藤野駅からバス、やまなみ温泉下車、藤野町営バス東野
行き乗り換え、終点東野で下車、さらに歩いて3時間20分で袖平山。三
等三等三角点1431.83m(点名:青根村3)。
【位置】
・袖平山:北緯35度30分39.31秒、東経139度7分34.41秒
【地図】
・2万5千分の1地形図:青野原。



▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『新編相模国風土記稿5』(大日本地誌大系)蘆田伊人校訂(雄山閣)
昭和55年(1980)
・『丹澤記』吉田喜久治(丘書房)1983年(昭和58)
・『日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)

 

…………………………………

 

 

【とよだ 時】 山の画文著作
………………………………
【ゆ-もぁ-と】制作処
山のはがき画の会

目次へ戻る
………………………………………………………………………………………………………