『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第8章「不動ノ峰・鬼ヶ岳・蛭ヶ岳」

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▼06蛭ヶ岳の意地悪シカ

 神奈川県丹沢山塊の最高峰の蛭ヶ岳(ひるがたけ・1673m)は
塔ノ岳方面からでもよく目立つ山です。蛭ヶ岳の広場に立つと富
士山や南アルプスが正面に広がり、野生の鹿がよく顔をのぞかせ
てくれます。

 この山にはかつて薬師如来がまつられていたそうです。蛭ヶ岳
のヒルとは何でしょうか。ノビルなど植物のヒル類からの説。山
の形がお坊さんのかぶる毘廬帽(びるぼう)に似ているという説。

 また山伏たちが本尊と仰ぐ大日如来の異名である毘盧舎那仏(び
るしゃなぶつ)から、毘盧(びる)ヶ岳といったものがなまった
のだともいわれています。(表尾根に木ノ又大日、新大日が祭られ
てあるので大日の名の重複をさけたらしい)。


 さらにヤマヒルがいるからついた名前なのだと諸説ふんぷんと
しています。しかし蛭ヶ岳でヤマヒルに血を吸われるという被害
は聞いたことがないし、植物のヒル類もきわだつほどでもありま
せん。そんなこんなで宇宙仏といわれる毘留舎那仏説が有力にな
っているそうです。

 そういえば、地元の古老が子供のころは「ピルヶ岳」と呼んで
いたとなにかの本で読んことがありましたが、やはり毘留ヶ岳が
なまったものでしょうか。毘盧舎那仏とは大仏さまのことだそう
です。

 毘盧舎那仏は華厳(けごん)経というお経に説かれている仏さ
ま。お釈迦さまのようにこの世に生まれてくるのではなく、蓮華
蔵(れんげぞう)世界という極楽浄土(ごくじゅらくじょうど)
におれるという難しい話がものの本に載っていました。


 ある年の初秋、カモシカ山行(夜通し歩く強行山行)で、夜に
大倉尾根から登り、蛭ヶ岳のホコラの前で朝食をとりました。山
の中では誰もいじめたりしないので、すっかり人間になれてしま
った野生の鹿がそばに来て、シキリに食べ物をねだります。


 生態系?によくないと知らんぷりをしていたら、目の前でジャ
ージャーと放尿の仕返し。なんという態度だーッ。鹿にもなめら
れるようになってしまったな。


▼蛭ヶ岳【データ】
【所在地】
・神奈川県山北町と相模原市との境。小田急渋沢駅からバス、大
倉から歩いて6時間30分で蛭ヶ岳。写真測量による標高点(1673
m)と蛭ヶ岳山荘と木曽の御嶽大神の祠がある。地形図に山名と
標高点の標高、蛭ヶ岳山荘の記載あり
【位置】
・標高点:北緯35度29分10.76秒、東経139度08分20.05秒
【地図】
・旧2万5千分の1地形図「大山(東京)」



▼【参考】
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『新編相模国風土記稿』:大日本地誌大系23「新編相模国風土記・
5」編集校訂・蘆田伊人(雄山閣)1980年(昭和55)
・「尊仏2号」栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成
1)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)

▼06蛭ヶ岳の意地悪シカ(終わり)

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