第8章「不動ノ峰・鬼ヶ岳・蛭ヶ岳」

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▼04:丹沢蛭ヶ岳はヒルか、ひる、それともビル?

【略文】
丹沢の蛭ヶ岳の山名は虫のヒルか、植物のヒルか、僧の毘盧帽子(毘
盧舎那仏)などの説があります。そのうち、有力視されていたのが
毘盧説でした。しかし、毒虫のヤマヒルを見たという人があらわれ、
有名な登山家武田久吉博士が、ビル説を取り消し、ヤマヒル説を称
えています。
・神奈川県山北町と相模原市との境

▼04:丹沢蛭ヶ岳はヒルか、ひる、それともビル?

【本文】
 丹沢山塊の最高峰である蛭ヶ岳(1673m)のヒルという名前のつ
いて、ここでもケンケンガクガクするほどたくさんの説があります。
「虫のヒルがいる」、「植物のヒル類(ノビルなど)が生えている」、
「山の形が坊さんがかぶる毘盧帽子(びるぼうし)に似ている」、
「山頂に毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)をまつってある」など。

 虫のヒルとは毒虫のヒルです。人の血を吸うあのヤマヒルです。
この山には、そのヒルが多いので、山名が蛭ヶ岳だというのです。
しかし、蛭ヶ岳で山ヒルに血を吸われたという話は聞かないという。
植物のヒル類も、山の名前になるほど際だって多いわけではありま
せん。

 いま有力視されているのが、山の形がお坊さんのかぶる毘廬帽(び
るぼう)に似ているという説です。毘廬とは毘盧舎那仏(びるしゃ
なぶつ)で宇宙仏といわれる仏さま。

 江戸幕府編纂(1830・天保1)の地誌『新編相模国風土記稿』(巻
之百二十一村里部津久井縣巻之六毛利庄)鳥屋村の項には「蛭嶽 
一に毘盧嶽に作る、縣中第一の峻嶽なり」とあり、「びるヶ岳」説
の記録があります。

 さらに相模原市津久井町鳥屋地区の天野増氏は、子どものころは
「ピルヶ岳」といったというのです。この古老の呼んだ「ピルヶ岳」
というのは「毘盧ヶ岳」がなまったものらしい。

 その昔、修験者たちが修行の場を大山からはじまり、表尾根を経
て次第に奥へ広げて行きました。そして丹沢の最高峰である蛭ヶ岳
に、修験行者たちが本尊と仰ぐ仏である大日如来をまつります。

 しかし、表尾根上のピークにすでに「木ノ又大日」、「新大日」の
名があります。そこで、密教で唱えられる大日如来の異名の、毘盧
舎(庶)那仏を蛭ヶ岳の山頂にまつりました。そんなことからいま
の蛭ヶ岳を「毘盧ヶ岳」と命名したといわれています。

 毘盧舎那仏は、華厳(けごん)経というお経に説かれていて、お
釈迦さまのようにこの世に生まれてくるのではなく、蓮華蔵(れん
げぞう)世界という、極楽浄土(ごくじゅらくじょうど)におられ
るという仏さま。

 なんとも難しい話が、ものの本に載っていました。奈良東大寺の
大仏はこの毘盧舎那仏だそうです。このように、やはり毘盧舎那仏
説が有力になっているようです。

 しかし、山村民俗の会発行の「あしなか41輯」(1954年(昭和29)
刊)に、山村民俗の会会員の釜井盛四郎氏の記事に、こんなことが
載っています。

 「山蛭。与瀬から夜行で焼山から……(中略)……。塔ノ岳を通
って大倉に抜けたときのことである。蛭ヶ岳の頂上ではものすごく
濃い霧に襲われ、着衣はしっとりと濡れて寒さに唇の色まで変わっ
てしまった。

 やっと丹沢山に着き、三角測量の櫓の下で焚き火をして、暖を取
り始めた。軍手を脱ぐと、手首になにやら青黒いヌラヌラしたもの
がついている。よく見ると、いわゆる山蛭であった。どこでついた
のか分からないが、蛭ヶ岳あたりらしい。

 蛭ヶ岳という名はおそらく山蛭からきているものと思われる。丹
沢山塊の各方面にわたって歩いた私の経験の中では、蛭ヶ岳付近以
外では山蛭をみたことはなかった」とあります。

 この記事を見て、植物学者で登山家で有名な武田久吉博士は、次
のように付記しています。「幾回かの丹沢入りの経験を持ちながら、
未だかつて山蛭を見たことがないので、もう絶えたものかと山と渓
谷社発行の『丹沢の山と渓』に記したが、釜井氏の記事によって、
根絶しなかったことを知った。

 蛭ヶ岳の名は、動物の蛭ではなしに、山容が毘盧帽子に似るがゆ
えだなどと、戦前議論されたこともあったが、私は今日では、むし
ろ山蛭からつけられた名だろうと考えています」と、毘盧舎那説か
らヤマヒル説にくら替えしています。

 このような説に加えてスゲグサ説というのがあります。『丹沢記』
(吉田喜久治氏)によれば、エビラ沢(※神ノ川の支流・袖平山に
突き上げる)には、「菅ヒラ」と呼ぶ植物があるらしい。菅とは笠
や蓑をつくるときの材料のスゲグサ(※カヤツリグサ科スゲ属のカ
サスゲなどのことか?)のこと。これを飯豊赤谷川というところで
は「ヒル」というらしいが、丹沢でそういうかどうかは確かめてい
ないとあります。

 また、富士山の北に連なる御坂山塊にある蛾ヶ岳は、甲府盆地か
ら見て太陽がその上にくると昼になるという説と、蜀(しょく・中
国いまの四川省)の蛾眉山に似ているので「蛾眉峰」とも呼ばれて
いる説とがあり、丹沢の蛭ヶ岳の名もそこからきているという人も
いると紹介しています。

 しかし、氏は文字に付会したコジツケと思うと一蹴しています。
まだまだ山名論争はつづくのでしょうか。やってください。人のけ
んかは面白い。


▼蛭ヶ岳【データ】
【所在地】
・神奈川県山北町と相模原市(旧津久井郡津久井町)との境。小田急
渋沢駅からバス、大倉から歩いて6時間30分で蛭ヶ岳。写真測量によ
る標高点(1673m)と蛭ヶ岳山荘と木曽の御嶽大神の祠がある。
【位置】
・標高点:北緯35度29分10.76秒、東経139度08分20.05秒
【地図】
・2万5千分の1地形図:「大山(東京)」



▼【参考】
・『あしなか復刻版・第三冊』:「あしなか41輯」(山村民俗の会)
1954年(昭和29)
・『新編相模国風土記稿』江戸幕府編纂(1830・天保1)の地誌(巻
之百二十一村里部津久井縣巻之六毛利庄):大日本地誌大系23「新
編相模国風土記・5」編集校訂・蘆田伊人(雄山閣)1980年(昭
和55)
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『丹沢記』吉田喜久治(岳書房)1983年