第7章「丹沢山・丹沢三ツ峰」

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▼05:本間の頭

【本文】
 東丹沢の主脈にある丹沢山から、北東へ延びる丹沢三ツ峰。その一
番東のピークが本間ノ頭です。江戸幕府編纂の地誌『新編相模國風土
記稿』には丹沢三ツ峰の記載はありません。しかし、本間ノ頭の名は西
側を流れる早戸川の支流「本間沢」から名づけられたという。


 本間の文字が最初にあらわれるのは鎌倉後期。元亨3年(げんこう・
1323)鎌倉の円覚寺(臨済宗)の『北條貞時十三年忌供養記』という文
書。「要(?)木採用所々、……相模國奥三保屋形山、給主合田左衛門
三郎入道、鳥屋山 給主本間五郎左衛門尉、各被成遣奉書」と、本間
五郎左衛門尉の名が出てきます。このあたりの要人だったようです。


 それとは別に、当時このあたりを治めていたとされる本間氏という人が
いて、そこから来ているのではないかとされています。一方、ガイドブック
「丹沢山地」(日地出版)などを書いた宮坂和秀氏は、「宮ヶ瀬ではホンマ
ノ頭をひゃっこい水の頭」ともいっているとのこと。


 ただ第2次大戦前の昭和14、5年(1939、40)ごろ、地元で本間ノ
頭に「三ツ峰東峰」という標識を、ひとつとばして太礼ノ頭に「三ツ峰中
峰」、瀬戸沢ノ頭(いま三ツ峰に見做(みな)されていない)に「三ツ峰西
峰」という標識をたてたという。したがって北側の山ろくでは本間ノ頭とは
いっていなかったようです。


 本間ノ頭に真北から突き上げる早戸川の枝沢に「鳥屋金沢」という沢
があります。またその東方、高畑山の北側には宮ヶ瀬金沢という沢があ
り、このあたりは金の鉱山でもあったのでしょうか。


さて、明治時代のはじめのこと、どこから聞いてきたのか、鳥屋金沢に金
が出るとのウワサを聞いて、若者がひとりやってきました。小曽本村という
からいまの東京都青梅市黒沢の住人「クビチョウ」こと、柳川長吉という青
年でした。長吉が野望に燃えてやってきたものの、この沢で出るものは、
金ではなく黄銅鉱でした。


 彼の金を掘り当るとのもくろみは消え失せ、故郷に帰るのもはばかりこ
の土地に居つきました。そしていつしか鳥屋村の女性と暮らすようになっ
たという。長吉青年は故郷で覚えたのか、祭ばやしが得意でした。村人
は長吉に祭ばやしを教えてもらいました。


 祭ばやしは村中に広まり、神社で盛んに囃されるようになりました。そ
の後、同居していた女性と別れ、鳥屋村の川下の串川村というところに移
り住みました。さらに縁あって、川尻村中沢(いまの城山町)の某家の養
子になって亡くなったという。


 村々では「お囃子」も次第に忘れられていきましたが、串川地区の青
山神社では、「首長ばやし」の祭ばやしとして、いまでも受け継がれてい
ます。もし彼が金を掘り当てていたら「お囃子」なんぞ、村人に教えなかっ
たでしょう。


 本間ノ頭に突き上げる「鳥屋金沢」は、丹沢山ろくの村を富ますことは
ありませんでしたが、伝承芸能を村人たちに残すことになったわけです。
ちなみに「首長ばやし」のというのは、柳川長吉の首が傾いていたためつ
けられたということです。


 後日談:この祭ばやしは近年になって近郊の村々でも次々に復活、青
梅市黒沢の保存会との交流も行われているようです。



▼丹沢三峰本間の頭【データ】
【所在地】
・神奈川県愛甲郡清川村と相模原市(旧津久井郡津久井町)との境。小
田急小田原線渋沢駅の北13キロ。小田急小田原線本厚木駅からバス。
宮ヶ瀬三叉路バス停から歩いて4時間で本間の頭。
【位置】
・三角点:北緯35度29分40.2秒、東経139度10分51.85秒
・1984年(昭和59)の2万5千地形図には三角点があるが、2020年(令
和02)04月現在の国土地理院「基準点成果等閲覧サービス」には三角
点がなくなっている。
【地図】
・2万5千分の1地形図:大山



▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『尊仏2号』栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成元)
・『丹澤記』吉田喜久治(丘書房)1983年(昭和58)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)