『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第6章「塔ノ岳〜龍ヶ馬場」

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▼07:日高、竜ヶ馬場

丹沢のなかでもいつもにぎやかな塔ノ岳から、北へ丹沢山方面
に行くと、日高(ひったか)、竜ヶ馬場という所を通ります。日高
は気にも留めずに通り過ぎる所ですが、考えてみれば変わった名
前です。古いガイドブックには土平(どだいろ)ノ頭とあるそう
です。

 地名について丹沢の研究者は、「地元では聞いたことはなし。日
高は当て字であろう。地元の若い女衆からヒナタ(日向)と教えら
れたが間違いと思う」と、結局は分からずじまい。

 日高からさらにブナの原生林を行くと、突然目の前が開け、明る
い竜ヶ馬場(りゅうがばば)のスズタケの斜面に出ます。西に富士
山が姿を見せています。ときには南アルプスの連山を望めることも。
東には大山から丹沢の東端の山々。南にはブナの原生林の上に塔ノ
岳の尊仏山荘も見えます。北にあるのは丹沢山です。


 その昔、修験者たちが奥駆けといい、丹沢縦走を行った途中、ひ
と休みの時ウトウトとまどろんだ時、夢の中に竜に乗った菩薩さま
があらわれたました。そこでその尾根の西側の岩場に竜頭(りゅう
ず)菩薩をまつり、それから竜ヶ馬場の名がつけられたという。

 このように丹沢の山々は、修験者たちが開いたところが多い。丹
沢の修験は、大山を行場とした大山修験(当山派)のほかに、大
山東方山中の日向修験(本山派)と、東北東山ろくの八菅修験(本
山派)などがあります。とくに日向山修験は、日向薬師を基点と
して大山、表尾根、塔ノ岳から主脈といわれる山々を行場としてい
ました。

 1963年(昭和38)に発見された『峯中記略控』(ぶちゅうきりゃ
くひかえ)という古文書があります。これは日向山霊山寺修験(日
向修験)常蓮坊が書き留めた、丹沢入峰修行(4泊5日かけての奥
駈け)の作法を示したもの。


 それには竜ヶ馬場についてこんなことが書いてあります。「此所
ニ(塔ノ岳のこと)弥陀・薬師ノ塔有、大ナル平地也、富士山ハス
グ西ノ方也、是ヨリ北ヱ行黒尊仏岩石有、是ヨリ登リ龍ガ馬場也、
此所百間程ノ長サニ而、広ハ五間位ノ馬場ノ形也、此中所ニ竜樹菩
薩ノ尊有、是ニ札納、尤モ此馬場ニ而竜樹菩薩馬ニ御ノリ被成候ト
云伝也、此向ハ行者カヱシト云大キナ岩有、是ヨリ右ノ方ハ平イ地
ノカキノ也、夫ヨリ峰ニ登リ、彌陀ガ原ト云所ニ出、是ニ一宿致シ、
是ヨリヲリ込、蔵王権現有、札納、是ヨリ下リコフバセ・上リコフ
バセト云所、新客サカサ木ノ行所有、是ヨリ峰ニ登リ、神前ノ平地
也、此所ニ不動尊有、此所(不動ノ峰のこと)ニ一宿ス」とつづき
ます。

 つまり、塔ノ岳の黒尊仏からなおも進み、「これから登ると竜ヶ
馬場に着く。ここは百間くらいの長さで、広さは五間くらいの馬場
の形をしている。ここに龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)の尊仏があ
り、ここにお札を納める。この馬場は、龍樹菩薩が馬に乗ったとい
う伝承がある。

 此向かいに(一部の資料には「段向かいに」とあります)行者返
しという大きな岩がある。それより峰に登ると、弥陀ケ原という所
に出る。これより峰(不動の峰)に登り一宿する」のだそうです。
ここに出てくる「行者返し」と呼ばれた大岩はいまでもあります。


 この笹原は、明るく絶好の憩いの場所です。登山者が腰を下ろし、
休憩しているのをよく見かけます。シモツケ、コイワザクラ、トン
ボソウ、ウスユキソウ、オノエランなどの生え、かつては丹沢のお
花畑として里の人に親しまれたといいます。

 ここは夜通し歩く、カモシカ山行の時など通過するのはいつも真
夜中。暗闇の中にいくつもの金色に光る目。そう、名物丹沢のシカ
がお出迎えしてくれるところです。


▼竜ヶ馬場【データ】
【所在地】
・神奈川県愛甲郡清川村と、足柄上郡山北町の境。御殿場線松田
駅の北14キロ。小田急線渋沢駅からバス。大倉下車下車。歩いて
4時間15分で竜ヶ馬場。

【位置】
竜ヶ馬場:北緯35度28分05.5秒、東経139度09分54.4秒

【地図】
・2万5千分1地形図名:大山



▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『神奈川県史』(各論編5・民俗)神奈川県企画調査部県史編集室
(神奈川県)1977年(昭和52)
・『かながわの山』植木知司(神奈川合同出版)1981年(昭和56)
・『尊仏2号』栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成
元)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)

▼07:日高、竜ヶ馬場(終わり)

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