『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第6章「塔ノ岳〜龍ヶ馬場」

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▼04:丹沢塔ノ岳・尊仏山荘でのイラスト個展

 東京都心から近く、日帰りもできるというので人気のある丹沢(神奈川
県)。その表丹沢にある塔ノ岳は、とくに登山者が多く、休日には年間を
通じてにぎやかです。塔ノ岳は、山頂の西側、崖っぷちにあった仏像の
形をした岩峰を「お塔」といい、そこから山名ができたという。この岩(お塔
・尊仏岩)は、「黒尊(孫)仏」とも「孫仏さん」いい、農業の神として、作物
の豊作、養蚕、雨乞い、病気治癒の祈願などの対象になっていたとい
う。

 黒尊(孫)仏とは拘留尊(倶留孫)仏(くるそんぶつ)の意。拘留尊仏は
過去七仏のひとつ。悟りを得て仏陀になったのはお釈さまを含め、過去
に7人いたとする説。拘留孫はその第4の仏陀なのだという。仏教では過
去、現在、未来の三つの住劫(じゅうこう)それぞれに、一千仏の出世あり
とされ、拘留孫仏はいまの住劫に出現する一千仏の第一仏で、ちなみ
にお釈迦さまは第四仏だとものの本に書いてあります。

 かつて5月15日のお祭りには、塔ノ岳の頂上では天下御免の賭博が
行われていたという。その上蛭ヶ岳に薬師仏をまつり、その東につづく峰
(不動の峰)に不動尊をまつり、それと黒尊仏のある塔ノ岳の3峰をまわっ
て参拝する講中もあったという。これは北ろく鳥屋村の人々が早戸川に
沿って早戸大滝経由で登ったもの。その先達は、武州南多摩郡柚木村
(ゆぎむら・いまの東京都八王子市)の竹内富造(塔ノ岳の不動の清水に
ある不動の石仏を建立した人)という人でした。


 ところで、いまある尊仏山荘は、1987(昭和62)年建てかえられたも
の。山荘はその年4月の山開きに合わせて開業しました。その山開きと、
尊仏山荘オープンに便乗させていたき、新築の山荘で山のイラスト展を
開いたことがあります。飾ったのは私が発行している山旅通信【ひとり画
展】。山の伝説伝承を調べ歩く際に出会った山の花、またひっそりと建つ
祠や石仏、また熊に出くわした時など、その時の出来事を「ひとり合点」し
てつくるイラストカードの原画です。

 山荘や、地元の山岳会「さがみの会」の方々のご協力で搬入。なにし
ろバスの終点から3時間あまりも登った山頂の山小屋です。大きなパネ
ルを背負子にしばっての登山。なんとかオープンまでに間に合わせまし
た。準備の期間がなかったことや、パソコンもなかった当時、案内状もコ
ピーしただけの、ちゃちなハガキでしたが、ちゃちなハガキがよかったの
か、山小屋の個展がめずらしかったのか、新聞各紙が大きく取り上げてく
れ、連日の取材と問い合わせに仕事になりません。

 はては、オープンの日にニュース映画のスタッフが、わざわざ山小屋
まで泊まりがけで登ってきて撮影するしまつ。開催中は、土、日、休日は
毎週のように会場に出かけ、5月の連休は泊まり込み。結局会期を大幅
に延長、名前を記入してくれた人だけでも芳名帳3冊、見てくれた人は2
千2、3百人以上という盛況さ。無我夢中の2ヶ月。あれはいったいなん
だったんだろう。あの時80号だった『ひとり画っ展』は、2020年(令和
02)現在1030号を超えました。


 さて、またまた塔ノ岳のはなしに戻らせて頂きます。そもそも塔ノ岳の
北裏にあったお塔(尊仏岩)への信仰は、自然石として大昔から信仰さ
れていたらしい。信仰がはじまった年代ははっきりせず、塔ノ岳への道中
などにあった石像たち(すでにない)の建立年から推測するしかありませ
ん。それを記録した『三保村誌』に再録された、『三記同巻』(みつみひと
まき)(天保7年稿)という文書があるという。

 一番古い石像は、大倉尾根の吉沢平付近にあったという南北朝時代
の貞治(じょうじ)4年(1365年)の不動さまの石像。高さ2尺(75.8セン
チ)だったという。もうひとつの石仏は塔ノ岳山頂にあったもので、江戸時
代後期の享和2年(1802・きょうわ)に、すでに再建されたという十一面
観音の石像だといいます。

 さらにもうひとつは、表尾根の行者ヶ岳の岩の上にあったという役ノ行
者の石像で、戦国時代終わりの永禄13年(1569)建立されたもので、
高さ2尺(75.8センチ)の2体の行者像。その前に石でつくった巻物(経
文)が供えられてあったという。王朝が南北に分裂、抗争がつづいている
時代ころには、もう塔ノ岳尊仏信仰はされていたのですね。


▼塔ノ岳(とうのだけ)【データ】
【所在地】
・神奈川県秦野市と同県足柄上郡山北町、同県愛甲郡清川村との
境。小田急線渋沢駅からバス、大倉から歩いて3時間30分で塔ノ
岳(とうのだけ)。三等三角点(1490.9m)と尊仏小屋と尊仏山荘
がある。
【位置】
・塔ノ岳:北緯35度27分14.67秒、東経139度09分47.86秒
【地図】
・2万5千分の1地形図:「大山(東京)」


▼【参考文献】
・『あしなか復刻版・第三冊』:「あしなか41輯」(山村民俗の会)1954年
(昭和29)
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『かながわの山』植木知司(神奈川合同出版)1981年(昭和56)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『尊仏二号』栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成元)
・『丹澤記』吉田喜久治(岳(ヌプリ)書房)1983年(昭和58)
・『日本山岳風土記3・富士とその周辺』(宝文館)1960年(昭和35)
・『日本歴史地名大系14・神奈川県の地名』鈴木棠三ほか(平凡社)
1990年(平成2)

▼04:丹沢塔ノ岳・尊仏山荘でのイラスト個展(終わり)

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