『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第6章「塔ノ岳〜龍ヶ馬場」

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▼01:丹沢塔ノ岳

東京付近の人なら誰でも一回は登ったことのある山・塔ノ岳。山頂
はいつもたくさんの人がいて、昼食をつくるコンロの音もにぎやか
です。この山を「塔ガ岳」ともいっていますが、正しくは塔ノ岳な
のだそうです。

かつて、この山の頂上北西側に尊仏(孫仏)と呼ばれる突き出た塔
のような大岩があり、拘留孫(くるそん)仏をまつってありました。
17、8mもあるこの岩は仏像にも似ており、人々は敬語の尊をつけて
尊仏岩、孫仏岩と呼び、拘留孫がなまって「黒尊(くろそん)」、ま
た「お塔」ともいっていました。

そんなことから、この山をお塔のある山「塔ノ岳」といい、尊仏の
山「尊仏山」の名前も生まれました。山頂にある尊仏山荘の名はそ
こからきています。


『新編相模風土記稿』玄倉村の項に「……此山ノ中腹ニ土俗黒尊仏
ト唱フ大石アリ。高五丈八尺許、其形座像ノ仏体ニ似タリ。故ニ此
称アリ。此山ヲ他郷ニテハ尊仏山ト唱フ。土民ノ説ニ、旱魃ノ時登
山シテ此石ニ祈請シ、雨ヲ乞ト云。又石上ニ生スル苔ヲ土人御衣ト
称シ、瘧疾ヲ煩フ者アレバ是ヲ取テ煎シ用、必効験アリ」とありま
す。

このように尊仏岩は、山伏たちのほかに、近郊の農民からも作物の
神としても信仰されました。塔ノ岳は5月15日がお祭りで、村人は
稲、麦、粟、陸稲などの穂を持って登り「お塔」に供えました。

その中から自分が欲しい良い種を選んで持ち帰えり、お互いに交換
したそうです。雨乞いにもご利益があるいわれ、誰が言い出したか
尊仏岩にあいている大きな穴の中に雷神が住むといい、ひでりの年
には穴に棒を突っ込み、雷神を怒らせました。


すると不思議に雨が降ってきたといいます。また、お塔の大岩の下
の土を掘り出して持って帰り、田畑にまいて豊作を祈りました。岩
に生えたコケは、病気をなおす薬になるとまでありがたがられまし
た。

年一回のこのお祭りは、天下ご免の野天賭博の開帳の場でもありま
した。一時は関八州の親分衆が集まるといわれるほどの盛大さ。明
治になってもなお盛んで、土地の人たちはお塔にお参りに行くとい
っては、遊びに登ったといいます。

当日は大倉尾根の所々に、物売りまでが出るにぎやかさだったそう
です。そんな賭博も、時代とともに衰退し、次第に人も集まらなく
なって、ついに1950年(昭和25)を最後に途絶えたそうです。


盛んだったころは、警官も大目に見て、大倉まで巡回にきても、見
て見ぬふりをしてさっさと帰っていったといいます。この岩に拘
(狗)留尊仏を祀った由来についてはいくつかの伝承があります。

その昔、役小角(えんのおづぬ)がこの山に飛んできて大岩を発見、
拘(狗)留尊仏を祀ったという説。尊仏岩を「役行者の座禅石」と
もいったのはそれに由来するのだそうです。

また弘法大師空海がここに来て大日如来をまつったともいいます。
いまでも真言系山伏が配った、胎蔵界大日如来を象徴した梵字(ぼ
んじ)や、大日如来の姿が刷られている孫(尊)仏山のお札が残さ
れているそうです。


さらにこの尊仏さまは、富士浅間と大山石尊とともに三姉弟だとの
説もあります。また、日本武尊が東夷征討のおり、この山に登りこ
の岩で休んだともいいます(『塔ノ岳孫仏記』坂本光雄)。

しかし、この岩も下の土を掘りすぎたのか、1923年(大正12)の関
東大震災の翌年の1月15日、再び起こった地震にもろくも、コナ
ゴナになって北西側の大金沢にくずれ落ちたとそうです。

いまは岩の根元だけが残って、その上に苔むした首のない二体の石
仏と「尊佛」と彫られた石碑だけが残っています。尊仏岩が落ちた
沢のあたりは大金沢のほか小金沢があり、名前の通り室町末期の永
禄年代はこれら沢に数百人の鉱夫が入り込んで盛んに金を掘ったと
いう。


そんなことからか尊仏岩には一寸三分の金の阿弥陀如来像が祀られ
ていたとも伝えられ、かつては塔ノ岳を「金華山拘(狗)留孫仏」
と称していたと古文書にあるそうです。

春になると残った岩の根元にコイワザクラがびっしり花を咲かせ、
訪れる登山者を楽しませてくれます。


▼【データ】
・山名:塔ノ岳(とうのだけ)
【異名・由来】
・異名:塔ヶ岳(とうがだけ)
・由来:山頂北側にあった尊仏岩の尊称お塔による。
【所在地】
・神奈川県秦野市と同県足柄上郡山北町、同県愛甲郡清川村との境。
小田急線渋沢駅からバス、大倉から歩いて3時間30分で塔ノ岳。三
等三角点(1490.9m)と尊仏小屋と尊仏山荘がある。地形図に山名
と三角点と標高、尊仏山荘の文字の記載あり。付近に何も記載なし。
【位置】
・塔ノ岳三等三角点:北緯35度27分14.67秒、東経139度
【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」。5万分の1地形図「東京−
秦野」



▼【参考文献】
・『あしなか4第80輯』(山村民俗の会)1981年(昭和56)
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『新編相模風土記稿』(巻之16村里部足柄上郡巻之5大井庄):大
日本地誌大系19「新編相模風土記稿・1」(雄山閣)1980年(昭和55)
・『新編相模風土記稿』(巻之17村里部足柄上郡巻之6大井庄):大
日本地誌大系19「新編相模風土記稿・1」(雄山閣)1980年(昭和55)
・「尊仏2号」栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年
・『日本歴史地名大系・神奈川県』(平凡社)1990年(平成2)
・「塔ノ岳孫仏記」坂本光雄:「あしなか第41輯」(山村民俗の会)1
954年(昭和29)所収
・「塔ノ岳の今昔」山岸猛男:「ときわ木」1980年(昭和55)所収
・「丹沢の五月十五日」山岸猛男(山村民俗の会)1962年(昭和37)
・『かながわの山』植木知司(神奈川合同出版)1981年(昭和56)

▼01:丹沢塔ノ岳(終わり)

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