第5章「鍋割山稜」

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▼01:鍋割山

【略文】
ナベワリとは塔ノ岳西側、もと尊仏岩のあったあたりの地名だという。そこ
から流れ出す鍋割沢の近くにある山なので鍋割山だという。沢名の鍋割
は、ナメ(沢床の平らな岩の上を水が流れていく言葉・ナメ)が割れ
ているさま。また沢の入口の地形が鍋の割れ目に似ているから(古
老の話)などの説があるそうです。ところで鍋割沢にナメ、あり
ましたっけ。

▼01:鍋割山

【本文】
 丹沢塔ノ岳の南西に鍋割山(1272.5m)という山があります。
山頂には三等三角点と鍋割山荘があり、小広く明るいカヤトにお
おわれています。南西には富士山が大きくそびえ、ハイカーでい
つもにぎやかです。


 山頂から南にのびる尾根は、昔はふもとの集落寄(やどろぎ)
村(いまは足柄上郡松田町寄(やどりき)地区)の萱場(かやば)
だったそうです。下から一の萱、二の萱となり、山頂が三の萱にな
るとという。


 昔の家はほとんどが茅葺きで、カヤは屋根の葺き替えになくては
ならないもの。村人がみんなで協力してこの萱場を守ってきたとい
う。その萱場もいまはスギやヒノキの植林地に変わってきています。
さて、鍋割山の山名については、いくつかの説があります。


 (1:この山の地形が鍋の割れ目にそっくりだからという(加藤
英夫の説)。(2:北側を流れる鍋割沢から由来。(3:毒草のナベ
ワリ(ビャクブ科ナベワリ属の多年草・なめると舌が割れる)から
の名。あたりにこの毒草がたくさん生えるため(「角川日本地名大
辞典・神奈川」)。


 またナベワリとは、アセビのこと(古田喜久治・愛甲の民俗学者
中村某)という説もあります。しかしこの説に対して丹沢の植物を
研究している城川四郎は、埴生上考えられないといっているそうで
す。


 一方、古書での山名の記載ですが、江戸幕府官撰の相模国に関
する地誌『新編相模国風土記稿』(1841年・天保12)には、弥勒寺
村(いまの松田町)や三廻部村(いまの秦野市)の項に「三ノ茅」
の名で出てきます。


 下って、1875年(明治8)、明治政府が全国地誌編輯例規を公布
した時の『皇室地誌』(神奈川県は明治18、19年に完成)の玄倉村
誌の項に「黒孫仏、卯20度。塔ヶ岳の頂より西へ下る180間の尾上
(ママ、尾根上のことか?)。字(あざ)ナベワリにあり云々」(「尊
仏2号」から)とあります。


 となればナベワリとは、かつて塔ノ岳の西側にあった尊仏岩のあ
たりのことになります。上記(2の鍋割山の名の由来もとである鍋
割沢が、尊仏の土平あたりで鍋割山方面から別れ、塔ノ岳方面に突
き上げているのになぜ鍋割沢というのか不思議でした。


 しかし、塔ノ岳西側、尊仏岩があったあたりが「ナベワリ」と呼
ばれていたなら、「ナベワリ」から流れだす沢が鍋割沢なのは納得
できます。


 鍋割沢について名前の由来にはそのほか、ナベは岩がならぶ意味
で、ワリは「ワリィ」で悪沢と同じ意味との坂本光雄説(「丹沢の
山と渓谷」など丹沢の研究者)。また、ナベは沢床の平骨な岩の上
を水が流れていく言葉・ナメ(滑)のなまったもの。鍋割はその
ナメが割れている状態。


 そのほか、沢の入口の地形が鍋の割れ目に似ているから(古老
の話)などの説があります。また鍋割の鍋は一戸の家の意味で、
昔、鍋や鍵の数で割って租税高を決めたことによるとの説もありま
す(『日本山岳ルーツ大辞典』)



▼【データ】
【所在地】
・神奈川県秦野市と同県山北町・同県松田町との境。小田急小田
原線渋沢駅の北西11キロ。小田急渋沢駅からバス大倉終点下車・
さらに歩いて3時間半で鍋割山。三等三角点(1272.5m)と鍋割
山荘がある。地形図上には山名と三角点記号とその標高と山荘の
み記載。三角点より西方向直線約1250mに鍋割峠がある。
【位置】
・三角点:北緯35度26分37.73秒、東経139度08分29.07秒
【地図】
・旧2万5千分の1地形図「大山(東京)」



▼【参考文献】
・「アルパインガイド37・丹沢」(山と渓谷社)(羽賀正太郎)1980
年(昭和55)
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『かながわの山』植木知司(神奈川合同出版)1981年(昭和56)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「尊仏2号」栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(昭和6
4・平成1)
・『丹沢記』吉田喜久治(岳(ヌプリ)書房)1983年(昭和58)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)