第3章大倉表尾根」

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▼03:大倉尾根の花立

【略文】
苦しい尾根を登ってきたとたんに開け、富士山まで望める場所。そ
んな所を霊場とし木の枝を神に供える花立場だという。一方、花立
の「ハナ」は瑞のことで、ちょっとはずれた所にある端(はな)の
峰の意味だという人もいます。「花立」の話は柳田国男博士もその
著「山島民譚集」のなかでも考証しています。
・神奈川県秦野市

▼03:大倉尾根の花立

【本文】

 丹沢塔ノ岳に登る時、一番利用されるおなじみの大倉尾根。バカ
尾根といわれるほどダラダラと長い。単調で展望もなく、登山道に
あらわれる岩とすべりやすい地肌。「何でこんなところを…」など
と、ブツブツいいながらただひたすら足を前に進めます。


 やっと着いた花立山荘を過ぎ、裏側へまわるように登ると「花立」
です。塔ノ岳、大山、鍋割山に続く富士山ときては、誰でも休憩し
たくなるところ。そこで昔の登山者は、ここを霊場とし、花や木の
枝を神にそなえる所の意味で、花立場と呼んだのだそうです。


 一方、花立の「ハナ」は端のことで、このピークがちょっとはず
れた所にある端(はな)の峰の意味だという説もあるそうです。丹
沢の研究者吉田喜久治氏も『丹澤記』のなかで、「山の端にある花
立山、端に立つ意。登山講座、地形と地名とするのは牧瀬貞一郎説。


 またハナタテバ、オリバナサマ、シバオリサン、すなわち小枝を
折って山ノ神へ手向ける聖地だとする坂本光雄説がある。どちらも
もっともらしく聞こえて面白い。ただしこの地形語は信仰行事(狗
留尊仏(くるそんぶつ)勧請)より古いと思う」と記しています。


 この「花立」の話は民俗学者の柳田国男博士もその著「山島民譚
集」でも考証しています。ちょっと脱線しますが、毛色の変わった
話なので紹介します。その中の「山島民譚集」(二)に『新編相模
国風土記稿』(巻之二十四村里部・足柄下郡巻之三)の記載をもと
に、およそ次のような伝説が書かれています。


 相模足柄下郡足柄村大字久野(いまの小田原市久野)の阿育王山
総世寺(曹洞宗)は、戦国時代の武将の三浦義同(よしあつ)入道
道寸が隠れていた寺です。永正13年(1516)、道寸は北条早雲との
戦いで滅亡します。その時道寸の子、三浦荒次郎義意(よしおき)
も自ら首を刎ねて死にました。


 その首を小田原(総世寺の松梢)に掛けましたが、3年たっても
目も開いたまま虚空をにらみ、まるで生きているようでした。その
怨念からか、そのあたりを行き来人々も妖魔の災いにあってか命を
落とすものも多く出る始末。


 そんなことから総世寺の第四世の忠実和尚(※忠室宗考(ちゅう
しつそうこう)のことか)は、「うつゝとも夢とも知らぬ一ねふり
浮き世のひまをあけほのゝ空」という一首の歌をもって引導をする
と、たちまちにして白骨になったという。


 その際、松と桜との枝を折ってこの首に手向け、後にその枝を門
前に挿したら枝葉を生じて成長したという。のち、桜は枯れてしま
い、いまは松の大木が2本、当寺の大門の入り口にあるといいます。
世の中には柳や杉、また偉人の杖、霊木の枝を地面に刺したのが根
が出て大木になったという話はあちこちにあります。これは先述の
小枝を追って神に手向ける聖地に通じ、聖地としての、また人知の
及ばない魔力としての説話になっています。


 さらに花立の「ハナ」はもともとは端のことで、端っこの意味だ
ともいいます。柳田国男博士も、花立というのは、最初は国や郡ま
たは村落の境のことだったのを民衆はわすれてしまい、このような
伝説で説明したのだという。花立のハナは物の端(はな)のことと
いうのは前に書きました。


 博士はつづいて、花立の「立は次に言わんとする杖立、矢立また
は立石、立神などと同様に霊木・霊石を境の標(しるし)に立てて
おくことを意味している。したがってその標が天然の生木である場
合には、その生立について不測の由来を説き、私心ある人間の智力
で設定した境界ではないことを表示するのである」といっています。


 こんな話も出てきます。「相模鎌倉郡小坂村大字山ノ内字峠には
「鼻欠地蔵」という地蔵がある。金沢往還の北側切通しの岩壁に一
丈ばかりの尊像が彫りつけられている。この地はまさしく、武蔵・
相模の国境である。


 御鼻が欠けているから鼻欠地蔵であると、『鎌倉志』には見えて
いるが、実は花立地蔵で、『新編相模国風土記稿』には里人が香花
を供するゆえにに花立だという」。境としての花立の意味で、里人
が香花を供するのだというわけです。


 「花立」が境界の意味だというのは、各地の地名を調査すればわ
かることだと次のような地名をあげています。・駿河志多郡瀬戸谷
村花立山。・上総市市原郡高滝村大字山口字花立越(こし)。・常陸
那珂郡長倉村大字長倉字花立峠。陸前牡鹿(おしか)郡渡波(わた
のは)町大字祝田浜字花立山。


 話を大倉尾根に戻します。花立山荘を裏側へまわるように登ると
「花立」です。以前はそこをまわらずに真っ直ぐ進んだところの広
場にテントがズラッとならんでいたものでした。それがいつごろか
らか見られなくなってしまいました。あのころはおおらかなもので
した。



▼大倉尾根花立【データ】
【所在地】
・神奈川県秦野市堀山下集落大倉地区大倉尾根。小田急渋沢駅から
バス15分で大倉尾根登山口から歩いて3時間で花立。直下に花立
山荘がある。地形図上には何も記載なし。花立より南方向直線約25
0mに花立山荘がある。
【位置】
・花立:北緯35度26分52.4秒、東経139度09分42.14秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」



▼【参考文献】
・『あしなか復刻版・第三冊』:「あしなか41輯」(山村民俗の会)
1954年(昭和29)
・『新編相模国風土記稿』間宮士信ほか編(鳥跡蟹行社)1884年(明
治17)
・『尊仏二号』栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成
元)
・『丹澤記』吉田喜久治(岳(ヌプリ)書房)1983年(昭和58)
・『柳田国男全集5』「山島民譚集」柳田国男(ちくま文庫・筑摩書
房)1989年(平成1)