第4章「大倉尾根」

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▼02:大倉尾根・幻の水場?

【本文】
 丹沢の大倉尾根は名にしおうダラダラ尾根。水場もなく、仕事
で登る人たちの難儀な場所。誰もが汗を吹き出してあえぎながら
登っていきます。


 堀山の上、あと少しでカヤバ平というあたりを水神さんの坂と
いうそうです。以前は登山道の勘七ノ沢側に小さな池があり、水
神の石祠がまつられていたそうです。昔から大倉尾根は、はげ山
が続いていて、村人たちがいちばん困るのが水でした。


 夏の日照りの時などは、気絶する者が出るほど。そのせいか、
塔ノ岳のお祭りにも登る人が年々減っていくありさま。心痛めた
大倉に住む村人が、花立の道祖神に祈願して水場を見つけたとい
う話も残っています。


 地元山岳会「さがみの会」の故栗原祥氏は、『尊仏二号』にこん
な話を載せています。「水神の坂:昔、大倉集落に信心深い働き者
のお百姓がおって、尊仏さんのお祭りには、毎年欠かさずお参りに
行っていた。そして畑仕事の合間をみては、大倉尾根を登り、薪や
草を刈っていた。


 そんな時、一番困るのは水に不自由することだった。ある夏の日、
草刈りに登っていったお百姓はあまりの暑さに、まだ仕事が半分も
終わらないうちに、ひさご(瓢・ヒョウタンの水筒)の水を飲みき
ってしまった。


 「これは困ったぞ。」腰を下ろしていると、突然、目の前に子ウ
サギが飛び出してきて、お百姓の顔をジッと見あげました。そして
2,3歩跳ねてはふり返り、また2,3歩跳ねてはふり返るのでし
た。


 それはまるでついてくるように誘っているようでした。不思議に
思ったお百姓は子ウサギのあとをついていきました。しばらくする
と不意に子ウサギの姿が見えなくなりました。


 急いでその場所にいってみると、ナントそこには小さな池があり、
きれいな水が湛えています。喜んだお百姓は元気を取りもどし、夕
方まで仕事を続けられました。


 それからは山仕事をする人も、尊仏さんへお参りする人も、水に
困った人はこの池に立ち寄って行くようになりました。それでいつ
しかここに、水神様がまつられるようになり、このあたりを「水神
さんの坂」というようになりました。


 1955年(昭和30)ころ、大倉の「たかお」という人の案内で、「水
神さん」に立ち寄ってみました。点々とヒノキの若木が、人の背丈
ほどに生えている樹林のなかの、カヤトのなかに、石の祠がありま
した。その前に、直径40センチほどの小さな池がありました。


 池は枯れ葉などが沈んでいて、水は茶色に濁っていてとても飲も
うとは思われません。場所は、堀山の上、もう少しでカヤバ平に着
くというあたりの道の、勘七沢へ20〜30センチくらい寄ったとこ
ろにあった。しかしいまは、大きく育ったヒノキ林となって、位置
が分からなくなってしまった」ということです。この水神さまの
祠は1961年(昭和36)ころまであったそうです。


 また、1954年(昭和29)発行の「あしなか41輯」に、吉沢平
より前孫仏(去年(1952年(昭和27)のこと)までは岩の上に、
破損した石像がまつられていた)の途中に水神の水場があって、
多くの信者ののどをいやした。いまでも昔の古い道形があって、
清い水がわき出ている。


 傍らに石祠がまつられてあって、いくらかの銭切(?)があげら
れてあるところを見ると、たまには村人が詣でるのであろう。祠の
横に、「慶応二寅年八月吉日建之 堀村留五郎、小竹村金治郎、井
ノ口村鉄五郎、平沢村功吉と彫られている。真夏にまつったところ
を見ると、雨乞いに関係あるかも知れないと、坂本光雄氏が寄稿し
ています。



▼【参考】
・『あしなか復刻版・第三冊』:「あしなか41輯」(山村民俗の会)
1954年(昭和29)
・『尊仏二号』栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成
元)