『新・丹沢山ものがたり』CD本(加筆版)
第4章「大倉集落・大倉尾根」

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▼01:大倉尾根今昔

【本文】

 塔ノ岳への登山道、大倉尾根は、南アルプス仙丈ヶ岳の仙塩尾根

(せんしおおね)とならんで「バカ尾根」として有名です。単調で

展望もなく、ダラダラと長くつまらない尾根をいうのだそうです。

それでもいつも老若男女のにぎやかな声が聞こえます。かつては季

節になると、登山道わきにヤマユリの花がたくさん咲いて、登山者

を楽しませてくれたものです。



 大倉のバス停から歩き出し、大倉山ノ家を右に見てゆっくり登っ

ていきます。小ノ窪の少し手前の山の神ノ平。かって5月15日の

塔ノ岳のお祭りには、ここでも青空賭博(とばく)が開帳されたと

いう。やがて大倉高原山ノ家へ登る道を分け、登っていくとちょっ

とした平地に出たところが、ゾージバノ平(雑事場・ぞうじば)と

呼ばれているところ。やはり昔のお祭りの日には、酒屋や菓子屋が

出店していたといいます。



 少し先の見晴茶屋を過ぎるとほどなく一本松跡です。ここにはか

つて枝ぶりのよい大きな松の木がありましたが、1934年(昭和9)

の台風で吹き倒されてしまったという。山ろくの人々は、カヤや薪

木を運ぶために連れてきた馬を、この一本松につなぎ止めていたの

だそうです。



 程なく吉沢平(よしざわだいら)。江戸幕府官撰による相模国に

関する地誌、『新編相模国風土記稿』(巻之五十三村里部)に、「…

…。麓(大倉)より三十町許(ばかり)登り、字(あざ)よし澤(吉

沢平)と云(う)所迄は幅六尺許(ばかり)の通路あり、夫(それ)

より上は道狭く、甚(だ)険阻なり」とあり、吉沢平あたりまでは

結構広い山道があったらしい。



 老人の話では、吉沢平の「オヒ止まり」を馬止めといったという。

昔は草刈りや、薪をとるために、ここまで馬を引いてきたらしいの

です。江戸時代の天保(てんぽう)年間(1830〜1844)には、こ

のあたりに不動さまの石仏があって、塔ノ岳の孫仏行者が祈願して

いたという。



 それには、南北朝時代の貞治(じょうじ)4年(1365年)巳(み)

3月と彫られてあり、高さ2尺(75.8センチ)くらい。台座などは

天明6年(1786)に再建されたといいますが、いまはありません。



 大倉尾根は古い地図には、「法里みち」(掘みち)と記されていた

そうです。さらに歩くと堀山の右をからみ、モミソ沢への下降点を

右に見て、左へ登っていくと堀山の家の前を通り、小草平の分岐点

になります。小草とは単なる小さい草のことか、または、ミカン科

のコグサギ(小臭木・臭いがあり煎じて殺虫剤に、材は小細工用に

なる)の木のことらしい。



 左側勘七沢(かんしちざわ)へ下る道を分け、右へ石のゴロゴロ

ある道を登っていきます。ここから前尊仏(まえそんぶつ)の大岩

までの途中に昔は水場があったという。ダラダラ登る大倉尾根に水

場があったら助かりますよね。



 丹沢に詳しい坂本光雄氏は「あしなか41輯」(1953年・昭和28

発行)のなかで、「前孫仏の途中に水神の水場があって、多くの信

者ののどをいやした。いまでも昔の古い道形があって、清い水がわ

き出ている。傍らに石祠がまつられてあって、幾らかの銭切があげ

られてあるところを見ると、たまには村人が詣でるのであろう。祠

の横に、「慶応二寅年八月吉日建之 堀村留五郎、小竹村金治郎、

井ノ口村鉄五郎、平沢村功吉と彫られている。真夏にまつったとこ

ろを見ると、雨乞いに関係あるかも知れない」と書いています。



 その場所は、もう少しでカヤバ平に着くというあたりの、勘七沢

方面のところにあったそうですが、いまは大きく育ったヒノキ林で

位置が分からなくなってしまってしまいました。



 さて、しばらく行くと前孫仏といわれる露岩があります。この岩

の上には1952年(昭和27)ごろまでは、壊れかけた石仏があった

という。昔はここが女人結界のしるべで、女性はここから上には登

れませんでした。道はますます険しくなって山小屋のわきをまわっ

て、花立場という所に着きます。



 石像が一基わびしく安置されています。ここは旅人が小枝を折っ

て、そこの山神さまへ供える霊地で、ヲリバナサマ、シバヲリサン

などといっているそうです。丹沢でもう1ヶ所長者舎(ごや)の近

くに花立場があり、折花さまという小祠がまつってあります。



 そこから馬の背、または金冷やしと俗称されるヤセ尾根を越え、

鍋割山への尾根を左に分けます。いよいよ塔ノ岳への登りにかかり

ます。標高1370mあたりで、道がちょっと広い所があります。



 かつてはここに分岐があり、左へ山腹を巻いて不動の清水の水場

(塔ノ岳の水場)へ直接行けたという。昔は水場から、いまはなき

拘留尊仏の岩への参詣道があったといいます。さっきの分岐を真っ

直ぐ行けば明るく、にぎやかな塔ノ岳の山頂です。



▼大倉バス停【データ】

・【所在地】

・神奈川県秦野市堀山下集落大倉尾根登山口大倉バス停。小田急渋

沢駅からバス15分で大倉終点



【・位置】

・大倉尾根登山口バス停:北緯35度24分17.57秒、東経139度10

分7.41秒



・【地図】

・2万5千分の1地形図「大山(東京)」



▼【参考文献】

・『あしなか復刻版・第三冊』:「あしなか41輯」(山村民俗の会)

1954年(昭和29)

・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)

1984年(昭和59)

・『新編相模國風土記稿3』(雄山閣)1980年(昭和55)

・『尊仏二号』栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成

元)

・『丹澤記』吉田喜久治(岳(ヌプリ)書房)1983年(昭和58)

・『日本歴史地名大系14・神奈川県の地名』鈴木棠三ほか(平凡社)

1990年(平成2)。

 

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