第2章「ヤビツ峠とその周辺」

…………………………………

▼05:菩提峠と風神祠

【略文】
神奈川県秦野市岳ノ台と菩提峠の間のくぼ地には風神の石祠があ
ります。ここは、東側の大山と西方の塔ヶ岳の間にあり、間を風
が吹き抜けるため、ふもとの秦野市菩提集落では風による農作物
など被害が悩みのたね。そこで村人は風神をまつり、しずめよう
と石祠を建ててまつったものといいます。
・神奈川県秦野市

▼05:菩提峠と風神祠

【本文】
 ヤビツ峠でバスを降り、少し戻って大山とは反対の登り口・菩提
峠への登山道に入ります。休憩所を過ぎ、鞍部を登り切ると岳ノ台
です。ベンチや見晴台があり、人影もなく何とも静かです。そこか
ら尾根はゆるやかな降りになり、小広い鞍部につきます。左に踏ま
れた道を少したどると「風神」の石祠があります。

 突然ですが、日本には、貧乏神や厄病(やくびょう)の神もあ
れば風の神など八百万(やおよろず)の神がおわします。いまで
こそテレビで、天気図や気象衛星からの雲の動きを見られますが、
昔の人は、姿がないのに突如として吹き荒れ、またしずまる。

 風を不思議に思い、暴風におののいて神を感じ、大いにおそれ
信仰しました。この風神をしずめるため、厄病神と同じように、
お祭りをして神のご機嫌をとったり、鎌を竿の先に結びつけて庭
先に立て、風を切ってしまおうとする祭りまであります。

 ここの鞍部は、東側にそびえる大山と西側にある塔ノ岳の間に
あり、それぞれの山が大きな壁になっていて、その間を風が吹き
抜けます。そのため、ふもとの秦野市菩提(ぼだい)地区では風
による農作物など被害が悩みのたね。

 そこで村人は風神をまつり、しずめようと石祠(いしぼこら)
を建てて祭ったものという。ホコラは屋根が欠け、コケがむして
訪れる人もいません。それでも、いつあげたのか10円玉が青くさ
びてころがっています。

 風神の最初の記録は、『古事記』(上つ巻)や『日本書紀』(巻第
一)神代上第五段。「乃ち吹(ふ)き揆(はら)ふ気化して神とな
りし風神」とあります。

 志那津彦命(しなつひこのみこと)と志那津比売命(しなつひ
めのみこと)の男女二神をさしているそうですが、そんなリッパ
な神々は別として、私たち庶民には、風袋を背負ったあの民間の
風神サンのほうが親しみがあります。ここ岳の台の南西麓の菩提
集落には菩提滝の沢保存会という会があって、毎年4月に祈願を
しているそうです。

 石祠のある場所からさらに進むとカヤトの草原があらわれ、ハ
ングライダーの飛び出し台につきました。あの上に立ったらどん
な具合かと台の上で両手を広げ、飛行機になったつもで助走した
りしました。気持ちのいいことではあるが、80過ぎの爺さんがや
ることではないと反省しながら開けた菩提峠へと降りました。

 菩提峠は、菩提集落と札掛集落を結ぶ峠。菩提とは気になる名
前です。これはお盆の終わりに、精霊を送る魂送り場で歌舞が行わ
れていたという。その魂送りの「舞台」が「ぼだい」に転化し、菩
提と書かれるようになったという。ホントカイナ。

 また修験者が入峰などの修行を終え、めでたく出てくるところを
「菩提門」ということから来ているという説もあります。菩提峠は
別名「トビウツリ」(飛び移り)というそうです。

 かつては、峠付近に人工スキー場をつくろうという話もありまし
たが、計画は中断。峠付近は駐車場になっており、広場から日本武
尊の足跡岩への登山道の指導標もあります。


▼菩提峠【データ】
【所在地】
・神奈川県秦野市。小田急小田原線秦野駅の北北西7キロ。小田
急小田原線秦野駅からバス、ヤビツ峠下車、さらに歩いて1時間で
菩提峠。電子基準点(760.48m)と三等三角点と、写真測量による
標高点(760m)がある。
【位置】
・三角点:北緯35度25分45.45秒、東経139度12分16.32秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」


▼【参考文献】
・『吾妻鏡』(三)龍粛(りょうすすむ)訳注(岩波文庫)1997年
(平成9)
・『古事記・上つ巻』:新潮日本古典集成「古事記」西宮一臣校注(新
潮社)2005年(平成17)
・『角川日本地名大辞典14・神奈川県』伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・『かながわの峠』植木知司(神奈川新聞社)1999年(平成11)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本書紀』(一)坂本太郎ほか(岩波文庫)1995年(平成7)
・『日本歴史地名大系・神奈川』(平凡社)1990年(平成2)